勝負はフェアに(4)
「ハルって変わってるね」
トリニスタン魔法学園アステルダム分校にある大空の庭からバベッジ公爵邸に移動した後、ユアンが耳元で囁いてきたので葵は苦笑いを零した。
「知ってる」
「そこがいいの?」
「……あのねぇ」
やはりユアンは、何か誤解している。そう思った葵はため息をつき、それから表情を改めて言葉を重ねた。
「頼むから、余計なこと言わないでね?」
「僕がアオイの不利になるようなことをすると思う?」
「思う」
「うわっ、即答? ひどいなぁ。そんな風に思われてたんだ?」
「だって、実際にもう余計なことしてるじゃん」
最初はただオリヴァーの家に遊びに来るだけのはずだったのが、今は作戦会議のために訪れたことになってしまっている。そのこと自体が葵にとっては不利益なのだ。だが、葵の言い分を聞いたユアンは不服そうに唇を尖らせる。
「だって、僕も混ざりたかったんだもん」
ふてくされているユアンに「子供じゃないんだから」とツッコミを入れようとして、葵はふと口をつぐんだ。
(そっか、子供なんだっけ)
たまに忘れてしまうが、ユアンはれっきとした『子供』なのである。そう思うと説教もし辛く、葵はけっきょく強く出られないまま話を終わらせてしまった。ユアンは葵が黙り込んだことを気にしていたが、ふと、彼はあらぬ方向に視線を傾ける。葵もつられて顔を上げると、何かが傍へ寄って来るのが見えた。
オリヴァーの実家であるバベッジ公爵の本邸は、平素は湖の上に浮いている。だが家主の気分によっては水中に没することもあるらしく、葵達がバベッジ公爵邸にやって来た時、屋敷はすでに水中にあった。それとは別に平素から湖の底に沈んでいる水中庭園があって、屋敷が没した時には本邸と庭園が通路で繋がる仕組みになっているらしい。葵達は今、本邸から庭園に向かって水族館にある海底トンネルのような通路を歩いているところだった。
湖の中を泳いで葵達の傍へやって来たのは、半人半魚の女性だった。だが彼女がユアンの傍らに降り立つ頃には、マーメイドの象徴である尾ひれが消失する。完全な人型となった女性は瞠目している葵には構わず、ユアンに微笑みかけた。ユアンもまた、彼女に笑みで応えている。
「フィー」
少し驚きの混じった声を発しながらこちらへ来たのは、先を歩いていたオリヴァーだった。彼に続いて、ハルとクレアも葵達の元へやって来る。ハルは女性を見ても反応を示さなかったが、クレアはオリヴァーの方に顔を傾けた。
「どちらさんや?」
「彼女はフィオレンティーナ=アヴォガドロ。英霊だね」
クレアの質問に答えたのはオリヴァーではなく、ユアンだった。微笑み合っただけでそんなことまで分かってしまうのかと、オリヴァーの答えを待っていた葵は驚きながらユアンを見る。他の者達もユアンの方に視線を傾けたが、オリヴァーは特に尋常ではない驚き方をしていた。
「フィーと意思の疎通が出来るのか」
「まあね」
オリヴァーに短く答えた後、ユアンは葵とクレアに向かって説明を加えた。
「彼女みたいに古の盟約を交わしている英霊は、契約を交わした者とは普通に会話が出来るんだけど、それ以外の者とは契約者を介さないと意思の疎通が出来ないんだよ」
自分は特別だと付け加えた後で、ユアンはオリヴァーを振り返る。
「ねぇ、彼女の力を借りたいんだけど、いいかな?」
「え?」
「ちょっとね、頼みごとをしたいんだ。フィーは、オリヴァーがいいって言うなら引き受けてくれるって」
「あ、ああ……フィーがいいなら、俺もいいけど」
「ありがとう」
オリヴァーに向かって破顔すると、ユアンはさっそくフィオレンティーナに向き直った。その『頼みごと』の内容を聞いて、葵は目を丸くする。フィオレンティーナが再びマーメイドの姿に戻りながら水中に姿を消してしまうと、ユアンは葵に目を向けてきた。葵も質問をしたかったので、自分から口火を切る。
「レムって、あのレム?」
「そう、あのレム。フィーは半ば精霊化してる英霊だから、きっとすぐに見つけてきてくれるよ」
