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第八回


 小紫の言う通りこの長屋には多数の芸人がいた。彼らのほとんどは本櫓の芝居や人気役者を真似、巷の路上で演じる集団だった。集団は昼夜となく一つにまとまって稼ぎに出ていた。

「とんだ猿芝居よ。もの真似をして往来で観衆を集め()(もの)の絵を売ってぼったくる大道芸人よ。まともな役者たちじゃねえよ」

 十郎兵衛は集団を非難した。春朗の部屋に上がり込みさきほどから古畳のうえに寝転んでいた。

「役者崩れですか?」

「俺とは別の世界の人間たちよ」

「あなたと同じ本櫓の仲間かと思っていた」

 春朗はこのとき初めて十郎兵衛がその集団の仲間ではないことを知った。

「彼らの芸ほど下品で狡猾なものはない。詐欺だよ。彼らの演技は小屋を持たないで野外で演じて金を取る」

「なるほど」

「本櫓の前宣伝よろしく人気役者を演じて見せてその役者絵を売っているのさ。版元から莫大な売り料を掠めてさ」

「こりゃあ驚いた。本櫓の役者を描いた絵をねえ」

「結果、版元が奴らを重宝するはずだよ。何せ奴らの演技たるや観衆の気の引くコツを心得てやがる。それで集まった観衆はついつい人気役者の錦絵を買うってわけさ」

 春朗は興味深い話が聞けたと思った。

「版元にとっちゃあ願ったり叶ったりだ。手間賃出しても損はしねえ。そこで奴らはますます図に乗りやがって版元連中に対して手間料を上げていく。まったく賤しい集団だよ」

 嘗て春朗は役者絵を描いていた絵師だ。半ば呆然となっていた。それにしてもその怪しげな集団の持つ観衆に受ける演技とは何か特別なものがあるのだろうか。疑問が湧いていた。

「しかし、惹きつけるわけはどんな技なのでしょうか」

「猿真似よ、猿真似。似せた演技に品を作りゃあそりゃあもう拍手喝采だよ。奴たちの持って生まれた猿真似根性に何の理屈がいるものか」

「たいしたもんだ」

「ちぇっ、何を感心してやがる」

 十郎兵衛は吐き捨てるように言うと上を向いて黙った。集団たちに対する軽蔑の念がありありと窺われる。彼には能役者としての誇りがそこに表われているようにみえた。

やがて立ち上がり、「しかし何んだねえ、江戸の歌舞伎も荒事ばかり、これはご時勢なのかねえ」と大きく溜息をつきながら帰り支度を始めた。

 軽快な舞の美しさに見惚れていた春朗はこのとき思い出すように尋ねてみた。阿波といえば四国。阿波の能役者となれば上方歌舞伎の領域に入るだろう。十郎兵衛が阿波の能役者の流れを汲むことは小紫から聞いている。

「確か上方歌舞伎は荒事にはあらずと聞いたことがあるが、そうなのか?」

 十郎兵衛の目がきっ!と春朗の方に向けられた。

 十郎兵衛は一呼吸置くかのようにしてから春朗の前に座りなおしそれから彼の役者魂なるものを見せつけるようにしゃべり始めたのである。

 それは同じ歌舞伎を演じるにも見せ場の違いについて訴えていた。

「荒事に対して上方歌舞伎は和事よ。和事の第一の徴は舞よ。身ぶりや語りこそ写実の粋ってわけだよ。それに比べ荒事の粋は勇壮のみを芸の徴としている。つまり今のお江戸にはこの心意気ばかりが受けているってわけよ」

 春朗は上方歌舞伎を一度観てみたいと思った。

「なるほど和事ですか」

「そうよ、繊細なふりだよ。単にお決まりの勇ましさばかりを強調したって情緒は伝わらねえ」

「一度観てみたいものだな」

「それが吉報よ、近々に観れるかもしれねえぜ」

十郎兵衛は声を潜めて春朗に顔を近づけて言った。

「こうなっちゃあここだけの話で聞かしてやるが、並木五瓶という上方歌舞伎役者が近々江戸に来る」

「いつ頃だ?」

「それは言えねえ。内々に進めている計画よ。漏れるとやばい」

「ま、楽しみにしときな」

 十郎兵衛は歯を見せて微笑むと上がり框に降りた。雪駄を履いて帰り際、更に小声で言った。

「中村座もそろそろ危ない。休業間違いなしだ」

 全く別の話を聞かされて春朗は唖然とした。

「じゃあな」

 十郎兵衛の姿は消えた。

 春朗の脳裏で路地で軽快に舞っていた十郎兵衛の姿が再び謎に包まれて奇妙に舞っていた。


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