すれ違い、重ならない(5)
校内に終業を告げる鐘が鳴り響くと、トリニスタン魔法学園アステルダム分校では日程が終了する。この学園には放課後に部活動を行うという習慣がないため、生徒達は終業の鐘が鳴るとすみやかに下校するのだが、この日は放課後の校内に多くの生徒が残っていた。その多くは女子生徒で、彼女達の目当ては三年A一組の教室にいるマジスターだ。
「どうしても、話してもらえないか?」
オリヴァーが話しかけたのはこのクラスの女子を仕切っている、ココという名の女子生徒だ。窓際の席に座っている彼女の傍には数名のクラスメートがいて、その中にはサリーという少女の姿もある。取り巻きの少女達は不安げな表情を浮かべてココを見ていたが、オリヴァーに直接的な視線を向けられているココは平然としたまま口を開いた。
「申し訳ありませんが、オリヴァー様。わたくし達は本当に何も存じ上げないのです」
「うそつきぃ! おたくらがアオイを連れ去った現場を見たってやつがおるんやで!」
「では、ブルームフィールドさんにお聞きしますわ。その方が何をご覧になったのかは分かりませんが、それが本当にわたくし達であったことを証明できますの?」
苛立ちを露わにして噛み付いたものの、返す言葉に詰まったクレアは閉口するしかなかった。クレアが黙り込んだのを見て、ココはさらに反論を続ける。
「仮にわたくし達がアオイさんと一緒にいたのだとしても、それが彼女がいなくなった原因だとは言い切れないと思いますわ。わたくし達には何も、心当たりなどないのですから」
「……本当に、関係がないんだな?」
言い負かされてしまったクレアに代わって、念を押したのはオリヴァーだった。サリー達は顔をしかめて動揺する素振りを見せたが、それを一瞥するだけで制したココは、オリヴァーに向かっても平然と頷き返す。
「先程から何度も申し上げております。わたくし達には関係がありません」
「……いけしゃあしゃあと、よくも、」
強い怒りのこもった独白を零した後、一瞬でココの間合いに入ったクレアは彼女の腕を強引に取った。無理矢理立ち上がらされたココはクレアを睨みつけ、尖った声を発する。
「何をするんですの! 離しなさい!!」
「このままやったらラチがあかん! 一緒に来てもらうで!!」
「誰があなたなんかと!」
「こ、ココさん……」
クレアとココがいがみあっていると不意に、ココの傍にいたクラスメートの一人が声を上げた。何かに驚愕しているような震える声に導かれて窓辺を振り返ったクレアは、そこに信じられないものを見つけて瞠目する。
「アオイ!!」
窓に張り付いたクレアは、そのまま窓を開けると校舎の三階から飛び降りて行った。開きっぱなしになっている窓から、オリヴァーがその後を追う。オリヴァーを追って女子生徒達が窓辺に殺到する中で、ココ達だけが言葉を失っていた。
つい先程までココが平然としていられたのは、葵が二度と戻ってくることはないと確信していたからだ。しかし彼女は、帰って来てしまった。行方不明になっていた原因は葵の口から暴露され、その情報はすぐキリルの耳にも入るだろう。真実を知れば、キリルが葵を貶めた人間を放っておくはずがない。自分の末路が決定付けられたことを知ったココの顔からはやがて血の気が引いていき、彼女の面は秘色の月に照らされた雪のように青白くなった。
「ど、どうしますの?」
「だからやめようと言ったではありませんか!」
「言ってないですわ! 自分だけ逃げようとなさらないで!」
「わたくし達は関係ないですわ! 全部ココさんが計画したことですもの!」
パニックの中で保身に走った少女達は、ココを捨て置いて逃げ出した。唯一、彼女の傍に残ったサリーは恐る恐るココの顔色を窺う。
「ココさん……?」
「……全て、わたくしが一人でやったこと。何か訊かれたら、そう言うといいですわ」
生気の抜けきった顔でそれだけをサリーに言い置くと、ココはフラフラと三年A一組の教室から出て行った。
風に巻かれて空を漂っていた葵は気がつくと、アステルダム分校の裏門付近に描かれている魔法陣の中で座り込んでいた。なんだか頭が働かなくてそのまましばらくボーッとしていたのだが、やがて「アルヴァの元へ行かなければ」という思いが芽生えてきて重い腰を上げる。遠くに見えている校舎に向かって歩き出そうとすると、その方向から誰かが走って来たので、葵はまた呆けながら近付いて来る人影を眺めていた。
「アオイ!!」
