第三十話 この世で最も強き生き物
地面を打つ低い音が大音響で響き渡る。
一撃、また一撃。先ほどと立場が逆転し、攻勢に出ているのはアランの方だった。
「く――ッ!?」
ヴィンツがまた一歩、その圧に耐えかねて下がる。その顔には苦悶と、滝のような汗が流れていた。
炎による致命的な熱は『耐火』の術を重ね掛けすることで何とかできる。だが、熱された空気までもを完全に遮断する事は出来ず、身は熱波に苛まれていた。
その上、アランの攻撃が早い。理を外れたが故の不条理な怪力は、身の丈と同じか、それよりも大きい剣を軽々と振り回していることが証明している。
受けたが最後、剣ごと圧し折られ、肉塊と化すことは目に見えている。
くわえて、時折混ぜられる拳打も無視するわけにはいかない。なにせ、あれだけ重い――その威力を見れば、実際に持っていなくても分かる――剣を、振り回される事なく扱っているのだ。
となれば、アランそのものの重量も剣と同等かそれ以上。死体を取り込んだのか、それとも超常の力なのか、ヴィンツには想像もつかないが、なんにせよ致命傷になりうると分かっていればそれでよかった。
今ヴィンツが生きているのは、ひとえに得物が刺剣に護剣(つばの広い短剣、利き手とは反対の手に持つ)の二刀流だったからに他ならない。
受け流しに特化した護剣を持ち、カウンター戦法が主体の二刀流に習熟して居たからこそ、何とか持ちこたえる事は出来ているのだ。
だがアランとて、ただ受け流されるわけではない。受け流されると分かっているなら対策はいくらでも立てられる。
切り返し様に剣を引き戻し、大上段の構え。渾身の力を込めているのを察したヴィンツがすぐさま空へ飛ぶ。
それすらも構わずに、彼はその溜め込んだ力を、そのまま地面に向けてたたきつけた。衝撃によって乾いた地面に皹が入り、バキバキと音を立てて亀裂が生まれていく。
あまりの衝撃に、割れた地面の欠片が勢いよく中空へと飛散する。狙いなどつけようも無いが、破片が無数にあれば数発程度は敵の方へ飛ぶものだ。
高速で飛来する尖った石の破片など、当たれば無論、ただではすまない。咄嗟に翼をはためかせて避けるが、そうすると今度は別のコースを飛んでいた石片に対応しなければならなくなる。
いくら防御に特化した剣技とて、まさか踏ん張りの効かない空中で扱う事など想定しておらず、咄嗟に魔法による『防壁』を展開した。
球状に張られた不可視の壁が石片を弾く。魔法の力とはかくも偉大だが、しかし高速で叩き付けられる石片によって、次々に皹が入ってゆく。
ほぼ全体に皹がまわりかけたところで、ようやくそれも治まった。安堵しかけたヴィンツは、しかしすぐに気を張りなおした。
石片と同時に宙を舞った粉塵が、アランの姿を隠してしまっている。高所を位置どったがために、粉塵で地上への視界を完全に遮られ、彼の姿を見失っていた。
不用意に降りれば攻撃を食らう事は間違いなく、かといってこのまま空に居ても、アランに攻撃の術がないとは限らない。
ならばとさらに上空に逃げようと、そのコウモリに似た翼をはためかせた瞬間、粉塵の壁に巨大な穴を穿って何かが飛来した。
明らかに巨人の頭を砕いた時と同等の速度。完全に反応する事は適わず、反射的に身を捩って頭部への直撃は防いだが、その代わり左翼を完全に切り落とされた。
魔族は魔法で作り出した上昇気流に、翼を打ちつけて飛行している。ゆえに、翼を落とされては墜落するほかにない。
きりもみ回転しながら落ちていく体は、粉塵で遮られた中を突っ切り、地面へと落ちる。何とか受身だけは取れたヴィンツだったが、その足からは酷い鈍痛が響いてきていた。
何とか顔を上げると、その視線の少し向こうに、アランが立っていた。何かを投げたような姿勢――恐らく、近くの屍骸から剣をとって投げたのだ――からゆっくりと歩き出しているところだった。
その動きは全体的にぎこちなく、強すぎる炎の勢いに、アランの体はゆっくりと、炭化した皮膚が剥離して落ち始めていた。
その体にがたが来ているのは明らかで、剥離の速度を見るに、恐らく後一時間もすれば、アランの居た証は消えてなくなってしまうのだろう。
もとより、生きているのが不自然に感じられるほどの負傷を負って居たアランだ。いかに超常の存在と化したとて、"薪"の質が悪ければ火もナが続きはしないという事なのか。
しかしアランは、さほどの時間は要らないだろうと思っていた。
なにせ、力量さは顕著に現れていた。翼をもがれ、反撃の方法を見出せないで居るヴィンツ。相手の攻撃などかんがみる必要なく、剣の一振りで致命的な損傷を与えられるアラン。勝敗は既に、決定的だった。
両手に渾身の力を込め、起き上がるヴィンツ。魔族としての意地や矜持がそうさせるのか、はたまた別の何かが立ち上がらせたのか。
いずれにせよ、彼はまた立った。そうして剣を手放すと、小さく言葉を紡ぎ始めた。
真なる言葉で出来たそれは、明らかに通常の魔法よりも長い詠唱。呪いでも呟くかのごとく小さく、ぶつぶつと、しかし確かに強力な魔法なのだろう。
なぜなら、周囲の魔力は爆発的な勢いでヴィンツの方へ向かって流れ出しており、アランがまとう炎もまた、それに引かれるように揺らいでいたからだ。
「変異――改変――肉体――強大」
魔法の力に引きずり出されるような形で、ヴィンツの体が膨れ上がり始めた。服を引き裂き、その体を肥大化させ、次々に変異が進んでいく。アランはそれを、止めることもなく見ていた。
「存在――固定――」
最後に紡ぎだされた言葉は――この世で最も強き生き物の名。
「竜。」
魔法の名前は、誰が口に出さずとも、アランは理解した。それほどまでに強大な魔法であり決意であった。
もはや人に似た姿である魔族の原型はどこにもない。
蜥蜴にも似た勇壮な顔。鋭く整った牙。曲線を描き、全てを切り裂かんと鈍く輝く爪。喉の奥からは、ちらちらと火が覗いた。全身は赤き鱗で覆われ、背にはコウモリにも似た巨大な翼がある。
まごう事なき、『竜変化』の魔法であった。