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魔女の左手2

 サリエは酒には強い方だ。

 少し肌艶がよくなる以外、酒を飲んだ変化は見られない。

 まるで水を飲むように酒を飲むサリエには限界があるのだろうか。

 それがラフィの一番の疑問である。

 いつも酔っぱらったラフィをサリエが介抱するのが常套になっているため、サリエの限界を知らない。

 いつもサリエに「これだからお前は卒があると言われるんだ」と憤慨されながら、手荒な介抱を受けている。

 だがラフィに言わせれば、酒に飲まれるのはサリエの所為である。

 ラフィも酒には強い。だが……


(普段はツンッとお高く止まっているのに、酒を飲むと急にパーソナルスペースが狭くなるのは、ズルくね?)


 などと心の中で憤慨する。

 それがなければ、ラフィも無茶な飲み方はしない。

 そう、しないはずだ。そう思わないとやっていけないこともある。悲しいことに……。

 このジレンマはきっと一生サリエには理解されまい。

 複雑な心境のままラフィは小さく首を振り、空になったサリエの杯に真っ赤な葡萄酒を注いでやった。

 今日のサリエは少しだけ杯を開けるペースが早い。

 そしていつもむっつりとした口が、今宵はよく動く。


「嵐のように去っていかれては文句の一つも言えないからな。まぁ会おうと思えばいつでも会えるだろう。一応お前は司教だから、聖女様に謁見することも可能だ。ただ……あのお付き軍団がどう思うかは分からないが………」


 簡単に杯を空けて、至極真面目な口調でサリエが言う。

 言葉は不機嫌だが、ラフィが落ち込んでいるとみて慰めているようにも捉えられる言葉だった。


「いや……気にしないでくれ。ハニーのことは落ち込むというよりも圧倒されたと言った方がいいのかもしれない」


「そうだな。俺もあの扱いに驚愕だった」


 2人とも司教として多かれ少なかれ貴族との交流はある。

 もちろん王族だって謁見する機会がない訳ではない。

 だがあそこまで露骨に敬われない扱いを受けている貴族は見たこともなかった。

 彼女の行いは、もう少し敬意を以て讃えられるべきはずだ。

 お付きなのだから僅かにでも彼女の行いについて聞き及んでいるはずなのに、迎えにきた侍女達の顔に浮かんでいたのは、「また勝手に抜け出しやがって、この大馬鹿脳なし短絡思考の傍若無人がっ!」と可愛さ余って憎さ千倍という殺伐としたものだった。

 特に侍女頭というシスター・ソフィアのあの冷ややかな目を前にしたハニエルの強張った顔は印象的だった。

 有無を言わさず、彼女はハニエルの首根っこを掴んで馬車に乗せていた。

 ただ従うしかないハニエルは、まるで今から売られていく子牛のような目をしていた。


「ちょっと……いや、かなりの無理やり感と手慣れた感があったが、それでも王女を大切に思うが故の行動だったんだろう。うん、そのはずだ」


 頭に流れる哀愁のメロディーを打ち払い、自分に言い聞かせるようにラフィは言いきった。

 そして胸にある、ハニエルのこととは違うもやもやを飲みこむように杯をあおった。

 俄かに芳醇な葡萄酒の味わいが胸の内に広がる。

 この地方は寒冷地帯であるが故か、小粒で糖度の高い葡萄が取れるらしい。

 あまりエクロ=カナンの酒を飲んだことはなかったが、中々どうしてアルコールの高い、深い味わいの葡萄酒である。


(思わず杯が進むのは、この芳醇な香りとまろやかながらにすっきり辛口の葡萄酒の所為だ。絶対に、おれはサリエに見惚れているからではない!)