大きく手を振りながら駆け寄って来たのはクレアだった。その後からさらに、オリヴァーもやって来る。二人から話しかけられているうちに次第に現実感が戻って来て、葵はまだ靄がかかっているような頭を小さく振った。
「えっと……ここは、学校?」
「せや、トリニスタン魔法学園や」
「あー、帰って来たんだぁ」
「クレア、話は後だ。アオイを連れて帰って休ませてやれよ」
一昼夜野ざらしにされていた葵はボロボロになっていて、露出している肌には痣も見える。オリヴァーの言う通りだと判断したらしいクレアに促されて、葵は屋敷に帰ることになった。方々に葵が見付かったことを報せてくると言っていたオリヴァーは同行せず、クレアも風呂の用意を終えると再び外出していく。浴槽に浸かると知らぬ間に増えていた傷のせいであちこちが滲みたが、汚れきっていた葵は至福のバスタイムを堪能した。
風呂から上がって二階の端にある寝室に戻ると、そこにはクレアと共にアルヴァの姿もあった。どうやらクレアが、彼を連れて来たらしい。手当てをしてくれるという申し出に甘えることにした葵は、ベッドの端に腰かけてアルヴァに身を任せる。その間に本題に言及してきたのはクレアだった。
「一体、何があったんや?」
「えーっと……昼休みに学校に戻ったら拉致られて、よく分からない場所で閉じ込められてた」
自分が置かれていた状況を簡単に説明すると、クレアは真顔のまま口をつぐんでしまった。予想外に重い空気が漂ったので、葵は首を傾げる。
「どうかした?」
「どうかした、やない! 誰がおたくをそないな目に遭わせたんや!!」
もう答えは分かっているが、葵の口から直接犯人の名を聞きたい。クレアがものすごい剣幕でそう叫んだので、当事者である葵の方が面食らってしまった。
「ク、クレア、落ち着いてよ」
「これが落ち着いていられるかい! 何でおたくはそないに落ち着いてられるんや!?」
「……クレアさん、ミヤジマの話を聞きましょう」
そこでアルヴァが容喙してきたので、クレアはいったん口を閉ざした。しかし彼女の怒りは治まっていないようで、未だ険しい表情を崩していない。心なしかアルヴァからも怒っているような雰囲気が感じられたので、葵は意外に思いながら言葉を続けた。
「あ、えっと、心配してくれたんだね。二人とも、ありがと」
「ミヤジマを攫ったという女子生徒は、何故そのようなことをしたのですか?」
「それは……まあ、アレだよ」
「キリル=エクランドにミヤジマを近付かせたくなかった。この解釈で間違いありませんか?」
「……うん」
アルヴァがずけずけと真相を暴いていくのを怪訝に思いながら、葵は頷いた。その途端、クレアが苛立たしげに自身の髪を掻き毟る。
「やっぱりそうやったか。もっと引っ叩いてやれば良かったわ!」
「引っ叩いたって……誰を?」
「キリルに決まっとるやろ! 元はと言えばあのお坊ちゃんの態度がハッキリせんから、こんなことになったんや!」
クレアはどうも、キリルが自分の気持ちを認めずに葵を手に入れようとしたことが問題の発端なのだと考えているようだ。しかしキリルが葵のことを好きなのだと公言していたら、今回のような騒動は起こらなかったのだろうか。
(たぶん、変わらなかっただろうな)
キリルの態度がどうあれ、火種は随分前から燻っていた。葵にとってもココ達にとっても、今回の一件は避けて通ることの出来ないものだったのだ。クレアが怒りに任せてキリルを罵っているのを聞きながら、葵は改めてそう思った。
「とにかく、や! あないな所に行く必要なんてあらへん!」
あんな学校は辞めてしまえと、クレアは一息に捲くし立てる。意外なことにアルヴァも、クレアの意見に賛同を示した。
「ミヤジマが望むのでしたら転学も可能です。学園へ通うこと自体が嫌なら……」
「ちょっと、待って」
このまま放っておくと自分の意思の外で話が進んでしまいそうだったので、葵はアルヴァの言葉を遮った。アルヴァとクレアが意外そうな面持ちを同時に傾けてきたので、二人分の視線を浴びた葵は居心地が悪く思いながら言葉を重ねる。
「ちょっと、考えさせて」
「……そうですね。今はとにかく、ゆっくり休んで下さい。クレアさん、後のことはよろしくお願いします」
「まかしときぃ」
クレアが力強く頷くと、葵の手当てを終えたアルヴァは去って行った。気を遣ったらしいクレアも長居せずに部屋を出て行ったので、一人になった葵はベッドに潜り込む。
(……ふかふか)
色々と考えなければならないことはあったが今は体と頭を休めようと思い、葵はベッドで寝られることの喜びを噛みしめながら深い眠りに落ちていった。