一茜の歌集(にのまえあかねのうたノート) 鑑賞したい休日
ここは古典を味わう喫茶店。ゆっくりしてってねー。
さあ鑑賞するぞー!
というわけで今回は個人的に好きな和歌や文章を紹介していきます。(数字は順位ではありません。)
1.
瀬を早み
岩にせかるる
滝川の
われても末に
逢はむとぞ思う
《現代語訳》
川の流れが速いので、岩によって滝川が2つに分かれて、それがまた1つに戻るように、今はあなたとわかれていますが、必ずいつか会おうと思います。
ちはやふる神のような作品。雰囲気も好きなのですが、2人の運命を川の流れに例えるところも好きです。繊細な感性で豪快に恋愛をとらえた感じですね。
百人一首の作品の中の1つで、作者は崇徳院さんです。
昔、百人一首を覚えてみんなでやったのはいい思い出。無双気味だった茜なのですが、この話はかるた部に入ったということではなく、趣味の範疇。
今、百人一首をしようと思っても結局は茜は初心者。新しくはじめるにはハードルの高さを感じています。
こんなことを言っていると、とある枕詞が題名の映画化されたものの影響か聞かれるのですが、機会を逃してしまい、それは見ていません。
2.
由良の門を
渡る舟人
かぢをたえ
ゆくえも知らぬ
恋の道かな
《現代語訳》
由良川の河口を漕ぎ渡る船頭がかじを無くして漂うように、行方が分からない私の恋の道だなあ。
茜の勝手なイメージなのですが、霧の中を船が迷走しています。(全然そんなこと書いてないけど。)
具体的に言うと、縁語の使い方がいいですよね。また、
恋に迷いが多いということを読んだこともすごいと思います。
本当にすごい。
(急に語彙力低下した茜の感想。)
作者は曽禰好忠さんです。
百人一首に出会ったのは中学生だった時。
お風呂で覚えれる百人一首のポスター的な物をもらって、とても喜んだ思い出があります。
今はどこいったか忘れましたが、
「渋いなー。」
と友達に言われたことは記憶に鮮明。
川柳や俳句と比べると断然和歌が好きなんですよね。これも少し不思議。
和歌との出会いに感謝。
3.鏡に色形あらましかば、うつらざらまし。
《現代語訳》
鏡に色や形があったならば、景色は映らないだろう。
これは和歌ではなく、普通の文章。
こういう捉え方ができたら幸せですよね。
「この頃は単純に科学が発展していなかった。」
そう片付ける人もいるかもしれませんが、ちょっと余裕をもってみるのも素敵ではないでしょうか。昔なのだから、総合的に見ると今が良いと思うのは自然なこと。でも悪いものとかたずけるのではなく、昔にあった良さを拾っていければ……と思っている茜ここにあり。
この文を見ていると、なんだか鏡がすごく不思議なものに見えてきます。
「とりあいず鏡をファンタジーの物語で使えば、それっぽくいい感じの世界観が描ける!」
とネット小説が好きな友達が言っていた気もします。
(まあそれが正しいかはよく分かりませんが。)
徒然草の「主ある家には」より抜粋でした。
4.
長き夜の
遠の睡りの
皆目覚め
波乗り船の
音の良きかな
弥(茜の友達)「この和歌の秘密わかる?」
茜「………………………………なんだろ。」
弥「わかる人は分かる……いや無理か。」
茜「なにそれ〜。」
弥「回文。」
なかきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな
(読み方は少し古いです。)
初めて見た時、意味がわかりそうで分かりませんでした。
弥にこれを教えられて、意味を調べたのですがすると衝撃的事実が発覚。
出典元や解釈は複数の説があるのです。この和歌。
まあ、夜に視界はよくなくても「耳で穏やかな景色を楽しむ」ような感じの和歌だと茜は思っています。
回文で和歌を作るのは難しいこと。誰かは分からないけれど、作者をリスペクト。
(茜も作ろうとしたけれど、できませんでした。頑張ってみても回文を作ることでさえ難しい。)
ということで今回は鑑賞がメインでした。(ひとりごと多くてすみません。)
和歌を作るためには和歌を知ること。でも昔に縛られすぎず少し自由な作者の茜ですが、どうぞこれからもよろしくお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
この解説の作者の一茜は和歌を詠むこともしています。そちらもよろしくお願いします。