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おしまいの地でまた会おう  作者: 秋月
第二章 刃を握る理由
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第十三話 声無き祈りに応える者

 ユリンが出した指示は撤退目的の交戦であったものの、その考えとは逆に、怪物との戦闘は長引いていた。


 長耳巡回兵側は最初にひき潰された一名以外に損害はないものの、それは怪物も同じだ。回復能力の類は持っていないようだったが、巡回兵が与えられた傷は少ない。

 大したダメージとなっていないことは、怪物の様子からも明らかだった。


 彼女は逐次指示を飛ばしながら槍を振り、時に魔法も放ち、一身に怪物の注意を受けていた。理由は定かではないものの、怪物の注意(ヘイト)はほとんどユリンに向かっていた。


 それをいい事に、彼女は怪物を手玉にとっていた。


 死体色の怪物は直線の動きは素早くとも、末端の動きはそれほど早いわけでもない。尾による攻撃(テイルスイープ)も、怪物が体を大きく振りかぶる予備動作がある為に、動きが読みやすい。

 こう来ると分かっていれば、身軽な彼女にまともに当たる筈もなかった。


 一撃、二撃、三撃。ユリンは確実に攻撃を受け、逸らし、流す。


 いかに鍛え上げた体に緑銀(ミスリル)の鎧を着ていようとも、同じように緑銀の鎧を着た同胞の無残な死体を見れば、とても安心する事などできない。


 それに、この手の怪物は、俊敏さを代償に、並々ならぬ膂力を持っているのが常だ。下手に直撃するような事があれば、ユリンも彼と同じような死体を晒す事になりかねない。


 緊張の中、汗で手が滑らないように祈りながら、ユリンは今一度攻撃を受け流して、持ち直す瞬間に思考をめぐらせた。


 このままではじりじりと追い込まれて行くだけなのは彼女も分かっていた。下手に逃げようとすればひき潰される事は明らかである上に、このまま戦闘を続行するのは困難かつ無謀である事も分かりきっている。


 なにせ、火力が足りない。


 ここには専業の魔法使いが居ない上、皆戦士としてある程度習熟こそしているが、誰も対怪物用の武器――大弓や、魔法の武器の類――を持っていない。数で押しつぶそうにも、巡回兵達に大した数は居ないのだ。


 戦闘を続けても、殺しきれない以上、体力が何時か切れることは明白だ。こと此処にいたって、人と怪物(モンスター)のスタミナの差は覆せないものとして横たわっている。


 どうにか隙を見つけるか動きを止めるかして部隊の一部を、無理でも一人か二人ぐらいは里に送らなければならない。


 ふてくされていようが、左遷されて此処に来ていようが、ユリンとて誇り高き長耳の戦士だ。ここで自分の命惜しさに仲間を見捨てるような真似をする気はなかった。


 厄介と判断したのか、ぐねりと四本の腕が動き、彼女を包み込むようにして殴りかかってくる。一瞬判断に迷ったユリンだったが、槍ごと地面に伏せて腕を回避すると、素早く体勢を戻して後ろへと跳んだ。


 腕が戻る一瞬の隙を付いて、巡回兵が三人、その体めがけて『炎矢(ファイアボール)』を放った。にわかに閃光が走り、怪物の腹部に命中する。


「ヴォオオオオオオオッ!」


 じゅうと音を立てて焼け焦げる自分の体に、怪物がのた打ち回る。腕や背中の触手で打ち落とされていた魔法がようやく命中し、多大な効果を与えたようだった。


 森林に於いて火を使いたくは無いが、怪物には火が有効な様である。しかしながら、今はそんな事を言っている場合ではないだろう。ユリンは火炎による攻撃の指示を出そうとしたが、間に合わなかった。


