勝負はフェアに(6)
冬月期最後の月である秘色の月の四日。その日の放課後、葵・クレア・オリヴァー・ハルの四人はユアンの指示に従ってアステルダム分校の校舎三階にある三年A一組の教室に集っていた。トリニスタン魔法学園では終業の鐘が鳴ると生徒がすぐ下校するのが通例だが、話題の人物が一堂に会しているため、三年A一組の周辺には人だかりが出来ている。しかし彼らは教室の中までは進入して来ないので、葵達は窓際の席で普通に会話をしていた。
「腕いたーい」
「俺も」
先程からしきりに自分の腕を揉んでいるのは葵とハルだ。昨日全力で遊びすぎたため、彼女達は筋肉痛になったのだった。しかし同じ遊びをしていたにもかかわらず、オリヴァーとクレアは平然としている。
「あれしきのことで、だらしないわ。おたくら鍛え方が足りんのとちゃう?」
「そんなこと言って、ドロケイやったら絶対クレアも筋肉痛になるよ」
「そんなに激しいんか?」
「かなり走るから、オリヴァーとハルも覚悟しといた方がいいよ」
葵の言葉を聞くとオリヴァーは望むところだと爽やかに笑い、ハルは少し嫌な顔をした。オリヴァーはともかくハルは今回の件に無関係なのだが、それでも彼には付き合うのを止めるような様子は見られない。そのことを、葵は意外に思った。
「ハル、ホントに大丈夫? 無理に付き合わなくてもいいんだからね?」
「いいよ、やる」
あの子供が今日も来るのならと、ハルは心なしか嬉しそうな面持ちで言う。それを聞いてオリヴァーとクレアは意外そうな顔をしたが、葵は少し複雑な気分になった。
「ハルって子供好きだったのか?」
目を瞬かせながら尋ねているのは、長年来の付き合いであるはずのオリヴァーだ。ハルは即答せず、少し間を置いてから何故か首を傾げる。
「よく分からない」
「分からないって……自分のことだろ?」
「子供全体っちゅーより、ユアン様が気に入ったっちゅーことか?」
「ああ、そうかも」
柔らかな笑みを浮かべてクレアの質問に答えたハルを見た瞬間、葵はユアンになりたいなどと不毛なことを考えてしまった。自分の思考に勘弁してよと思いながら、顔の前で手を振って妄想を断ち切る。その仕種をクレアに見咎められて不思議そうな表情をされたので、葵は笑って誤魔化した。
(やっぱり私、ハルのこと好きなのかな?)
好きなら好きで仕方のない気もするが、いくら想っても、想いが通じることはないのだ。むしろ好きだと思えば、ハルを傷つけてしまうかもしれない。傍にいるだけで辛いと、あの科白を二度言われる勇気は葵にはなかった。
(……やめよう)
ハルのことは考えるだけ損だ。こういう時は無心に遊んで、全てを忘れてしまえばいい。葵がそんなことを考えて首を振っていると、教室のドアから覗いている生徒達の頭上から何かが飛び込んできた。正方形の封筒の形をしていたそれは、クレアが触れるとその形を失う。その代わり、封筒があった場所には文字が描き出された。
「保健室に行くで」
一読した文字を手で払って消すと、クレアはそう言って席を立った。どうやらユアンからの手紙だったらしく、内容が保健室への召集だったようだ。教室待機の後が何故保健室なのだろうと疑問に思いながら、葵は先に立って歩き出したクレアに従った。
トリニスタン魔法学園アステルダム分校の保健室は校舎一階の北辺にある。その場所で窓際のデスクに向かっていたアルヴァ=アロースミスは、背後に来訪者の気配を感じて眼鏡を顔から引き抜いた。眼鏡をデスクの上に置き、椅子ごと体を回転させると、それと同時に保健室の扉が開かれる。その場所から姿を現したのは葵・クレア・オリヴァー・ハルという、よく分からない組み合わせだった。
「どうした?」
自分に何か用事があるのかと思って尋ねてみれば、葵はユアンに指示されてここへ来たのだという。そこで何故ユアンの名前が出てくるのかとアルヴァが眉根を寄せていると、時を同じくして話題の主も保健室に降り立った。
