オロール城の夜(2)
ハルと別れた後、見学がてらに城内をブラブラしていた葵とクレアは、やがて展けた空間に辿り着いた。そこはアステルダム分校にある大空の庭のような造りになっていて、空を仰ぐと頭上でオーロラが輝いているのが見て取れる。天然のプラネタリウムのようなその場所には、葵達の連れである三人の少年の姿があった。
「遅い!」
葵とクレアの姿を認めるなり不満を口にしたのはキリル=エクランドだ。先程ハルが『待ちくたびれてる』と言っていたように、彼は不機嫌極まりない表情をしている。しかし機嫌を損ねているのはキリルだけで、オリヴァー=バベッジとマシェル=ヴィンスは爽やかな笑みでもって葵とクレアを迎えた。キリル以外の二人がスポーツウェアのようなものを着込んでいたので、そういった服装をこの世界で初めて目にした葵は目を瞬かせる。
「何してたの?」
思わず問いかけてしまったのは、オリヴァーとマシェルが手にラケットらしき物を持っていたからだ。額に汗を浮かべている二人は、葵の問いかけに実践でもって答える。室内の中程には不自然な形でそそり立っている土壁があって、オリヴァーとマシェルはその壁の前に並んで立った。オリヴァーが手にしていたラケットでボールを打つと、それは土壁に当たって跳ね返ってくる。角度をつけて跳ね返ってきたボールをマシェルが打ち返し、再び土壁に当たったボールはオリヴァーの元へ。
「と、いうような遊びをしてたんだ」
戻って来たオリヴァーが説明の最後にそう付け加えたので、葵は居ても立ってもいられなくなってしまった。その『遊び』には魔法を使うのかと尋ねてみると、魔法はナシがルールなのだという。それはオリヴァーとマシェルが考え出した『スパコン』という遊びなのだそうだが、葵の目にはテニスにしか見えなかった。
「こんな風にしてみたらどう?」
遊び心が疼いてしまった葵はペンを取り出し、空中にテニスコートを描き出した。それを元にテニスのルールを説明すると、オリヴァーとマシェルが面白いくらいに食いついてくる。キリルは訝しげに眉根を寄せていたが、オリヴァーとマシェルはこういった『遊び』が大好きらしい。
「それ、いいな」
「面白そうだ。やってみようぜ」
ノリノリでオリヴァーを誘うと、マシェルは不自然な土壁を地面へと戻し、平坦になった大地にテニスコートを再現した。ネットは低い土壁で代用されていたが、それでも目前で繰り広げられているラリーはまさにテニス。観戦していた葵も興奮していたが、それ以上に初めての遊びを体験したオリヴァーとマシェルが興奮していた。
「すげぇ! なんだこれ!」
「アオイ、天才だな。ユキガッセンといい、遊びを考えるのがうますぎる」
ひとしきりラリーをしてから戻って来たマシェルとオリヴァーは、葵の発想を絶賛した。実際には自分が考案した遊びではないので褒められても感慨はなかったが、興奮は高まっていく。先程から体も疼いて仕方なかったので、葵はオリヴァーにラケットを貸してほしいと頼み込んだ。
「面白そうや。うちもやるで」
「じゃあ、これ使えよ」
「ありがたいけどいらんわ。マト、変態や」
ラケットを差し出したマシェルに断りを入れると、クレアはマトを変態させた。ワニに似た体がたちまちラケットへと姿を変えると、変態を目の当たりにしたマシェルが驚きの声を発する。
「魔法生物か」
「そういえば、マシェルは知らないんだったな」
そのままオリヴァーとマシェルは話を始めたが、すでにテニスの方へ気持ちが傾いている葵とクレアは二人を捨て置いてコートへと移動した。サーブは葵からなのだが、ボールを打つ前に気になったことをクレアに尋ねてみる。
「マト、痛くない? 大丈夫?」
「へーきや。むしろマトがやってみたいて言うたんやで」
考えてみれば、マトはクレアの武器として闘ったりすることもあるのだ。ならばボールを打ち返すくらい大丈夫なのだろうと納得し、葵はゲームを開始する。勝負ではないので緩くラリーを続け、軽く汗を流したところで葵とクレアはテニスを切り上げた。
「あ~、いい汗かいたわ」
「楽しかったぁ」
クレアはマトを元の姿に戻しながら、葵はオリヴァーにラケットを返しながら、それぞれに運動後の爽やかな気分を口にした。そこへメイドが現れて、食事の支度が整った旨を告げる。その前に汗を流そうという話になったため、一同はメイドに案内されて浴場へと向かった。
オロール城の大浴場はテニスをした場所と同じく開放的な造りになっていて、露天ではないのだが、夜空に輝くオーロラがよく見えた。バスタブはプールのようで、乳白色の湯には色とりどりの花弁が浮かべられている。そこにはすでにバスタイムを満喫しているハルの姿があり、不機嫌に入浴したキリルは無言で彼の傍に腰を落ち着けた。
「何で不機嫌?」
「うるせぇ」
開口一番に不躾な質問をしてきたハルを一言で黙らせ、閉口したキリルは眉間のシワを深くした。そのうちにオリヴァーとマシェルが姿を現したので、キリルは嫌な顔を彼らに向ける。
「汗くせぇ。寄るな」
それは仲間はずれにされたキリルの胸中を顕著に表した一言で、それが分かっているオリヴァーは苦笑を浮かべた。マシェルは気にした様子もなく、彼は湯で顔を洗ってから言葉を紡ぐ。
「拗ねるくらいなら自分から混ざって来いよ。ああいう遊びはけっこう楽しいもんなんだぜ?」
「意味が分からねぇ」
余程の健康志向の者でない限り、貴族は基本的に自ら体を動かすようなことはしない。そういった点ではマシェルやオリヴァーの方が異質なのであり、キリルの反応は至ってまともだ。キョトンとしているハルにオリヴァーが事情を説明しているうちに、マシェルはさりげなくキリルを連れて二人から遠ざかった。
「やり方は覚えてきたな?」
マシェルが何のことを言っているのかすぐに察したキリルは機嫌を直し、真顔に戻ってから頷いた。
「×××を×××に××すればいいんだろ?」
「……その通りだけだ。けどな、それ絶対女の子の前で言うんじゃないぞ」
そんなことを口にしようものなら確実に嫌われるとマシェルが言うので、キリルはそういうものなのかと首を傾げた。羞恥のポイントが分かっていないキリルを目の当たりにして、マシェルは呆れた顔をする。
「ま、チャンスは作ってやるから頑張ってこい」
そこでオリヴァーから密談を咎める声が飛んできたので、話を切り上げたマシェルは何食わぬ顔でキリルから離れて行った。マシェルがハルに話しかけているのを何気なく見ているとオリヴァーが寄って来たので、キリルは彼の方へと顔を傾ける。するとさっそく、マシェルと何の話をしていたのかと質問をぶつけられた。
「別に、何でもねぇよ」
キリルは隠し事をしないタイプだが、オリヴァーにマシェルとの会話の内容を明かさなかったのには、ある理由があった。それはオリヴァーが、葵が絡むこととなるとやけに口うるさい存在になるからだ。そんな彼は今までに見たことがなく、非常に胡散臭い。
「何だよ?」
「何でもねぇよ」
キリルはぶっきらぼうに答えると、邪険にされて困惑しているオリヴァーを置き去りにして、バスルームを後にした。