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魔女の左手1

 あのゼル離宮での惨劇から1月半が経った。



 エクロ=カナンの政治機能は、常の王城であるバアル城に移動したが、元女王レモリーと下の王子キアスは未だゼル離宮に残っている。

 それは眠ったままのウヴァルを見守るためであり、またキアスに対して秘密裏に王としての心構えを教えるためでもあった。

 女王はウヴァルではなく、まだ無垢な末の王子を次代の王にすることを決めた。

 戴冠は半年後。

 それまで国全体で、女王の喪に服すこととして極力外交を断つことになっている。

 これはエクロ=カナン廷臣達に共通の秘密意識を持たせることと、不用意な情報を外国に流させないようにする手段である。

 戴冠式が成功すれば、後からどんな噂が立ってもこちらのものである、というのが、この筋書きを考えた影の支配者達の総意である。

 できれば戴冠式まで見守りたい、というのがハニエルの希望であったが、流石にウォルセレンを守る聖女という立場のハニエルが1月以上も他国に逗留する訳に行かない。

 いや、建前上聖女はずっとウォルセレン王城の端にある祈りの塔にいることになっており、エクロ=カナンを訪れたりはしていない。

 彼女の身代わりが、毎朝、毎夕、塔のテラスから国民に手を振るという日課を欠かさず行い、聖女の不在はひた隠しにされている。

 おそらく王城でも知っているのは一握りだけだ。

 それでも本物が不在であると、色々各方面に迷惑がかかることになる。

 不本意ながら、ハニエルは昨日、盛大な供に守られながらこの国を発った。

 まだここに残りたいとハニエルは主張したのだが、彼女を迎えにきた侍女達は強固な姿勢を崩さなかった。

 あのハニエルに発言の暇も与えず、馬車に乗せてしまうと、着いたばかりだというのに早々とその場を去っていった。

 それは侍女の来訪から小一時間の間の出来事だった。




「拉致だな」


 去りゆくウォルセレンの馬車を見つめ、サリエがそう呟いた。

 そして興味なさげに馬車に背を向け、離宮に戻っていく。

 その言葉に、残された面々は成程、ハニエルは今攫われていったのかと状況を理解させられた。

 誰もが今の今まで、侍女達の迫力に飲まれてしまっていたのだ。

 ようやっと去りゆく馬車に本当にハニエルが乗っていって、もう本当に帰ってしまったのだと分かった時には、馬車はもうゴマ粒以上に小さくなっていた。

 それでも馬車が見えなくなっても彼らは、彼らの天使を見送り続けた。

 こうやってエクロ=カナンの影の英雄は自国に強制送還されてしまった。



      ***


「なんて言うか……哀れな末路だな」


「おいおい、死んだみたいな言い方すんなよ」


 ぽつりと漏れたサリエの言葉に、ラフィが苦々しい顔で訂正を入れた。

 しかしサリエの言わんとしていることも分からないでもない。

 ここはゼル離宮にある客室の一室。ここ1カ月ほどはラフィの住まいとなっているそこのリビングスペースで彼らは向かい合っていた。

 室内の真ん中に置かれた猫足のゆったりとしたソファーにそれぞれ腰掛け、黒檀のテーブルに葡萄酒の入った杯を置いている。



 一般的に司教は飲酒をよしとしない。

 教会の戒律は実に事細かに司教や修道士の生活に制約を求め、それを順守してこそ神の使いであるとのたまっている。

 だから表向きは儀式の時に、パフォーマンスとして飲むこと以外飲酒は認められてはないが、それでも禁止はされていない。

 何事も禁止ばかりしていては『人のあり方が歪んでしまう』というのがラフィの持論である。

 だから彼は酒も女も遠ざけたりはしない。

 どちらも嗜んでこその、いい男だ。

 もちろん、いい男は酒も女も自分が飲んでも飲まれないものだ、というのも彼のポリシーである。

 サリエが同じような考えを持っているのかは知らないが、いつも当たり前のように葡萄酒をあおっているところをみると、イケる口なのだろう。

 女は知らないが、酒も、戒律を破ることも………。



 酒を飲むと、サリエはいつも冷たい白皙の肌が僅かに色づいて、非常に艶然として見える。

 今は寛いでいるためか、いつも綺麗に後ろに撫でられた髪が前に落ちており、幾分幼く感じさせる。

 詰襟の司教服は第4ボタンまで外されており、彼がしゃがむ度にすっと筋の通った鎖骨が顔をのぞかせていた。

 いつになく気だるげでしどけない姿が妙に色っぽく、ラフィは目のやり場に困った。


(眼福なんて言ってられねーな。娼館の高級娼婦と飲んでいる方がまだマシだわ)


 ははっと乾いた笑みを浮かべ、ラフィは何故だか泣きたくなった。

 別にサリエと酒を酌み交わすのが初めてではない。

 むしろ12人いる死の天使と呼ばれる教皇直属の異端審問官の中で、この偏屈なサリエと親しく付き合っているのは自分くらいで、彼のことを一番理解している自負はある。



 もう知りあって5年だ。

 出会った時はなんとこ憎くそい修道士のガキかと思ったが、中々どうしてフィーリングが合うのか、いい距離を保ちつつ関係は続いている。

 人を寄せ付けないサリエと誰とも適度の距離を保つラフィ。

 どこか似ている部分にシンパシーを感じるのだろうか。

 そんなことはサリエには言わない。

 あえて言葉にする必要のないことだ。

 今までも、そしてこれからも、この関係は変わらないのだから……。

 だがそれでも慣れないものもある。

 ラフィは自他供に認める女好きだ。

 どんな男を見ても、ムラッときたことはない。

 もちろんサリエを見て、変な気を起こすこともない。

 それでも、サリエが打解けているから見せる表情が、いつもの澄まし顔とあまりにも違い過ぎていてドギマギしてしまうのだ。


(まだハニーと森で飲んだ時の方が健全だったな~。最近仕事忙し過ぎて、ご無沙汰だから溜まってるんだろうか……)


 自分が可哀想になり、ラフィは大きくため息を吐いた。

 それはそれでハニエルに失礼である。

 だがあの出来事はラフィの中では格別のものであった。

 あの森での飲み会をもう一度やりたいなと望むほどである。

 ある意味特殊な一夜だった。

 立場や己のあり方など何一つ存在しない。

 ただのラフィとただのハニエルとただのエル。

 その3人が好き勝手話し、笑い、泣く。

 飲んでいる酒は近場の村で仕入れた安物だし、つまみは干し肉のみ。

 それでもどんな優雅な舞踏会や豪華な会食より楽しく、居心地がよかった。

 遠い目をして窓の外を見つめてみる。

 懐かしい日々は二度と訪れないからこそ愛おしいのかもしれない。

 だがそんなラフィの心などサリエは知る由もない。


「ん?なんだ、あの王女様が帰って落ち込んでいるのか?」


 サリエはクイッと杯をあおり、口から僅かに零れた赤い雫を拭った。

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