第二十九話 外れし者アラン
終わった、と魔族は思った。
死体の山へと突っ込んだアランに向けて、腐乱巨人は拳を叩き込んだ。腐肉ごと叩きつぶれた体は、目視こそできないが、だからこそ致命傷だろうと判断できた。
アランは他の勇者隊員のように、何かしら神の加護を受けているわけではない。不可思議な魔法の守りは存在せず、見た目どおりの結果が訪れたと見て良い。
終わったのだ、と魔族は再び自分に言い聞かせた。何度も何度も自分の作戦を邪魔し、態々生贄まで用意して召還した高位悪魔すら屠り、腐乱巨人とすら戦って見せた男は死んだ。
だが、魔族の男は不安だった。本当に死んだのか? 加護が無いという前提を入れても、死体が確認できないという事実は代わりない。しかし、確認しに行くにも、万が一生きて不意を狙っているならことだ。
魔力がもったいない、とは思ったが、魔族は万全を期すべく『大火球』を唱え始めた。
「火種――膨張――重複」
魔法の言葉、真なる言葉に従って、魔力が形を成してゆく。ごうと渦を伴って一点に集中したそれは、紛れもなく大火球。
轟々と燃え盛る炎の大玉。魔法の力を受けて作られたそれが当たれば、大抵のものはひとたまりもあるまい。保険とするにはあまりにも過剰火力であり、それは魔族の、アランに対する警戒心を表していた。
「――投射。『大火球』」
中空より放たれた火球は、矢の如き速度で打ち出された。腐肉の山に直撃し、爆発した炎が、渦を巻いて燃え盛る。一分と立たないうちに、炎は屍の山全体を包みこみ、死体は端の方から灰と化してゆく。
――無駄な警戒だったか。
魔族は小さく呟く。やはり、加護も持たない一山いくらの準英雄など、大したことはなかった。魔力を浪費しただけだった。だが、なぜかそれに、酷くほっとしていた。
それはある意味、アランに気圧されていたのだ。半死半生で動き回り、悪魔も怪物も鎧袖一触に殺し、休みもせず動き続けるゴーレムのような男に。
結局火達磨とかした腐肉の山を最後まで眺める事なく、腐乱巨人を旋回させ、その傍らで飛行したまま、魔族はユーベルハイド古戦場を立ち去ろうとした。
結果として、それは間違いだったと言えよう。
腐乱巨人が旋回を終えたその刹那、風を切る快音とともに何かが巨人の後頭部へと飛来し――破砕。
何十何百という死体から生まれしまがい物の巨人は、一瞬にしてその偽りの命を霧散させ、崩れ落ちる。大きな音を立てて崩れていく腐肉の中に、魔族は高貴な銀光を宿す大剣を見た。
――馬鹿な。
そう思い振り向いた魔族の視界には、本来あるべきはずのもの、すなわち燃え盛る死体の山はなかった。
その代わりに立っていたのは、ごうごうと燃える炎を身に纏った男。その手には板のごとき特大剣がある。
満身創痍という程度ではすまない。その身を劫火に包まれて、アランの体は既に真っ黒に焦げ、僅かに目や口と思しき穴が開いているばかりだ。立てるはずがない。だというのに、間違いなくアランは立っていた。
投げたのだ。腰に佩いていた王銀鋼の剣を。あれほど見事な剣ならば、確かに腐乱巨人の撒き散らす腐食の力も受け付けないだろう。
だが、それを投げて、あまつさえ巨人の頭を砕く攻撃にするなど、およそ人間に出来る事ではない。同じ大きさの金よりも重いとは、誇張でもなんでもないのだ。
それこそ英雄にしか出来ないことであり、しかしアランは英雄ではない。
そして魔族の男は直感した。それはもはや、アランではない何かになっているのだと。
身を炎に苛まれながら、灰の山となったそこを、その何かは歩み出た。
確かな足取りだ。確かな経験に裏打ちされた、しかし尚凡百の剣士の歩み。それは、もはや人ではない何かでありながら、それでも確かにアランである事の証明であった。
「……なんなんだ……お前は、何者だ……?」
炎に身を包まれたまま、首をかしげる。そして、ゆっくりと口を動かし始めた。言葉の発し方を思い出しているかのようであった。
「――ア――?」
枯れ木がうめく様なギシリとした声で、アランは何かを言おうとする。しかし、何かとまどうように口を閉ざした。
人間ではない。悪魔でもない。不死なる者にもなりきれなかったらしい。なら、自分は今、いったい何者なのか。
燃え盛る体に、もはや火種となるようなものは――物理的、魔法的含め――存在しない。すなわち、純粋に炎だけが彼の体を包み込んでいた。それは明らかに超常の力であり、彼がもはや何者でもない事の証明である。
そして何者でもないが故に、彼は自分という存在に、あっけないほどすぐに回答を見つけて見せた。揺らがない答えだ。
「――アラン」
何者でもないが故に――すなわち、"狂戦士"でも、"炎宿す指先"でも、不死なる者でもないが故に、彼は自分が、何者でもないアランである事を純粋に信じることが出来た。
もはや迷いはなく、胸の苦しみもなかった。自分はアランだ。かつての日、友の背中を思った少年、その残滓。それ以外の何者にもなれないし、何者でもない。
その確固たる自信のもとに、アランは紅に燃える特大剣を、魔族に向かって突きつけた。
そうしなければならない理由はどこにもない。アランにもう、戦う理由はないのだから。だが、彼の何かが叫ぶのだ。ここに刻もう、と。
俺が居た確かな証をここに刻もう、と。
「……いいだろう、相手にとって不足なし……ッ!」
魔族はそう言って、両手に持っていたボウガンを投げ捨てた。既にアランから尋常ならざる量の熱が放射されており、もはや木製のボウガンなど火種にしかならない事が分かりきっていたからだ。
そのまま腰から細剣を二振り取り出すと、魔族の男は高らかに名乗りを上げた。
「魔族軍所属、ヴィンツ・ローラン、推してまいる!」
もはやこれ以上の言葉など不要だ。全身の間接という間接は乾ききり、次々に軋みを上げるのを聞きながら、アランは魔族の男ヴィンツへ向けて天高く跳びあがった。