 勢いだった巡回兵から、四人ほどの戦士が飛び出した。槍、剣、斧を振りかぶり、苦しみもだえる怪物にそれぞれの全力の一撃を繰り出した。


 それらは皮を切り、肉を裂いて怪物を傷つけた。傷口から緑色の血液がかなりの勢いであふれ出す。


 ――行ける。そう確信したのか、もう二名の兵士が近寄って攻撃を放とうとした。


「――下がりなさい、今すぐッ!」


 鋭く叫ばれた一声はしかし、誰にも届かなかった。


 刹那、鋭く青白い一閃が走る。凄まじい速度で飛来したそれを避けられず、五名の巡回兵は軒並みその攻撃を受け、地面へと倒れた。()()()()()が、どちゃりと落下する。


 呆然とした顔の彼らは、自分達がたどった結末が何だったのかすら分からずに死んだのだろうか。


 下半身は棒立ちになったあと、指令塔たる脳を失った事で一瞬にして崩れ落ちた。血が神聖なはずの森を赤く染めて行く。


 離れていた者達には、彼らの結末が見えていた。背中から生えていた青白い触手が凄まじい速度で振り回され、まるで刃の如く彼らの上半身をなぎ払ったのだ。


 緑銀の鎧は形こそ残っていたが、それを着ていた長耳の者達は、胴鎧と足鎧(レギンス)で引きちぎられてしまっていた。どれだけ硬い鎧だろうと、中の人間な守れないのでは意味がない。


 怖気ずいた長耳の兵士一人へ、今度は怪物の手が伸びた。


 ユリンから見た死体の様な色の手は、まるで冥府の住民の様であった。


「ぁっ……!?」


 手を伸ばされた巡回兵が、目を開いて体をこわばらせた。逃げなければと、足に力が入る。だが、もう遅い。腕は既に伸ばされ、手は彼を掴む為に大きく開いていた。


 握りつぶされるか、地面に叩き付けられるか、あるいは生きたまま貪り食われるのか。それらのどれにせよ、碌な死に方とはいえない。


 一瞬にして絶望の空間と化したそこで、彼は最早、自分の生存は無理だと悟り、せめてもの抵抗に目を強く閉じた。真っ暗な空間で、冷酷に時が過ぎ――。




 しかし、死の瞬間はやってこなかった。その代わりドンと突き飛ばされ、長耳の男がハッと目を見開く。体は宙に浮き、既に死の領域たる怪物の手から逃れていた。


 彼が先ほどまで居た場所には、見目麗しき長耳の女戦士が――ユリンが立っていた。両手を前に出した体制で無防備に掴まれる彼女が、彼を突き飛ばしたのだろう。


 男は何か言おうとしたが、その前に、ユリンが悲痛な声で叫んだ。


「逃げなさい!」


 怪物は蕾のようになっていた頭部を大きく開いた。真っ赤な口内がユリンの目に写る。歯が見えないが、それは逆に、胃の中で生きたまま溶かされるという事を暗示していた。


 ユリンはゆっくりと動き始める視界の中で、自分は立派に出来ただろうか、と祖先に問うた。身勝手にも騒ぎを起こし、左遷されてきた身でも、里の助けになれただろうか? 彼ら長耳の祖たる森は何も応えなかった。

 やはり自分は、長耳の恥さらしたる身に変わりはないのだろうか。無益な思考が彼女の頭を巡り、最期に考えた事は、また全く別の事であった。


 死にたくない。


 もがこうとすらなれない無気力の中で、しかし涙をこぼしながら、ユリンは祈った。大地だとか、自然だとか、運命(さだめ)司る神鳥。ともかくその類へと向けて祈った。


 誰か、助けて、と。




 祈りは届く。たとえそれが、神ならぬ身だとしても。


 物理法則にしたがって、刃ごと彼の体が落下する。鍛え上げられた筋肉と剣の重み、そして彼自身によって込められた"気"によって、怪物の右前腕が切り落とされた。


 それは暗い瞳を携え、鎧一つ着ていない人影。あるいは、"狂戦士"アランと呼ばれる男だった。

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