決意を新たに(4)
冬月期の真ん中の月にあたる白殺しの月の七日。屋敷で昼食を取った後、葵は一人で学園に戻って来た。クレアは午後から仕事なので、一緒ではない。
エントランスホールをくぐると、葵は教室ではなく図書室へと足を運んだ。まだ昼休み中のため、校内はどこも静けさを保っている。図書室も無人だったが利用の仕方は分かっているため、葵はまず借りていた魔法書を返却した。その後、ハードカバーの魔法書がズラリと並んでいる棚に向かう。
(召喚魔法……召喚魔法……)
アルヴァ=アロースミスという青年と世界を旅した際に文字を学習したため、棚に表示されている内容は読み取ることが出来る。整然と並んでいる本棚は利用者に分かりやすいよう、カテゴライズもされている。しかし葵には、目的のものがどのカテゴリに属するのか分からなかった。
(転移の魔法とかが近いのかな?)
同じ世界内でのことなのか、異世界間のことなのかの違いはあるが、召喚魔法も転移魔法も人間が移動するという点では同じである。とりあえず転移魔法を扱っている棚を探そうと思ったものの、そういった分類は見当たらなかった。さっそく躓いてしまった葵は途方に暮れて立ち尽くす。
「どうしたの? そんなに棚を睨んじゃって」
成す術なく本棚を見上げていると、不意に誰かの声が聞こえてきた。第三者の存在をまったく意識していなかった葵は慌てて、声のした方に顔を傾ける。するとそこには、大きめのヘアバンドを着けた少女の姿があった。
「何か探し物? 良かったら手伝おうか?」
「えっ……」
面識のない少女からの申し出に、葵は困惑した。トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを身につけているので、彼女が生徒であることは間違いないだろう。しかしこの学園の生徒に、こんなにフランクに話しかけられたのは初めてだった。葵が言葉を次げずにいると、少女は人好きのする笑みを浮かべて見せる。
「アタシ、エレナっていうの。よろしくね?」
「あ、私は……」
「ミヤジマ=アオイさんでしょ?」
「……何で知ってるの?」
「だって、あなた有名だもの」
確かに、この学園の生徒で自分を知らない者はいないかもしれない。そう思った葵はエレナと名乗った少女に苦笑いを見せた。エレナも葵に微笑み返し、それから本棚へと視線を転じる。
「何を探してたの?」
「あ、えっと、召喚魔法の本がないかなぁと思って」
「召喚魔法? あなた、禁呪に興味があるの?」
エレナの口から『禁呪』という言葉が飛び出したので、葵はまたしてもどう答えていいのか分からなくなってしまった。禁呪とは何らかの理由で葬られた魔法のことであり、あまりいいイメージのあるものではないのだ。興味があると答えてしまえば、妙な勘繰りをされないとも限らない。葵はそんな心配をしてエレナの出方を見ていたのだが、それは杞憂に終わった。
「実はね、アタシも興味があるの。でもさすがに、禁呪に関する本はここにはないわね」
「そうなんだ……」
「ねぇ、良かったら少し座って話をしない?」
エレナが机の方を指差したので、まだ少し警戒心を残している葵は返答に困ってしまった。するとエレナは、そんな葵の胸中を見透かしたように笑みを向けてくる。
「ただ禁呪について話してみたいだけ。この話題で盛り上がれる人ってあんまりいないのよね」
エレナが向けてくる微笑みからは好意しか感じられなかったので、葵は彼女の誘いに乗ってみることにした。まだ下心がないとも言い切れないが、禁呪に関する情報を得られるのであれば断ってしまうのはもったいない。
椅子に腰を落ち着けると、葵は何気なく机の上で組んでいる指に視線を落とした。そこには濃紅色の宝石が輝く指輪が嵌められている。無意識のうちにそれを頼りにしていたことに気がつくと、葵は苦い気持ちになった。
(こんな時だけ頼るなんて……)
