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おしまいの地でまた会おう  作者: 秋月
第一章 救われぬ道を行く男
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第二話 狂戦士アラン

 キィ……。


 古いスイング・ドアが悲鳴をあげながらゆっくりと開いた。


 また誰か来たのか、といわんばかりに、受付嬢は疲弊した様子でちらりと目を向けた。ここの所、碌な冒険者が彼女の元に来ないゆえに、仕方ない事ではある。


 先日に至っては、倒せもしないデーモンの討伐依頼を、受付嬢のやんわりとした制止を無視して受託した者が居た。四人組みだった彼らは、仲間を二人減らし、一人も再起不能なまでの傷を負ってから失敗の報告を行いに来たのだ。


 しかも、その失敗を受付嬢のせいにした。見合った依頼をわたさないからだと。


 それ以来二日ほど、彼女の機嫌は悪いままだ。普段は依頼以外でも、口説きに来たり遊びに誘う冒険者が居るのだが、彼女の不機嫌さを見て、即座に回れ右してしまう。それほどまでに、彼女の怒りは強く恐ろしいものだった。


 不機嫌な顔で新たな参入者をにらみつけた受付嬢だったが、次の瞬間には目をむいて跳ね起きることになる。


 大柄な男だった。鞘も持たず、剥き身の両手剣を肩に担いだ男は、ズボンと外套以外の衣類を一切身につけては居なかった。全身は傷だらけで、切り傷や打ち傷、痣や腫れが所狭しと男の体を覆っている。そのうえずぶぬれで、つい今しがたまで湖にでも浸かってきたのかという形相である。


 スラムの乞食ですら、全身を覆えるだけの襤褸(ぼろ)を纏っているものだが、それらを恥じる様子も無く、男はカチカチと不思議な足音を立てながら受付まで歩いてきた。


 見れば、周りの冒険者もその壮絶な様子に何もいえない様子であった。事実、近くで酒を飲んでいた、顔に傷の付いた禿頭の男がかわいく見えるようなものである。無理は無かった。


 受付嬢は少し呆然としたが、ハッとして身構えた。剥き身の剣を持っている男であるから、強盗の類か何かかと思ったのである。


 男はそんな様子の受付嬢を無視して受付まで辿り着くと、どちゃりと嫌な音を立たせながら受付にそれを置いた。水の様に半透明で、歪に笑みを浮かべたままの首は、近隣を騒がせていた"雨の日の悪魔(レイニー・デーモン)"そのものである。


 しかも男が出した首は、十数名の冒険者を殺め、中堅の冒険者パーティー一つすらも半壊に追い込んだ、名つき(ネームド)のデーモン"笑う霧(ラフィング・ミスト)"のそれであった。歪んでいるとはいえ、死に顔に浮かんだ三日月形の笑みからして間違いない。


 受付嬢は二度目の驚きを得てから、慌てて仕事に取り掛かった。


 まさか、冒険者だったなんて! あの様子を見るに、流れの者なのだろうか? 賞金首の処理は久しぶりで、いくらかの作業を同僚に手伝ってもらわなければならなかった。


 急ぎながらも、長年の経験と同僚の助けを得て、何とか確認と処理を終わらせた受付嬢が戻ったとき、既に男はそこに居なかった。


「……えーっと」


 呆然とした様子で、キィキィと揺れるスイング・ドアを見つめる受付嬢。


 そこに、冒険者の一人が話しかけた。


「あの野郎は何も言わずに行っちまったよ、ナンシー」

「へ? 報奨金も受け取らずに?」


 冒険者とは基本、金と、名誉と、立身出世を第一に考える者の集まりだ。魔物との戦いに己を見出した者や、強さを得る為に冒険者になる者なども居るが、極少数である。


 そんな、欲望に忠実な者達が、多額の報奨金があると知りながら受け取らずに行ってしまったというのか? 受付嬢ナンシーは大いに戸惑った。


「名乗りすらしなかったぜ……あいつぁやべぇよ。ひっく。死にそうなのに、全然休みもしねぇ」


 酔いどれの冒険者がそういったことで、ナンシーは更に混乱し、思考の海に溺れそうになる。


 さっきの男は何がしたかったのか。今にも倒れそうな重傷を負ったまま、治療も受けずに行ってしまったのか。せっかく面倒な処理を経て持ってきたこの多額の報奨金をどうすれば良いのか。まして、ギルドマスターにどう説明すれば良いのか。


 そうして大いに混乱し、惑いきった彼女の脳裏に、たった一人の人物の名が浮かんだ。


 碌な装備も服も無く、傷だらけのまま放浪し、戦い、そして何も求める事無く去る。風の噂に聞いた、その名が。


「……まさか、あれが"狂戦士"アラン?」


 ポツリと呟かれた受付嬢の言葉が、雨上がりの湿った空気にほろりと溶けて消えた。




 彼は、まだ水溜りの多く残るとおりを、カチリカチリと音を立てて歩いていた。


 賑やかな通りを避けて、裏道を進む。半ば狂いながらも、自分が尋常な様子では無い事ぐらい、アランにも分かっていた。


 とはいっても、歩いているばかりで、アランは何も考えてはいなかった。精々、この町からどうやって出ようか、その程度のものである。


 あからさまに怪しいアランが壁を持つ街に入れたのは、掴んでいたデーモンの首ゆえだ。


 満身創痍の幽鬼の如き男が、デーモンの首を片手でぶらさげて外壁によってくるという、あまりの光景に気が動転したのか、外壁を見張っていた衛兵が逃げ出したのである。アランはその間に、さっさと入ってしまったのだ。


 ただ、アランはそもそも街に入ろうとする気はなかった。たまたま、向かった先に外壁に囲まれた街があっただけのことである。デーモン討伐の証に首だけ突き出し、この街を早急に出てしまおうと考えていた。


 しかし、歩けば歩くほど、体は重い。あたり前といえば、あたり前だ。全身傷だらけで処置もせず、何時間と雨に打たれていたのだ。雨が止んで、僅かに日光が当たることで、男は何とか首の皮一枚つながっているのである。


 到底、血眼になってアランを探しているであろう衛兵からは逃げられそうに無かった。


 人は殺したくない。体を揺らすたびに、ガチャリと両手剣が音を立てた。魔物を無数に切り捨ててきた。王国軍の名の下に、無数の魔族も切ってきた。それでもアランは、一度は守ると誓ったものを、切り捨てたくは無かったのである。


 当ても無く歩く彼の脳裏に、それがあったかは別として。




 結局、適当な路地に座り込んだ男は、ぼうっと空を見ていた。鉄の走る音――おそらく、衛兵のもの――が表通りから聞こえる。この道もいつ、捜索が入るか分かったものではない。


 ここも安全ではないと知ったアランは、剣を支えに立ち上がった。先ほどよりもずっと鈍重な動きで、全身を小刻みに震わせながら。


 そうして、踏み出した一歩目がもつれ、アランは顔面から地面にたたきつけられた。鼻を強打したことによって、鈍痛と出血が彼を襲う。もはや、体力は底をついていた。歩く気力だけはあったが、それだけだ。気力だけではどうにもならない段階まで、彼はもう来ていた。


 彼が倒れ付したその場所こそ、正に死の淵である。


 雨上がりの路地は妙にひんやりとしていて、ひどく静かで、寂しい場所だった。


 どうも、ここが終点らしい。アランは静かに目を閉じた。静かに永い眠りへ落ちて行く意識に、大通りの喧騒と誰かの小さな声だけがうっすらと聞こえていた。

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