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etc.ロマンス  作者: sadaka
第一部
47/510

さよなら(4)

 白色の色味が強い鮮やかな黄色の二月が浮かぶ夜、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを月色に染め上げた葵は人気のない校舎を外から見上げていた。しかしそれも束の間、小さく息を吐いた葵は校舎の東側に向かって歩き出す。校舎に限らずグラウンドも、マジスターが拠点としているシエル・ガーデンも無人であり、丘の上に建つトリニスタン魔法学園は夜の静謐に包み込まれていた。

 オリヴァーの部屋で本校の特殊性についての説明をウィルから聞いた後、葵はステラと二人で彼女の家へと移動した。そこで改めて二人だけで話をして、ステラに送ってもらってトリニスタン魔法学園の正門に出現したのである。マジスター以外の誰かと話をしたくて、葵は保健室を訪れてみた。しかしアルヴァどころかウサギにすら出会えず、仕方なく校舎を後にしてきたのだ。だがそのまま帰る気にもなれなくて、葵の足は自然と『時計塔』に向かっていた。

 葵の通っているトリニスタン魔法学園アステルダム分校は、東の大陸の中程に位置するアステルダム公国内に存在している。東の大陸を統治しているのはスレイバルという王国であり、この大陸内の国は全てスレイバル王家から公の称号を与えられた君主が統治する公国である。各公国に設置されているトリニスタン魔法学園の分校は全て王立だが、王都の本校だけは全ての面に置いて分校とは一線を画していた。

 本校と分校でまず違うのが、生徒の質である。トリニスタン魔法学園自体が良家の子息しか通うことの出来ないエリート学園だが、王都の本校はさらに各分校のマジスタークラスでないと入学することすら出来ない。本校は特別な魔法使いである魔法士を目指す者にとって聖域であり、世界の魔法が集う場所なのだ。それゆえ本校に入学した者は卒業要件を満たすまで学園の敷地内から出ることも許されず、学園の敷地内にある寮と校舎を往復するだけの日々を送ることになる。そして卒業までに何年かかるかは、個々の力量次第なのだ。

 ウィルやステラから本校と分校の違いについて説明されても、この世界の者ではない葵にはよく解らなかった。ただ一つ解ったことといえば、ステラが本校へ行ってしまえば何年も会えなくなるということだけである。しかしそれが解れば、葵を沈ませるには十分だった。何年もこの世界に留まる気のない葵にとって、ステラの旅立ちが別れになるかもしれないからだ。

(でも、ステラらしいよね)

 世界の理を知りたいという目標に向かって、ステラは走り出した。それはいかにも、レイチェルのようになりたいと瞳を輝かせていた彼女らしい決断だった。

 この世界へ来て初めてできた友達であるステラは葵にとって特別な存在だった。寂しさは募るものの辛い別れではないだけに、ステラのことは応援したいという気になる。しかしステラにも明かせない思いを秘めている葵はどうしても割り切って考えることが出来ずに、夜にひっそりと佇む時計塔を訪れてしまっていた。

(……ハル……)

 彼のことについて、ステラは何も言わなかった。告白を覗き見てしまったことを明かすことが出来なかったため、葵からも尋ねていない。ハルは、ステラに着いて行くのだろうか。もしそうだとすればステラだけでなく、ハルとも二度と会えなくなるだろう。そう思うと葵の胸は痛んだ。

(もう終わってるのに……)

 今になってどれだけハルに焦がれても、もうどうしようもない。そう思いながらもブレスレットを捨てられなかったように、葵は時計塔の階段を上り始めた。

 暗闇の中、手元に出現させた小さな明かりを頼りに階段を上りきった葵は、そこに求めていた姿を発見してしまって足を止めた。大きく開いた空洞から差し込む月明かりに照らされて、片膝を抱いて座り込んでいたハルがこちらを振り向く。葵の姿を認めると、ハルはつまらなさそうに視線を外した。

「またあんたか」

 そう呟いたハルの口調は素っ気ないものであり、彼は体全体から迷惑そうな空気を醸し出していた。あからさまな拒絶に怯んでしまったものの、葵は結局ハルの元へと歩み寄る。

「バイオリン、弾いてたの?」

 この場所にいる時、ハルはよくバイオリンを手にしていた。その音色を聞くために時計塔へ通っていた葵にとって、この場所とハルとバイオリンは切っても切れない間柄である。しかしハルはニヒルな笑みを浮かべただけで答えようとはしなかった。その微笑みが自嘲的に思えて、葵は眉根を寄せる。

