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最終回

 四谷の街道筋の広場で人だかりが連日消えず、大道芸人が演じる控櫓の演目に拍手喝采で騒いでいた。蔦屋の錦絵は飛ぶように売れ、やんややんやの大盛況を博していた。その猿芝居が受けたのは描かれた役者似顔を真似ていたのである。

 春未だ浅き頃、ちょうど十郎兵衛はそこを急ぎ足にて通りかかるところだった。

 あれから十郎兵衛は結局、上方から呼び寄せた並木五瓶一座の師走公演が直前で横槍が入ったためいったん中止せざるを得なくなったのだがその後中村座を休業に至らしめたのは十郎兵衛の密告によるものだという者が出てきて逆に彼は追われる身となり転々と居を変えて隠遁していたのであった。

 余りにも観衆の笑い声が大きいので立ち止まった。「ちぇっ、版元に(たか)る乞食集団が」と言いつつも押され揉まれつしながらなかへ割って入りその芝居を見物することにした。

「さあさ寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、二代目坂東三津五郎が石井源蔵役で演じたる時代狂言は花菖蒲文禄曽我、今や父と兄の敵を討たんとすっ」

「右手で刀を抜こうとせん、待てい、源五右衛門っ、ここで遇ったが二十八年目、父と兄の敵、し、しんみょうに覚悟しろっ」

 源蔵役のおどけたへっぴり腰に笑いが湧く。月代が乱れ瞳の焦点がおぼつかないその表情にまたどっと湧く。

「はいはい、敵討たんとす二代目坂東三津五郎の必死の形相がここにあるよ」

 三味線をかき鳴らし太鼓を響かせて甲高い奴らの売り込みの声が乱れ飛ぶ。

「こりゃあすげえや、よく似てるよ」

「これじゃああんまりだよお、猫背の二代目じゃあ台無しだ」

「これまで見たことのねえ画風だなあ」

 と口々に絵を手にしたざわめきが十郎兵衛の耳に入り、つられた十郎兵衛はその絵を盗み見した。咄嗟にその絵に何か感じるものが十郎兵衛の瞼を貫いた。どこかで見覚えのある絵だ。すぐに絵の下方に刻された絵師の名を注意深く追ってみると「東洲斎写楽」と読めた。

 やがて人並みに押されて街道筋に戻る。十郎兵衛の脳裏には未だに思い出せないでいる絵の印象だけが沈殿していた。

 しかし、「写楽」とはこれまで聞いたことのない絵師の名だ。


 薫る風にどこか活気を取り戻した賑わいが漂っていた。小紫は久しぶりに日本橋通り油町へ赴き蔦重の店の前に立っていた。

「ちょいと主人はおいでかい?」

 番頭が愛想よく飛び出してきて、どちら様でと聞いたが小紫は昔世話になった八丁堀の者でとしか答えず詳細を語らずにいると

「版元は只今生憎留守にしていて」

 と頭を下げる。

「何かご用でも」

 と訝る番頭の視線を避けて店先に並ぶ錦絵の棚に目をやり、さしあたって用はないのですがとつぶやきながら、

「よく売れるそうで。嘗ての繁盛を取り戻したみたいだねえ」

 と付け加えれば番頭は、

「お蔭様でうれしい悲鳴です。もっともその絵は役者の方々には余りにも真に迫っているとのことでかえって評判がよろしくないようで」

 と手を揉みながら答えた。

「東洲斎写楽っていうのかい?」

 小紫は手にした絵の雅号を見つめながら再起に成功した蔦重の復帰を喜ばしく思いながらしばらくそこに佇んだ。

「たしか八丁堀辺りに住んでらっしゃる絵師だとか」

 番頭の声がなだらかに流れ、そうとだけ答えた小紫の耳にその居所の偶然に気づかなかったのか彼女はいつまでもその絵を眺めていた。

 実はそのとき春朗の居は既に長屋になく浅草第六天神の脇丁に転居していってからひと月が過ぎていたのだ。


 その後、春朗は相変わらず転居を繰り返し「写楽」の雅号もたった十ヶ月で消滅させて新たに俵屋宗理と名乗って絵を描き続けた。  

 一方、蔦重は三年後の寛政九年に亡くなったが彼は生涯、写楽が誰であったかを語らなかったため版元界のあいだでは東洲斎写楽の存在は永久に謎に包まれたのであった。 



 ご愛読ありがとうございました。

 この作品は十年前に書かせていただきました。

 これからも「歴史の謎」を追ってフィクションを書いて行こうと思っています。

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