Ⅰ-Ⅰ
「困ったな……」
自慢の俊足で移動すること数十分。ブリセイスやメラネオスの姿は、未だに発見できていない。
しかし大凡の方向は分かる。神馬であるバリオスが、その身体から隠しようのない存在感を放っているためだ、神の気配とでも言おうか。
第六巻に囁かれるまま、俺は果てのない大地を駆けていく。
「ん?」
走っていくと、地面に差した巨大な影を発見する。
いや、影ではない、亀裂だ。幅数百メートルに及ぶような亀裂が、俺の正面に広がっている。
まるで、大地が口を開いたかのような絶景だった。底を覗き込んでみても、暗闇に塗り潰されてまったく見えない。
「凄いな……」
はぐれた仲間達を探すことも忘れて、俺は自然の偉業に興味を惹かれていった。
こうなったら自力で底まで降りてみようか? あるいは神馬紅槍を使って、どれぐらいの深さがあるのか調べてみるのも悪くない。
素直に自分の好奇心へ頷いて、俺は紅槍を構える。
「たけ――」
「はいはい、そこまでにしておきなさい」
貶すのではなく、なだめるだけの優しい声。
ブリセイスだ。別れる前と何一つ変わっていない彼女が、いつの間にか隣に立っている。
「おっ、無事でしたか」
「ええ、お陰でさまでね。君の方は?」
「見ての通り五体満足ですよ。敵の方も難なく退けられました」
「さすがね。あ、メラネオス様が待ってるから、直ぐに来てくれる? 思わぬ助っ人も出てきたし、これからについて話し合わないと」
「助っ人、ですか?」
顎を引いて肯定するブリセイスは、背を向けると崖の方へ歩いていく。
何をしてるんだと首を捻りたくなるが、問いかけるよりも先に真意は明らかとなった。人の手によって整備された階段が、崖を伝って下へと延びているのだ。
もちろん底まで続くような代物ではない。が、道を追った先には洞窟らしき入り口がある。その左右には見張りらしき男達もいた。
「あの先でメラネオス様が待っているわ。行きましょ」
「了解です」
第二形態へ移ろうとしていた神馬紅槍を、俺は彼女の指示通り引っ込める。
階段はそこまで急なものではなかった。一歩右に動けば奈落の底へ真っ逆さまなのが、唯一にして最大の不満点なぐらいである。
もし落ちたら、なんて考えると足が竦む。英雄なのに情けない。
「こ、この先に人がいるんですか?」
「間違いなくいるわよ。まあここは普段、ほとんど使わない道だから。使うのは最初で最後になるでしょうね」
「……ブリセイスさん、平気そうですね」
「あら、これでも一応怖がってるわよ? まあ落ちたとしても、ヒュロス君が助けてくれるんでしょうけど」
妖しげ雰囲気を匂わせて、ブリセイスはクスクスと笑っている。
ああ、そりゃあ美女に危険が迫ったのであれば助けよう。絵に書いたような最高のシチュエーションじゃないか。
それに祖母も言っていた。女性には優しくしろ、と。我が家の英雄達は、基本的にそのスタイルだったらしいし。
まあ八割ぐらい、祖母の個人的な願望ではありそうだが。




