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おしまいの地でまた会おう  作者: 秋月
第一章 救われぬ道を行く男
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第一話 霧雨を切り裂いて ★

 ふと雨が降って、彼の体を打った。


 その冷たさに目が覚めると、ぼんやりとした視界の中に、ふわりと風が入り込んだ。


 ぎしぎしと軋む間接を無理やりに動かして起きた男は、自分の体の限界が近い事を感じた。まだ若いといえる年であるにもかかわらず、その動きはあまりにも緩慢であった。


 ろくに休息もせずに体に無理をさせ続けたせいだろう。まともな治療も施されなかった切り傷は膿み、打撲傷は黒い痕として残っている。そんな満身創痍の体を包む服すらも無い。


 後、何日持つだろうか。男は雨を眺めながら考えた。


 しばらくそうして雨に打たれていた男は、不意に愛剣を杖代わりにして立ち上がった。最初はふらついたものの、すぐに体勢を正すと、ひょいと剣を肩に担いだ。重たそうな両手剣は、酷く使いこまれた様子で、男の手に良く馴染んだ。


 しっかりとした整備のされていない両手剣は、使い古された様子で男の肩に乗っている。使い主に似たのか、刃こぼれは目立ち、所々焼けた様な痕も着いている。折れなかったのは、偶然というほか無いだろう。


 何時の間にか鞘すらも無くした剣を、男は構わず肩に担いだまま、ゆっくりと雨の中歩き出した。


挿絵(By みてみん)


 水溜りを避けもせず踏み、雨に無防備に打たれ、尚歩く彼の体温は尋常ではない速度で低下していく。傷は深いというのに、それでも彼は歩き続けた。まるでそう命じられたゴーレムの様に。


 道無き道を、彼はふらふらと歩き続けた。




 そうして、どれほどの時間が経っただろうか。


 不意に、彼の周囲の霧が濃くなる。不自然な霧に彼が足を止めた時には、辺りは霧でまったく見えない状態になっていた。霧の中に、謎の笑い声が響く。


 しばらくぼうっと突っ立っていた男は、雨の中響く笑い声に耳を澄ませ――そして、滑らかな動作で背後へと振り返り、思い切りよく肩に担いでいた剣をなぎ払った。


 ぶうんっと轟音が走り、霧がはじけた様に後退した。依然霧に包まれたままの彼だが、しかしその目は先ほどよりも明白にそれを、すなわち"敵"を捉えていた。


 男が切り払ったのは深い霧の中にあって尚、青白く見える程に濃い霧だ。それは次第に、人を模したような形へと変わってゆく。二つの手、二つの足、そして体と頭。しかし、それが人では無い事は明らかだった。


 ゆっくりと姿を現したそれは、一言で表すなら、雨で出来た悪魔そのものだ。


 それは水の様に半透明な姿で、地面に手が付きかねない程に猫背だ。背中から生えた羽は、皮膜でも羽毛でもなく、歪な形をしていた。あれでは、とても空を飛ぶことは出来そうにない。


 明らかに生物として異質なそれは、東の大陸ではデーモンと呼ばれる類のものだ。


 明確に顔といえる様な部分は存在しないのに、それは笑っていた。不気味な三日月を、頭を模したであろう部位に浮かべているのだ。デーモンの殆どがそうであるように。アランは、笑う悪魔を、無表情で見返しながら、剣をそっと肩から下ろした。


 雨の中現れたそれは、デーモンの中でもエレメンタルと呼ばれるものの一種だ。人呼んで、"雨の日の悪魔(レイニー・デーモン)"である。


 彼の記憶の限りでは、雨の日――特に、今のような霧雨の日に出没する中位のデーモンである。見てくれの通り、水の体を持ち、形状を自在に変形させる事ができる。また、霧や雨雲を操る事が出来、その中に身を潜め、雨に濡れて疲弊した獲物の首を切り裂くのだ。


 アランは油断無く剣を構えると、一度全ての息を吐き出した。そして、冷たく新鮮な空気を肺に叩き込むと同時に、一瞬のうちに踏み出した。


 ダンッ! と踏み切られた足が軽く地を揺らし、その力を乗せて渾身の袈裟懸けが振り下ろされる。明らかに致死の威力を持ったそれに無抵抗に切り落とされた悪魔は、その定型を失ってパシャリと地面に落下した。


 しかし、彼は未だ剣を強く握りこみ、構えを解かないまま微動だにしなかった。なぜなら、彼の危機察知能力は、必死に危険を訴えていたからだ。まだ脅威は去っていないと、彼は直感的に理解したのである。


 それを証明するように、不意な殺意が彼の背を強襲した。そのままなら、確実に背後から胸板を貫かれただろうが、アランはその程度が見抜けない男ではない。


 戦場では、全方位が危険となる。生き残る為には、戦場に居る間、全ての事に気を配らなければならない。それが出来ないものから死んで行く。アランは、それらの中で、"生き残った"手合いである。殺気に合わせて見もしないままに剣を振るうと、重厚な刃に伸ばされた爪が弾き飛ばされていた。


 レイニー・デーモンは、デーモンの中でも水の力を得た特異な者達を指す。その結果――或いは代償――として、水の体を得ているのである。


 変幻自在の肉体は、平面にも立体にもなる事が出来る。剣で斬っても、鎚で叩いても意味が無い。なぜなら、レイニー・デーモンは水そのものであり、水は斬撃も打撃も易々と受け流してしまうからだ。


 だが、最も厄介なのが、情報不足の初見討伐者を死に至らしめるその戦術である。まず初めに、相手に自分を切らせる、もしくは叩かせる。攻撃を受けると同時に、パシャリと力なき水の様になって地面の水溜りと化す。


 そうして、"倒した"と油断して背を向けた者達の首を掻き切るのである。水でしかない筈のデーモンの爪は、しかし恐ろしいほどの鋭利さを秘めている。


 奇襲に失敗しあからさまに顔をしかめたレイニー・デーモンだったが、不意ににやりと笑うと、今度は霧に溶け込む様にして姿を消した。


 サァー……。


 暫時、霧雨の淡い音だけが響き続けた。


 じりじりと方向を変えながら、アランは警戒を続ける。敵は霧の中だ。霧は四方八方を囲っていて、どこから来るか分からない。ましてや、水の扱いに長けたレイニー・デーモンは霧の動きすらもよく分かっていた。彼が剣を振り回したところで、余計に体力を消耗するだけだろう。


 ゆえに、彼は待った。じっと、じっと、待ち続けた。


 忍耐というのは、苛烈かつ刹那的な戦いにおいて、時として必要になる。切りかかったり、飛び掛ったりするタイミングや、敵の攻撃をひきつけてから避けるという見切りの技術などだ。


 戦場で鍛えられた男のそれは、デーモンを焦らせるには充分なほどあった。


 ポチャン。


 雫の落ちる音がして、デーモンがアランの真横に姿を現した。既に爪を振りかぶった体勢のそれは、正に勝利を確信していた事であろう。


 ――淡く光を纏った刃が、自らに迫っているのを知るまでは。




 雨が止んだ。


 ようやく晴れたその場所に、何も居はしなかった。

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