利用するのは構わないが、キリルとは恋仲になるなと言っていたアルヴァの言葉を思い出す。これでは本当に悪女になってしまいそうだ。
「それ……」
怪訝そうな声につられて目を上げると、テーブルを挟んで正面に座しているエレナが眉根を寄せていた。彼女が何故そんな表情をしているのか分からず、葵は首を傾げる。眉間のシワは解いたものの、エレナはまだ硬質さを残しながら言葉を続けた。
「その指輪、どうしたの?」
この指輪は衆人監視の中でキリルに嵌められたものだったが、どうやらエレナはあの場に居合わせていなかったようだ。また居合わせたかどうかは別として、今この指輪は生徒達の話題を独占している。それでもまだ事情を知らない人がいるのだと、葵は少しホッとしてしまった。
「キリルに嵌められたの。取りたいんだけど、取れないんだよね」
「そう、なんだ……」
心ここにあらずといった様子で独白を零したエレナは、何かを考えているようだった。何がそんなに気になるのかと訝った葵は眉をひそめる。
「あなたもキリルのことが好きなの?」
もしくは他のマジスターに気があって、彼らと仲良くしたいがために近付いて来たのではないだろうか。葵がそうした疑念をストレートに口にすると、エレナはキョトンとした後、急に笑い出した。
「違うわ。アタシはただ、その指輪を外してあげることが出来るかもしれないって考えてただけ」
「えっ、そんなこと出来るの?」
葵が嵌めている指輪は儀式によって固定されているもので、それを外すにはやはり、それなりの儀式が必要なのだ。アルヴァの話では、指輪を外すための儀式もエクランドの者でないと出来ないということだった。
「もしかしてあなた、エクランドの関係者?」
「あなた、だなんて素っ気ないわ。エレナって呼んで? アタシもミヤジマって呼ばせてもらっていいかしら?」
「……それなら、アオイの方で呼んでくれる?」
「分かったわ、アオイ。それで、さっきの質問なのだけれど、アタシはエクランドの人間じゃないわ。ただ、指輪を外す方法に心当たりがあるだけ」
その方法については詳しく触れず、エレナは指輪を外したいのかどうか葵の意思を再度確認した後、この件は任せてよと豪語した。
「二日もあれば準備が整うと思うわ。今は禁呪の話をしましょうか」
「うん」
「アオイは召喚魔法の何を知りたいの?」
より正確に言えば、葵が知りたいのは召喚魔法自体のことではなく、元いた世界への帰り方である。しかしそのことは口に出来ないため、葵は話を合わせることにした。
「全部、かな」
「全部というと、実際に召喚魔法を使えるくらい詳細にということ?」
「うん。そんな感じ」
「それなら、送還魔法のことも知らないとね」
「あ、そっちも知りたい」
送還と聞いて食いつきそうになったのを何とか堪え、葵は過剰反応にならないよう気をつけながら関心を示した。エレナに怪しむような様子は見られなかったが、タイミングの悪いことに、そこで予鈴の鐘が鳴り響く。今はここまでねと言い置き、エレナは素早く席を立った。
「良かったら今日、うちに来ない? 禁呪のこと、もっと話しましょうよ」
エレナにそう誘われた時、葵はすぐに答えを返すことが出来なかった。彼女は他の人とは違うようだと思いつつも罠かもしれないと疑ってしまったのは、今までこの学園の女子には散々な目に遭わされてきたからだ。
(でも、チャンスかもしれない)
平素であれば知りたいことはアルヴァに尋ねるのだが、禁呪に関しては、彼には聞き辛い。クレアもあまり魔法に精通しているとは言えないので、禁呪の話題となると荷が重いだろう。エレナに下心さえなければ、トリニスタン魔法学園の生徒である彼女は恰好の相談相手だ。
「……行く」
しばらく迷った末、葵はエレナに頷いて見せた。ニコリと微笑んだエレナは授業が終わったら裏門で待ち合わせをしようと言って、図書室を出て行く。何故裏門なのだろうと不思議に思いつつも、本鈴に急きたてられた葵も慌てて教室へと向かった。