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第十六回

 

 暮れが押し詰まって三座の幕開けが間近かに迫りし頃、蔦重から春朗のところへ二度目の呼び出しがあった。店では密談が出来ないので二人は日本橋裏角筋の隠れ居酒屋へ出向きそこで差し向かった。

最初に重要なことと前置きをして蔦重が問うた一言がいきなり春朗の懸念していた的を射った。

「前回の除名の話を聞いてやっと分った。最初から只事ならぬ腕とお見受けしてはいたが、勝川春朗とはおぬしのことであろう。兼ねがね噂は私も知っている。まだ歳が若いのでこれからが舞台だ。先だっても決めた通り間もなく幕が開く控櫓の興行を新しい画風を持って登場させたい」

 見抜かれたという衝撃よりも隠していたという自分の傲慢さを反省させられた。静かに語る蔦重の口調は相変わらず画期的な野心に満ちていてそれが春朗の心に伝わっていた。春朗はその怪しき縁を噛み締めながら歓喜を押さえつつ迫りくる復帰の足がかりを確実に読み取っていた。

「ところで雅号の件だが名高き各派に従属するのも過去の経緯を暴かれると難儀、何かいい智慧があるか」

 春朗には春より光琳派画道を学んでいたので既に密かに望んでいた雅号があった。しかし俵屋の門筋のことがあるのでこれを使用することは出来ない。浮世絵の類を描くことは門是に背くことになり下手すれば三度目の追放の憂き目に遭うことにもなり兼ねない。

「雅号の件はお任せ致します。ただくれぐれもその名の正体については永久に極秘にてまた居所も同様、外には一切の漏れのないようにお願いします」

「ははは、この蔦屋は過去の処罰で地獄を経験した身だ。将来永劫の財産となる版刻確保に念じても必ず守秘しよう」

 蔦重は貫禄の微笑を添えながら答え、冷え切った酒を一気に呑み乾した。春朗は上戸であったので勧められても恐縮しつづけるのみであった。

「雅号は後々考えることにして、とりわけこれからの段取りだが、三座のなかで特にお気に入りはないか」

 蔦重の問いに連日通った都座の桟敷席が浮かんだ。「(なか)()」画法を身につけた場所だ。幻の上方歌舞伎の稽古舞台が浮かんでくる。すかさず春朗の口から低い声が衝いて出た。

「都座から描きたい」

「良かろう。宣伝チラシを描いた場所、慣れてもいようし勝手が第一」

 そう言いながら蔦重は懐から資料を取り出し「それに、なんと都座は…」と都座の正月公演の演し(だしもの)を調べ始めた。

「二代目坂東三津五郎の花菖蒲文禄曽我だ。これは申し分なき演目、画期的な画風の初陣を飾るのに相応(ふさわ)しい」

と満足げにうなずいた。そして、

「ちきしょう見てろよ仙鶴堂の鶴喜の奴、これまでの役者絵の権化が目をむいて驚くような錦絵を出してやるぞ」

 搾り出すように言った言葉に蔦重の再起に賭ける商魂の焔が燃えあがっていた。

 春朗はこのとき仙鶴堂が既に春朗の嘗ての古巣である勝川派の総帥に幕開け画を依頼していることなど知る由もなかった。

 蔦重がひとりで微酔し春朗は黙々と食していた隠れ居酒屋に本櫓のすべてが消えた寛政五年の終わりがやがて訪れようとしていた。



 次回はいよいよ最終回です。

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