「みんな、揃ってるね」
ユアンが葵達に向けて言うので、一人だけ事情を理解出来ていないアルヴァは彼に説明を求めた。少し待っていろと言い置くと、ユアンは保健室の床に魔法陣を描き始める。魔法陣が完成すると、葵達をその上へと移動させた。
「先に行って待ってて。僕もすぐに行くから」
葵達にそう告げると、ユアンは転移の呪文を唱えた。彼女達の姿が魔法陣の上から失われてから、ユアンは改めてアルヴァを振り返る。その手には、魔法の卵が握られていた。
「アル、これ預かってて」
アルヴァの手にマジック・エッグを押し付けると、ユアンは返却は認めないと言わんばかりに距離を置く。眉根を寄せたアルヴァは卵を覗き込んでみて、大方の事情を察した。そこに、先程どこかへ転移した葵達の姿があったからだ。
「模造世界か。何のために創ったんだ?」
「これからそこで、ドロケイをやるんだ」
「どろけい?」
「フロンティエールでやったの、覚えてない?」
「ああ、あの遊戯のことか」
フロンティエールでのドロケイにはアルヴァも参加していたので、すぐに思い出して得心した。しかしイミテーション・ワールドを創ってまでドロケイをやる理由が分からない。どうやら単なる遊びではないようで、ユアンは子供らしからぬ笑みを浮かべて言葉を重ねた。
「アオイ、モテモテだね」
「……いきなり、何だ?」
「九日にね、キリルとウィルがアオイとのデートを賭けて勝負するんだ。ドロケイも勝負の一つにしようと思って、今から説明会兼予行演習をやるんだよ」
ユアンは口調も表情も非常に楽しそうで、頭痛を覚えたアルヴァはこめかみに指を押し当てた。
「ミヤジマは嫌がっていただろう」
「そんなことないよ? 自分から立案してくれたり、けっこうノリノリだったけど?」
「それは、ユアンがそうなるよう仕向けたからだろう?」
「否定はしないよ。でも、本当に嫌だったら初めからそう言うはずだよね?」
言い負かされて、アルヴァは不服な心持ちのまま口をつぐんだ。確かにユアンの言う通りではあるのだが、どうせまた、葵はクレアかオリヴァーあたりに説得されてしまったのだろう。それを彼女が乗り気と見るには無理がある。そのことはユアンにも分かっているはずで、彼が本当に言いたいことは別にあるのだ。
「僕に、その勝負に参加しろって言いたいの?」
「そんな指図までしないよ。どうするかは、アルの自由」
そんな気がなくとも焦らざるを得ない舞台を整えておいて、何が自由だ。そう胸中で毒づいたものの、アルヴァは声に出さなかった。しかし声なき言葉など簡単に読み取れたのだろう、ユアンはいやらしい笑みを浮かべている。ここで怒っては負けだと、アルヴァは怒鳴りたい気持ちを必死で抑え込んだ。
「僕は、僕のしたいようにする。放っておいてくれ」
「もう、強情なんだから。そうやって余裕ぶってる間にアオイを誰かに奪われちゃっても知らないからね」
卵の管理をよろしくねと言い置くと、話を切り上げたユアンもマジック・エッグの中に入って行った。手にしている卵を叩き割ってやりたい衝動をなんとか堪え、マジック・エッグをデスクの上に置いたアルヴァはそれを観察する。イミテーション・ワールドには何故かアステルダム分校の生徒と思われる者達もいて、アルヴァはユアン以外の者の強い悪意を感じた。
(ロバートも一枚噛んでいるのか)
ユアンのような部外者がアステルダム分校の生徒を動かすには、理事長であるロバート=エーメリーの許可が必要だ。どうやってロバートを説得したのかは分からないが、ユアンは彼のことを甘く見すぎている。直感的に波乱がありそうだと思ったアルヴァはユアンの悪質な言動とは別のところでも思い煩い、深々とため息を吐き出した。