表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
etc.ロマンス  作者: sadaka
第七部
383/510

アルヴァ=アロースミス(2)

 世界の記憶が納められているソールス・オブ・メメントで、葵とユアンは召喚魔法の生みの親であるバラージュの記憶を探し始めた。しかしソールス・オブ・メメントに納められている記憶は人間だけのものではなく、様々な動植物や、果ては風景の変化といったものまでもが細微に記憶されているため、目的の物を探し出すことは困難を極めていた。しかも世界は刻一刻と新たな記憶を刻み続けているのである。油断するとすぐに古い記憶は遠くへ行ってしまい、その度に奥の本棚へと移動しなければならないのだ。そのような環境で人間一人の記憶を探し出すなど、海に落ちた指輪を探すようなものだった。

「無理じゃない?」

 ユアンがティーセットと軽食を用意してくれたので、小休止を取っている最中、葵は探してみて思ったことを率直に口にした。ユアンも同じことを思っていたのか、苦笑いを浮かべながらティーカップをソーサーに戻す。

「こんな時、司書がいてくれたらいいのにね」

「司書がいたって、こんなに早く情報が更新されちゃうんじゃ管理なんて出来ないよ。バラージュのことはもういいから、アルを何とかしてあげない?」

「でも、それでいいの? こんなチャンスは二度とないかもしれないんだよ?」

 ソールス・オブ・メメントは本来、世界に選出された調和を護る者(ハルモニエ)であっても、おいそれとは立ち入ることを許されていない領域である。今は検索することを許されているが、一度この館を出てしまえば、再び訪れることは出来ないだろう。ユアンがそう言うので、葵は探し物をすることにうんざりしながらも躊躇いを覚えた。

「さっきみたいに、世界にまた弾き飛ばしてもらうっていうのは?」

 世界に厭われて弾き出されてしまった時、辿り着いた先が葵の生まれ故郷だったのは偶然ではないのだと、ユアンは言っていた。それならば世界に同じことをしてもらえば、苦労して送還魔法を復元せずとも帰れるのではないか。葵がそう言うと、ユアンは困ったように苦笑して首を振る。

「確かに葵の世界に弾き飛ばされちゃったのは偶然じゃないけど、世界がまた同じことをしてくれるかどうかなんて誰にも分からないよ」

 そう告げると、ユアンは呪文を唱えて自身の人差し指に光を纏わせた。光り輝く指先で、ユアンは空中に二つの丸を描く。

「こっちが僕達が今いる世界で、こっちが葵の生まれ育った世界。何も見えないけど、二つの世界の間には狭間の世界が広がってる。ここまではいい?」

「うん」

「さっきは僕達が、こう飛ばされたわけだけど……」

 一度二つの円を直線で繋ぐと、ユアンはそれを消してから再び直線を描いた。ただし今度は、左の円から飛び出した直線が右の円に届いていない。

「世界からの反発が弱いと、こんな風に葵の世界に達することなく僕達は動きを止める。この時は世界の狭間にいることになるんだけど、僕はこの世界にとって必要な存在だから、世界が僕を引き戻そうとする」

 伸ばしたゴムが戻って行くように、左の円から飛び出した直線は右の円に達することなく、再び左の円へと戻って行った。さっきはこの直線がかなり右寄りな所まで伸びたので、ユアンが引き戻される力よりも葵が元いた世界に引き付けられる力の方が強く働いたのだという。その結果として、葵とユアンは共に世界の壁を越えてしまったのだ。

「これを僕達が調節することなんて出来ないんだ。さっき葵の世界に行ってしまったのは、本当に偶然。だから同じ方法は使えない。分かった?」

「でもさ、それだったらさっきと同じこと考えてればいいってことになるんじゃないの?」

「アオイ、当初の目的を完全に忘れてるね? 僕達は何のために危険を冒してまで世界の中心に来たんだっけ?」

「それはアルを……」

 そこまで言いかけて、葵はユアンの思考を理解した。先程、葵の生まれ育った世界にまで弾き飛ばされてしまった時は、この世界が、アルヴァが蘇ることに対して強い反発を示したのだ。つまりアルヴァが蘇ってしまえば、もう同じ理由で世界から拒絶されることはない。葵にはアルヴァを見捨てる気などなかったので、そうなってくると、やはり送還魔法を復元させるしか帰る手段はない。

「探すしかないじゃん」

「ね? そうなるでしょ?」

「ね、って言われても困るんだけど……」

「だから戻って来なければ良かったんだよ。僕はそんなアオイが大好きだから、戻って来てくれて嬉しいけど」

「……だって、アルのこと放っておけなかったんだもん」

「あ、ダメダメ。今はアルのこと言わないで」

 そうだったと胸中で呟いた葵は口をつぐみ、前後左右に高く聳えている本棚を仰いだ。この膨大な記録の中からバラージュの記憶を捜し当てるのには、一体どれだけの時間を要するのだろう。一日や二日では無理だろうと思った葵は、再びげんなりしてしまった。

(……ん?)