 そう自分に魔法を掛けながらラフィは、これ以上サリエが自分の表情に関心を持たないように話を変えようと試みた。

 ハニエルのことを惜しんでいると思っている内に、話題を変えるのが無難だ。


(これ以上その濡れた瞳で見つめられたら、いくらおれでキツイ……)


 サリエはなよなよとしている訳でもなく、どちらかといえば精悍な顔つきだ。

 ただ、あまりにも美を追求すると性別を超える魅力を発揮するらしく、その緻密な美貌にゾッとさせられる。

 しかも酒を飲んだ時のサリエは三倍増しで妖艶だ。

 ラフィはグイッと杯をあおると、不自然に視線を彷徨わせた。


「そ、そういえば……お前は何でハニーがウォルセレンの王女だと分かったんだ?」


 若干棒読みになった感がある。

 だが幸いサリエもいつもよりガードが緩くなっているようで、いつもなら目ざとく見咎めるラフィの変化をさらっとスルーした。

 思わず口から出た言葉だった。

 それでもいい話題のチョイスだとラフィは自賛する。

 ずっと気になっていたが、聞くに聞けなかったのだ。

 今なら全てをこの葡萄酒の所為にして、サリエの本音を聞き出せる気がした。


「おれはお前の手紙を受け取っても半信半疑だったぜ?ウォルセレンのマリス・ステラ聖女殿下は『祈りの塔』から出ないことで有名な、誰も姿を見たことのない美女として有名だからな」


「ああ?そんなこと、わざわざ聞く意味があるのか?見れば分かるだろ?あんな莫迦面で、今まで列強国と渡り合ってきたと思えるか?もしあいつが本物のエクロ=カナンの女王なら、社交界で月の清けさに似た楚々とした美女など呼ばれはしないよ」


「確かに……その表現はレモリー・カナンじゃないとしっくりこないな。ハニーじゃダメだ」


「だろ?いくらウヴァルの流した噂のお陰で、血に濡れた女王が赤い髪と金色の瞳をもっていることになっていても、無理がありすぎる」


 フンッと鼻を鳴らし、サリエがソファーの背凭れに寄り掛かる。

 片手に持った葡萄酒の杯を燻らしながら、意味深な笑みを零す。

 黒曜石の隻眼がどこか虚空を見つめ、そこにあるものを慈しむように細まった。


(いやいや!だからその顔がダメなんだって!このエロキング!)


 そんなラフィの心の叫びなど知らず、サリエは自分で葡萄酒の瓶から杯に赤い葡萄酒を注いでいる。

どうも今日の彼は酒に飲まれている傾向がある。

 見た目はまったく酔っていないだけに、その変化はラフィにしか分からない。

 いつもよりハイペースで杯をあおっては、また継ぎ足す。

 まるで彼自身ではどうにもできない感情を飲みこもうと足掻いているようにも見える。


(もしかして……もしかするのか?)


 非情で無情なサリエからは想像もつかないことが一瞬、ラフィの脳裏を過ぎる。

 しかしそんなことはありえないとラフィはクスクスと肩を揺らし、自分の妄想を一笑した。


(……な~んてな。そんなこと、ありえねぇよ。だってサリエだぜ?)


 あのサリエが、ハニエルが帰国したことを悲しんでいるなど有り得る訳がない。

 むしろそんなところをおくびにも出さずに、しれっと澄ましているのが彼のスタンスだ。

 そして彼は何があっても酒には飲まれない。

 それでも、もしかしたらと考えると全てが綺麗に当てはまる気がする。

 ラフィは思わずニマニマ口元を緩めた。

 意味深な笑みを浮かべるラフィにサリエは、怪訝そうに眉を寄せる。


「ん?なんだ、その不気味な顔は?」


「いやいや、なんでもねぇよ」

 

 その笑みを誤魔化す様に、ラフィは大げさに両肩を竦めた。

 片手に持っていた杯の表面が勢いにつられ、盛り上がる。真紅の雫が宙を跳ねた。


「それにしても、言うに事欠いても馬鹿面はないだろう。頑張ったハニエルが可哀想だ。おれには、お前が追い込みすぎているようにしか見えなかったけど」


「俺が追いこむ?冗談もほどほどにしろよ?この俺がどれだけ労力を払って、あいつを守っていたかお前は分かっているのか?」


 大げさに被りを振ると、サリエは濡れた瞳をラフィに向けた。

 下から上目使いに覗きこむ絶妙な表情に、瞬間、ラフィの心臓が大きく高鳴る。

 そんなラフィに構わず、サリエは前に身を乗り出すと、ラフィの目の前に自分の指を突き出した。


「いいか、この俺がどれだけ労力を払ったか―――」


(やっぱり酔ってんのか?言い方がくどくなってる……)


 ごくりと喉を鳴らしたラフィに構わず、サリエは突き出した人差し指をそのままに語り出す。

 それはラフィが知らなかったハニエルとサリエの出会いからだった。

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