第三十一話 行き着く先は死
竜――太古の時代、人が生まれるよりもずっと前の時代に、それは生まれたという。
何万という年月を生きた竜いわく、はじめ、彼らは岩と水ばかりの世界に生まれついたのだという。
空はいつ何時も大雨と大嵐、風に吹かれて激しく波を打ちつける海によって、岩で出来た海岸は次第に砂になっていった。
人や植物が生まれてくるよりも前、そんな過酷な世界に生まれた彼らは、それに耐え抜けるだけの体が必要だった。岩を食らって鱗を作り、溶岩を呑んで火を吹けるようになり、雲よりも高く飛ぶ為に強靭な翼を得たのである。
そして時は流れ、何時しか人の時代になる頃には、原初を生きた生物は竜以外に居なかった。故にこそ、世界で最も強き生き物、即ち"最強"の名を持っているのだ。
竜。アランの目の前に居る者の名を、知らぬ者など居ない。
自分が人の形を失っても尚起き上がったように、ヴィンツもきっとそうなのだろう。彼は無意識下でそう納得した。自分と同じなのだ、と。
ザッ、と足を止めた。相対距離およそ十メートル。竜の体が十二メートルを越えていることから考えれば、ヴィンツから見れば目と鼻の先に居るように見えるだろう。
互いに顔を見合う。完全に洞と化した目で、それでも、アランは竜の目を見返した。限りなく黒に近い、深紫の目が、アランの洞の瞳を見つめていた。
『竜変化』――それは、魔法の世界で禁術とされている類のものだ。
なにせ、『変化』などとは到底魔法としての位階が違う。人と同等かそれ以下の生物に変身するのならばまだしも、変身相手は竜なのだ。
当然無理やりに肉体を膨張させて変身するのだから、その負荷は計り知れない。身体への影響は著しく、分かりやすく言うならば寿命が縮む。
それも、一年や二年という単位ではない。二十年、三十年――それで済めば運がいい方である。使い終わった途端に死ぬものが大多数だった。だからこその禁術なのだ。それ相応の覚悟があっての行使なのだろう。
もはや互いに人ではない。互いに、そう長くない命を抱えている。
そして互いに、目的が食い違っている。
アランは何も言わない。かわりに、大剣の柄をぐいと肩に乗せた。竜と化したヴィンツもまた、姿勢を低くして唸り始める。
初動は竜が早かった。その巨大な前足をぶんと横薙ぎに振り回す。下手な剣などよりずっと鋭いその刃から逃げることは、単純なリーチの問題で難しい。
ゆえにアランは、すぐに回避という思考を切り捨てた。人類の誰もが避けなければと思う攻撃を前にして、剣を大きく振り上げたのだ。
そして一撃。金属と金属がぶつかりあう快音がして、アランの剣は強く弾かれた。
だが、それは竜の爪も同じだ。明らかに魔法的な力を秘めた、ひたすらに分厚く重い特大剣、そしてそれを軽々と振りまわす人ならざる豪腕。いかに竜の腕とてそれを凌駕するというのは簡単ではない。
しかし竜が最強の生物たる所以はその物理的な力によるものだけではない。ならばと紡がれるのは、まごう事なき真なる言葉。すなわち、魔法だ。
たった一言で生み出されたのは、『豪雷撃』だろう。バチバチと紫電を纏った雷の球体が一つ――否。二つ、三つ――瞬き一つほどの間に、数え切れない数浮かんだ。
ドラゴンの巨体による突進とともに放たれたそれがアランに殺到する。無数の軌跡を描いて飛んでくるそれに、アランはあえて真っ向から対抗した。
一瞬のうちに二度剣を振る。一撃で三つ四つほど一度に消し飛ばせば、防御にも事足りる。どうしても避けられないものは身にまとう炎を持って打ち消した。
なにせ全身炎に包まれて、熱だけで足の下が溶岩になってしまうほどの熱量だ。意識して一点の火力を強くすれば、雷だろうと打ち消せるというものだ。
次いで突っ込んできた竜の体を飛び越え、追撃してきた尾をかわす。空中へ押し寄せた雷球は剣で打ち払った。
アランは轟々と燃える火の中で、体が羽毛のように軽いのを感じていた。人ならざるその身と化したことも一因だろう。だが一番は、アランの心境の変化だった。
誰かを拠り所にしなくて良い。居場所などなくて良い。後は燃え尽きるのを待つだけのその身を、全力で振り回すのみ。
すると、、『豪雷撃』だけでは埒が明かないと思ったのか、ぐいっと竜の首ごと顎が大きく引かれた。ブレスが来る、とすぐさま判断したアランは、しかしそれを無視した。
この炎の体、とっくに炭化しているこの体。今更火によってどうなるとも思えず、得体の知れない本能のようなものもまた、彼のその論を後押しした。
強大なる竜の口より吐き出されるのは、溢るる炎の濁流。岩をも溶かす竜息吹である。
しかし、アランの想定どおり、彼の真っ黒になった体は炎をものともしなかった。それどころか、自分に当たった炎を吸収して、ますます身に纏った火が強くなっているようにも感じた。
だが問題はそこではなかった。
すぐさま彼は、しまった、と思った。――炎の濁流は、彼の視界をも塞いでしまったのだ。雷球はまだ飛んでいる。音もなく飛来するそれを、何も見えない状態でどう避けろというのか。
跳ぶか? アランは少ない情報の中で、空間把握に努めながら思う。しかし、それは駄目だとすぐに切り捨てた。
空中では踏ん張りが利かない。剣を触れたとしても一度きりで、雷球は幾つも飛んでいる。魔族のように空を飛べるのならともかく、彼にそんな力はないのだ。
雷球が背後より迫り来るのを感じる。一発だけだ。しかし、それ以外の攻撃がどこから来るのか分からない。
――ならば。
アランはその巨大な剣の影に、自らの身を隠すように構えると、飛来する雷に向けて全力で飛び込んだ。
雷が体を打つ激しい感覚。剣ごしに受けたそれでも、彼の体をゆうに四メートルは吹き飛ばした。
着地先でなんとか態勢を立て直す。火炎の奔流から脱せたが、左足に違和感を感じ、見れば吹き飛ばされた時の衝撃で、足首が殆どちぎれかかっていた。
竜はいまだ健在。いや、傷一つないだけ、といった方が正しいか。これだけの長時間『竜変化』を使用していれば、変身を解いた瞬間に死んでしまうだろう。アランもまた、もう少ししたら塵に返る。
もはや勝ち負けなど、意地の問題でしかなかった。
だが、簡単に負けてなどやるものか、とアランは笑った。アランは竜を睨むように顔を上げた。人生最後の戦い、せめて白星を飾ってやろう――そんな面持ちで。