 ふと、上向けている顔に何かが当たったような気がして、葵は目を凝らした。その時は異変を感じられなかったのだが、やがてポツポツと、水の雫が落ちてくる。それは次第に量を増し、気がついた時には霧雨が降り注いでいた。

「……雨……?」

 夜空に二月が浮かぶ世界では、自然に雨が降ることはない。ましてやここは、洋館の内部なのだ。それなのに何故、しとしとと降り注ぐ雨が本棚を濡らしているのだろう。疑問の答えを求めて顔を傾けた葵は、ユアンが瞠目して空を仰いでいる姿を目にした。

「レイン……」

 ユアンの口から零れた名は、葵にも聞き覚えのあるものだった。一時期同じアパートで暮らしていた、雨の精霊。彼女にレインという名を与えたのは、他ならぬユアンである。

「この雨、レインが降らせてるの?」

 葵が声をかけると、ユアンは我に返った様子で視線を傾けてきた。はっきりとした返事はもらえなかったが、おそらくは葵が想像した通りだったのだろう。何故ならばここは記憶の原野(ソールス・オブ・メメント)で、世界の記憶になることを『還る』と言うからだ。

 雨の精霊は世界に還ったのだと、葵はアルヴァから聞かされていた。姿は見えずともこの雨は、レインの存在がここにあることをはっきりと示している。世界に還ってしまっても何かしらの意思が残っていることを、葵は不思議だと思った。

 言葉を途切れさせた葵とユアンは、しばらく無言で温かな雨をその身に受けていた。やがてユアンが顔を傾けたので、葵もつられてそちらを見る。すると、雨が煙っている中を近付いて来る、何かの影を捉えた。その影は次第に輪郭をはっきりさせていき、同じものを目にした葵とユアンは同時に目を瞠る。

(黒い、猫……)

 その姿は葵の脳裏に、ある青年のことを連想させた。ユアンもまったく同じことを考えていたようで、しゃがみこんだ彼は手を伸ばして黒猫を迎える。

「ムーン……」

 泣きそうに顔を歪めたユアンは近寄って来た黒猫を抱きとめた。ユアンの腕の中で猫がニャーと鳴くと、その口から光の玉が零れ落ちる。反射的に手を差し出した葵は、掌の上で光の玉が本になったことに目を瞬かせた。

(本に、なっちゃった)

 何気なく背表紙を見てみると、そこにはバラージュ=バーバーの名が記されていた。バーバーというファミリーネームには覚えがなかったが、これはおそらく、探していた人物の記憶だろう。そう察した葵は慌ててユアンを呼んだ。

「ユアン、これ、見て」

「バラージュ=バーバー? そっか……持って来てくれたんだ。ありがとう、ムーン」

 ユアンが頬ずりをすると、猫はそれを嫌うかのように逃げ出した。身軽に着地した猫は走り去ってしまい、その姿は本棚の隙間に消えて行く。ユアンが苦笑しながら立ち上がったので、葵も何となく苦笑いを浮かべた。

「行っちゃったね」

「うん。でも、また会えて嬉しかった」

「何で、管理人さんがここにいるの?」

「彼はレインと一緒に世界に還ったんだよ」

「そうだったんだ……」

 あの黒猫は葵が以前に住んでいた『ワケアリ荘』というアパートの管理人をしていた青年で、彼は葵と同じく異世界からの来訪者だった。彼の還った世界は生まれ故郷ではないけれど、それで良かったのだろう。アパートにいた時はいつも寂しがっていたが、ユアンの腕に抱かれていた彼からは孤独を感じなかったからだ。それはきっとレインが、月夜の晩にワケアリ荘の屋根の上で語らっていた時と同じように、彼の傍にいるからなのだろう。黒猫が去った後を見つめていた葵はそんな風に、思った。

「レイン、ありがとう」

 姿の見えないレインに向かって、目を閉じて空を仰いだユアンが深謝した。葵もそれに倣い、心の底から感謝の念を捧げる。次に目を開けた時、いつの間にか雨は上がっていた。

「アオイ、本を開いてみて」

 ユアンが話しかけてきたので、葵は胸に抱いていた本を持ち直した。本の形をしてはいるが、これはバラージュという人間の記憶そのものである。何が起こるのか分からなかったため、葵は恐る恐るページをめくった。しかし仰々しいまでに身構えたにも関わらず、何も起こらない。パラパラとめくってみても、どこまでも空白のページが続いているだけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