第十六話 剣の行方
コォン、コォン。控えめに石の格子を叩く曇った音に、アランは目を覚ました。若干の郷愁と、刺す様な胸の痛みを感じながら。
全身を軽く動かして調子を確認すると、彼はようやく、訪問者の方へと向き直った。
格子の向こう側に立っているのは、見覚えのある長耳の女戦士――ユリンであった。苦渋に顔を歪めながら立つその隣に、やや背の低い女が並んでいた。
「……遅くなって、本当に申し訳ない。疑いは晴れました、釈放です」
アランは、務めて気にしていないかのように適当に手を振った。がちゃり、と鍵を開ける音がして、何日がぶりに石格子の扉が開いて行く。
言葉は無いが、おそらく出て来いという意味なのだろう。重い体を引きずるようにして、アランはようやく虜囚の身から解放されるべく、その身を格子の外へと踏み出させた。
幾分か雰囲気が変わった様な気さえするのは、単なる勘違いか、あるいは牢という場所の空気ゆえか。なんにせよ外に出れたアランは、ひとまず目の前の二人に目を向けた。
「ええと、話さなければならない事がいくつかあります。立ち話もなんですので、こちらに」
ユリンは一瞬、自らの長耳をびくりと震わせてからそういうと、くるりと踵を返して先導し始めた。小さな背の女は、それを物珍しげに見てから、アランの方を見やった。
じろじろと、明らかに品定めしている視線に対し、アランは何の反応も起こさなかった。ただ、視線を返しただけだ。
すると、興味を失ったかのようにして、背の低い女はユリンの背に従って歩き始めた。彼もそれにならい、カチリ、カチリと不思議な足音を立てて歩く。
不思議な、というのは、彼が靴をはいおらず、素足だからだ。本来なら柔らかいはずであり、硬質な足音などしよう筈も無い。しかし、彼の足音は、現に石を思わせる様な硬さを持っていた。
ユリンはそれに不自然さを感じながらも、ひとまず牢獄を出て、自分の家――すなわち、族長の家を目指した。
一本の巨大な木の中を彫りぬき整えた木の家は、およそ自然物が元だったとは思えないほどに精巧さを感じさせる造りであった。壁には滑らかな印象さえ覚え、床は綺麗に平面になっている。
それが元々族長の家であった――アランは、この後知ることになるが――為なのか、長耳の里の住居は全てこんな風なのか、彼には判断がつかなかった。
ユリンが先に椅子に座っているように促した為、アランはそれに頷いて答え、椅子に慎重に腰を下ろした。長耳族の平均的な大きさの者達に合わせたであろう椅子は、アランには少し小さく感じられた。
それに、それは明らかに来客用の椅子だ。心なしか、他の椅子よりもずっと綺麗に磨き抜かれており、良く見れば、木の根を模したであろう見事な彫刻も彫られていた。
自分のみすぼらしい見た目とは到底合わない椅子に、アランは若干の居心地の悪さを感じながらも、家主が促したのだからと黙って座っていた。
しばらくして、なにやら飲み物を持ってきたユリンが座り、ようやく話が始まった。
「容疑については、真に申し訳ない。言い訳になりますが、長老会が何を言っても聞いてはくれませんでした」
「いや、構わない。急いではいるが……そのことで、誰かを心配にさせる気は無い」
彼はそう言って、一言断ってから出された飲み物に軽く口をつけた。出された物を放っておくのは無礼にあたるか、と考えたからだ。
一見透明な水に見えたそれは、しかしほのかな甘い風味を感じさせた。ユリンが言うには、木の蜜をほんの僅かに混ぜたのだという。
「……それで、何か探している物がある、とのことでしたが」
本題に入るべく、彼女は小さく咳払いをした後、机の上で腕を組んだ。
時間はあるが、余裕はあまり無いのだ。そう無駄な時間を過ごすべきではない。アランも、口をつけたカップを一旦机に戻してから、口を開いた。
「赤いマントローブを着た魔族を追っている。目撃情報など無いだろうか」
「魔族を?」
赤いマントローブ、と小さく復唱して、ユリンは近くの台においてあった書類を手に取ってあれこれと見始めた。
ちらりと見えた文面から察するに、巡回の報告書らしい。アランには知る由も無い事だが、彼女は今巡回兵のそれなりに高い位置に居る。警戒についての情報は全てユリンの元へ集まってくるのが現状であったのだ。
しばらく時間が掛かりそうだ、と思った彼は、ふと自然に座っていた背の低い女が目に入った。
赤髪、というには少し濃すぎる髪はざっくばらんに切りそろえられており、端はピンと立っている。また、所々三つ編みにされた部分には輪の髪飾りを付けられており、そういった特徴から、おそらく石人族なのだろう。
そして、その女もまた、アランのことを見つめていた。じろじろと遠慮の無い視線は、顔や傷よりも、筋肉の方に向いている様に感じられる。
「……戦士やってきて、何年だい、あんた」
そうしてしばらく、互いに見詰め合った後、不意に石人族の女が口を開いた。その言葉に、彼は首を少しかしげてから、改めて考えた。
「…………訓練をし始めたのは、十歳か、そこらだったと覚えているが」
「そうかい。……じゃ、あんな剣の使い方する割に、ド素人って訳でもないわけだ」
ふうん、と面白くもなさそうに女は呟くと、頬杖をついて彼から視線を外した。
アランはその様子に、ふと自分の剣は何処に行ったのだろうと思った。そういえば、釈放されてからも手渡されてはいない。
里を出るまで返してもらえないのか、あるいはどこかに収納する過程で壊れでもしたのだろうか。それは困るな、とアランは眉を顰めた。
思い入れがあるというわけではなく、代用の品はいくらでもあるだろうが、彼は金を持っていないのだ。品があっても買うことが出来なければ意味は無い。
「……俺の剣、どうなったか知らないか」
今、資料を探るのに集中しているユリンの邪魔をするのは忍びなく、彼は石人族の女に問い掛けた。適当にコップを弄んでいた女は、む、と呟いて彼の方へと向き直った。
「あんたの剣だろ? あれは、勝手にあたしの工房で預かってるよ」
女はそう言って、弄んでいたコップから水を飲み干すと、アランに向かって吐き捨てる。
「アタシは鍛冶師だからね。無茶な扱いでガタガタの剣を放って置けってのは無理な相談さ」
「……そうか」
暗に、お前の扱いは雑だ、といわれているのだ。アランはそれを感じながら、しかし何一つ弁明するでもなく、手の中のコップを覗き込んだ。僅かに揺れる水面に、傷だらけな自分の顔が写っていた