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おしまいの地でまた会おう  作者: 秋月
第二章 刃を握る理由
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第十二話 死体色の怪物

 巨大樹の一本をめきめきと引き倒しながら、それは木の陰から唐突に姿を現した。


 死体を――それも、腐りかけのものを連想させるような緑がかった色の肌をして、上半身には人の腕に似た前足を四本。体の下半分に当たる部分は蛇のように地を這っていた。


 頭部と思われる部分には目が見受けられず、閉じた(つぼみ)のように切れ目のようなものが入ったしぼんだ形だった。


 背中からは無数の青白い触手が気色悪く蠢いており、何かを掴もうともがいているようにも見えた。


 そして何よりも驚くべきはその体躯。森の中にありながら、何故これほど近づかれるまで見つからなかったのかと思うほど、それは大きかった。全長はおよそ十一メートルほどになるだろう。


 ゆらり、ゆらりと体を揺らして、それは――怪物は、長耳の巡回兵達を既に感知範囲に捉えているようだった。


 ふしゅう、と怪物の吐息を聞きながら、ユリンは聞こえる最低限の声で巡回兵に指令を下す。


「刺激しないよう、アレを視界に入れたまま下がる。もし襲ってくるようなら、交戦するわよ」


 返事を聞かないうちに、彼女はゆっくりと後退し始めた。手には槍を持ち、周囲を不安にさせないために強気な態度でこそ居たが、手は小さく震えていた。


 周囲の者達も、彼女の指示に従って各々の武器をしっかりと握りながら下がり始める。


 何はともあれ、この場を脱さなければ。ユリンはそう考えた。異形の怪物が居たという報告だけでも行うべきであり、討伐は後回しにした方が良いと。


 それは、かなりの年を生きてきたはずのユリンでさえ、聞いた事の無い姿をした怪物だったからだ。どれほどの強さを持つのか、どんな能力を持つのかも分からない以上、うかつに手を出すべきではない。


 なにせ、干からびた死体が動いているようにしか見えないものが、突然強力な魔法を放ってくる事すらあるような世の中だ。警戒するに越した事は無い。


 たとえ想定外だとしても、慎重さを忘れる無かれ。ユリンの脳裏に、二十年前に死んだ祖父の格言が思い起こされた。


 互いに沈黙を続けるうち、ゆっくりと距離が開いてゆく。彼我の距離、およそ七メートル。一歩、また一歩。このままなら、あの怪物も興味を失いそうだ。彼女はそう考えて一瞬、ホッとした。


 それが間違いだった。


 枝をパキリと踏み折る音がする。他でもなく、ユリンが踏み折ってしまったらしかった。


「ヴェォアアアアアアアッ!」


 まずい、とユリンが下がろうとした瞬間、怪物が吼えた。およそ真っ当な生物とは思えないような気色の悪い叫び声に、巡回兵達の体が硬直した。


 ユリン自身もがたがたと震えながら、それでも叫んだ。


「総員、戦闘準備ッ!」


 彼女の声に、巡回兵たちの硬直が解けた。それが功を奏したのか、怪物の一撃目――高速の体当たりに巻き込まれたのは、一人だけで済んだ。


 しかしながら、その威力は圧倒的だ。その質量に押しつぶされた長耳の男は、絶望を顔に浮かべながら踏み潰され、後には金属と肉塊が混じったものが残っているばかりだった。


 その有様に恐怖した者達は一斉に怪物から遠ざかる。それは決して逃走ではなく、陣形を投げ捨てても、まずは距離を置くべきだと彼らの戦士としての勘が働いたのだ。


「ユ、ユリン隊長! どうすれば!?」

「撃退を目的に攻撃するわ! できなくても、どうにかして里まで逃げるわよ!」


 恥も外聞もないが、巡回兵の仕事は異常事態を察知し解決、あるいは報告する事にある。この場で情報を残せずに死んでも、魔道具のおかげで、異常があったことは分かるだろう。


 だが、その為の調査団に充分な護衛が無かった時、犠牲者を増やす事になる。死人を減らす為にも、ここで死ぬのは避けたかった。


 それに、里の入り口として聳える大門は度重なる改修のたびに魔法強化を受けた重鉄鋼と古白木(シルバーウッド)で出来ている。たとえあの怪物の体当たりだろうと、傷一つ付かないだろうことをユリンは確信していた。


 長耳の巡回兵達は怯えが残った表情で、しかし指示に遅れる事無く陣形を組んだ。怪物に対して横に並ぶような形で、前後二列に分かれた。


 下手に散開するよりは、ある程度まとまっておいた方が防御も攻撃もしやすい。二列縦陣はどちらかといえば防御向きで、ユリンの支持通り生存を重視した形の陣形であった。


 怪物はもう一度ユリンたちに向かって叫ぶと、陣形の左側――怪物にとっては右――へと突っ込んだ。人の物に似た足を素早く動かし、体を大きく左右にくねらせながら突っ込んでくる様は正に怪物といえよう。


「左翼側、散開して回避に専念! 右翼、矢と魔法の準備しなさい!」


 そういいながら、ユリンも手早く詠唱を開始する。人よりも器用かつ俊敏な者の生まれやすい彼らは、魔法を手足のごとく扱える事でも有名だ。その代わり、筋力は他の種族に劣る事でも。


 勝気な彼女は、只人並みの筋力は持ち合わせていると自負していたが、それでもあの怪物の皮膚を突き通せるかは怪しいと考えた。


 知らない怪物は最強のものとして考えるべきだという事を、彼女は祖父の話と自分の経験から知っていた。


雷電(トルス)――収束(レイグ)――」


 この世に混在する魔力は、真なる言葉によってのみ干渉でき、三つの真言を持って魔法と為す事が出来る。それらの制御は難しいものであるが、長耳は、特に真言を手繰る力が強いとされている。


 ユリンとて、戦士の道を歩んでこそ居るが、実際は魔法戦士だ。緊張の最中だろうと、魔法の補助となる杖を持っていなかろうと、簡単な攻撃の術程度扱え無い事は無い。


「――放射(エトア)! 『電撃波(ライトニングパルス)』!」


 その手より放たれるは、鋭く叫ばれた魔術。扇型に放たれた雷撃は、貫通力こそ無いが、巨大な化け物や複数の敵を相手取る時には役に立つ。同時、構えられていた弓からいくらかの矢が飛んだ。


 そうして全ての攻撃が怪物に命中した。だが、雷撃は表皮が多少焦げる程度、矢もいくらかが軽く刺さった程度で、大したダメージは与えられていないようだった。


 ――いや、肌で受け流されたか。


 雷撃が効き辛い、あるいは効かない肌を持った怪物はごまんといる。チ、と舌打ちが漏れるが、ユリンは槍を構えなおしながら叫んだ。


「雷は駄目よ! 炎か純魔で攻撃しなさい!」


 死体色の肌をした怪物は、多少なりとも与えられた魔法によるダメージにいらだったのか、ユリンに向かって再び突撃を仕掛けてきた。


 それを横に避けようとして、彼女の直感が叫んだ。違う、体当たりじゃない! 咄嗟に地面を蹴りつけて高く跳躍したユリンの目に映ったのは、大きく薙がれた尻尾のような下半身。

 体ごと尾をなぎ払ったのだろう。


 ぶくぶくと肥大しているそれが当たればどうなるか、想像するのはたやすかった。ユリンは自分に降りかかりそうになった結末に身震いし、尻尾による攻撃にも気をつける様声を上げた。

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