「頬」

「えっ?」

「その顔、どうしたの?」

 無表情に戻ったハルが指を差してきたので、葵は反射的に頬に張られたガーゼを手で覆い隠した。

「これは……」

 事情を説明しようとしてまずいことに気がつき、葵は言葉を濁して閉口する。キリルに殴られたのだと教えてしまえば、おそらくハルはその理由を尋ねてくるだろう。そうなればステラを避けていたことに言及しなければならず、非常に触れられたくない話題に話が及ぶ可能性が高いのだ。

「そういえば、さ。パーティーでの演奏、ステキだったよ」

 言葉に窮した葵は話題を変えることで逃れようと思ったのだが、その話題も結局は自分の首を絞めるものでしかなかった。

「来てたんだ?」

 ハルに何気なく問われた時、葵は自分の発言が何を意味するのか悟って再び閉口した。彼はおそらく、葵が断りもなくステラとの約束をすっぽかしたことを知っているだろう。にもかかわらず、葵はしっかりパーティー会場にいて、マジスターの演奏を聴いていたのだ。アルヴァやユアンのことを他言するわけにはいかないので、葵には言い逃れの道がなくなってしまったことになる。ハルは特に説明を求める発言などはしなかったが、自分が空回りばかりしていることに気がついた葵は嘆息してから口調を改めた。

「あのさ、聞いてもいい?」

「何?」

「ハルも王都に行くの?」

 葵が核心に触れるとハルは一瞬だけ傷ついたような表情を見せた。弱々しいその表情に、葵の胸はドキリと疼く。

「……行かないんだ」

 ハルは答えなかったが、それは肯定の意だろう。そう思った葵は複雑な想いを胸にしまっておけず、顔を歪めた。双方が納得しているのであれば、ハルが傷ついた顔をすることもないだろう。彼はステラと一緒にいたいのに、いられないのだ。しかしその理由が解らなかっただけに、葵には納得がいかなかった。

「何で? ステラのこと好きなら一緒に行けばいいじゃない」

「あんたには関係ないだろ」

 突き放すように言われた時、葵は思わずストレートな感情を叫びそうになった。ぐっと堪えて拳を握り、葵は平静を努めて言葉を重ねる。

「ステラだってきっと、ハルに来て欲しいと思ってるよ」

「お前に何が分かるんだよ!!」

 俯き加減に喋っていた葵はハルの発した怒声に驚き、ビクリと体を震わせた。不機嫌そうな顔で葵を睨んでいたハルは言葉を次ぐことなく立ち上がり、大きく開いた空洞へ向かって歩き出す。ハルが行ってしまうと思った葵はとっさに走り出し、彼の腕を引いて声を荒らげた。

「分かるよ!!」

 ステラの家で二人だけで話をした時、彼女は葵に王都へ行く決意を固めた経緯を明かした。彼女はハルのことについて直接的には触れなかったが、葵はあのパーティーの夜に聞いたハルの素直な気持ちが、迷っていたステラの背を押したのだと察していた。

「ハルがステラの生き方に憧れてるって言ったから、そういうところが好きなんだって言ったから、ステラは夢に向かっていこうって決めたんだよ! 認めてくれて嬉しいって、パーティーの時ステラが言ってたじゃない!」

「何で知って……」

「見ちゃったのよ! 見たくなかったけど!」

 瞠目しながら振り向いたハルの顔を見たら涙が零れてしまい、葵は手を離して顔を伏せた。

「……何で、あんたが泣くの?」

 先程までの刺々しさが消え、ハルの口調には呆れが滲んでいる。葵が答えられないでいるとハルは小さくため息をついた。

「ステラにとっては自分の夢が一番なんだ。あいつは、俺が王都に行くことなんか望んでない」

「何で、そんなことが分かるのよ。ステラに着いて来るなって言われたっていうの?」

「逆。何も言われてないから、あいつは俺を置いて行くつもりなんだろ」

「違う。ハル、全然分かってない。ハルの人生はハルのものだから、ステラは一緒に来てって言えなかったんだよ」

 ステラもおそらく、ハルのことを愛している。あのパーティーの夜、ハルの告白を聞いたステラがちゃんとした返事をしなかったからこそ、葵はそう感じていた。カーティス家の繁栄を考えるのが自分の使命だと寂しそうに言っていたステラは、本当はずっと前から夢のために生きたかったのだろう。だが夢に生きるためには全てを捨てなければならないため、迷っていたのだ。ハルを巻き添えにしてはならない、と。

「私より付き合い長いんだから、ハルの方がステラの性格知ってるはずでしょ? ちゃんと話もしないで一方的に決め付けるんじゃない!」

 それだけ叫び切ると葵は涙を拭いながら踵を返した。言い逃げになってしまうが、葵にはもうどうすることも出来ない。ここから先は余人である葵には立ち入ることが出来ない、二人だけの問題なのだ。

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