「そうなんだ?」
「精霊王の力を借りないといけないかなぁと思ってたんだけど、あんまり干渉しすぎるのはお互いに良くないんだ。フィーがいてくれて助かっちゃったよ」
ユアンが無邪気に喜んでいると、オリヴァーが何故か目を剥いた。葵には彼が驚愕している理由が分からなかったのだが、それを察したらしいユアンが「まずい」という面持ちで口元を手で覆う。しかし言ってしまったものは仕方がないかと、すぐに開き直った彼は小さく舌を出した。
「もう驚かれちゃったから教えるけど、僕が今生の人王なんだ。でもこれ、ホントはあんまり口外しちゃいけないことだから黙っててね?」
ユアンが念を押すとオリヴァーはあ然としたまま頷き、ハルはユアンの頭を撫で回した。ハルのあまりにも脈絡のない動きに、クレアが首を傾げながら口を開く。
「なんやハル、ユアン様のこと気に入ったみたいやな?」
「かわいい」
ユアンが人王であることや、次代の国王であることはどうでもいいようで、ハルは問いかけにも平素の調子で答えている。ユアンも頭を撫でられることは嫌いではないようで、大人しくハルにいじられていた。ほのぼのとしている三人から視線を外すと、葵はまだポカンとしているオリヴァーを見る。
「大丈夫?」
「ちょっと……いや、かなり、驚いた」
ユアンが現れてからは驚きの連続で頭がついていかないと、オリヴァーは真顔のまま独白を零す。いつもなら苦笑いの一つも浮かべそうな場面で彼が真顔のままでいることに、葵はそうとう混乱しているのだろうと同情を寄せた。オリヴァーはマジスターの中で唯一の常識人なので、無理もない。
「なんか、巻き込んだみたいでごめんね」
「いや、そもそもアオイを巻き込んだのは俺だろ?」
キリルとウィルが勝負をすることになって、その内容を決めろと言われたオリヴァーが最初に相談を持ちかけたのが葵だった。葵がそれをレイチェルに相談したためにユアンがしゃしゃり出てくることになったのだが、そもそもの原因は確かにオリヴァーだ。納得した葵が苦笑いを浮かべると、オリヴァーも少しは平静さを取り戻したようで、苦笑を返してくる。
「こんな所で立ち話もなんだし、とりあえず行かないか?」
「そうだね」
葵が同意すると、オリヴァーはまだ戯れているハル達にも声をかけてから歩き出した。ちょうど傍にいたので、葵はオリヴァーと並んで歩きながら話を続ける。
「それにしても、すごいねぇ」
先程まではユアンのことが気になって楽しめなかったので、葵は改めて周囲を見回しながら言った。主語がなくてもオリヴァーは察したようで、葵に話を合わせてくれる。
「アオイのいた世界はどんな所だったんだ?」
「うーん、言葉で説明するのは難しいんだけど、とりあえず魔法はなかったよ」
「魔法がない暮らし、か……。想像もつかないな」
「体験してみたかったらフロンティエールに行ってみるといいよ」
フロンティエールは西の大陸にある国のことで、この国の中では誰であろうと魔法を使うことが出来ないのだ。彼の国はリゾート地のような場所なので、葵が日常を送っていた場所とはかなり雰囲気が異なるが、この世界の中では一番近いだろう。
「そういえば、アオイはフロンティエールからの留学生ってことになってたよな」
「あー、あれね」
「もしかして、理事長も知ってたのか?」
オリヴァーが不意にロバート=エーメリーについて触れたので、彼のことは話題にすることさえ嫌っている葵は閉口してしまった。葵の変化には気がついたものの、ちょうど庭園に到着したところだったため、オリヴァーは追及することなく離れて行く。話し合いをする場を整えているオリヴァーを見て、葵は申し訳ないことをしたと思った。
(いい加減、忘れないと)
ロバートに嫌なことをされたのは、もう随分と前の話だ。会うのは絶対に嫌でも、何気なく話題に上った時には話を合わせられないと、周囲も変に思うだろう。
「アオイ? どないした?」
突っ立ったままでいるとクレアが声をかけてきたので、葵は何でもないと笑顔で答えてから席に着いた。