最悪のゲーム(2)
丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校に始業を告げる鐘が鳴り響いた。この鐘の音に従って学園生活を送っている生徒達は通常時であれば、各々が所属するクラスで教師の話に耳を傾け始める。だがこの日の朝、校内はさざめき立っていた。本来ならば無人であるはずの廊下には生徒が溢れ、主に女子生徒達が華やいだ声を上げている。彼女達の熱視線を浴びながら廊下を闊歩しているのは、私服姿の少年。黒髪に黒い瞳といった容姿をしている彼はこの学園のエリート集団であるマジスターの一人で、名前をキリル=エクランドといった。
容姿端麗な者ばかりのマジスターにあって、キリルも自然と人目を引く美少年の一人である。切れ長の目がクールな印象を与えると女子生徒に評判の彼だが、チャームポイントであるその目の下には濃い隈ができていた。寝不足なのかイライラしているようで、不機嫌極まりない表情で歩を進めているキリルからは熱を帯びた魔力が垂れ流しになっている。意図的に制御しない彼の魔力はそれだけでちょっとした魔法並みの威力があり、廊下の壁や教室の扉などを若干溶かしながらキリルは目的地へと突き進んでいた。
(くそっ、イラつく)
キリルをイラつかせている原因は、ミヤジマ=アオイという一人の少女の存在である。よく分からない人物である彼女はいつの間にかキリルの心に棲みついていて、その一挙一動がとにかく気に障る。これが心底嫌いな奴で、殴って服従させれば気が晴れるというのであればいいのだが、そうではないから余計にタチが悪いのだ。
「どこ行くの?」
周囲から浴びせられる黄色い声をシャットアウトしていたキリルは、知った人物の声だけをピンポイントで拾って足を止めた。振り返ってみると赤髪の少年の姿があって、それと同時に遮断していた女子生徒達の声も耳を突く。周囲に向かって「うるせぇ!」とがなり立てた後、キリルは赤髪の少年に向き直った。
「どこでもいいだろ」
「校舎の中にいるってことはアオイの所?」
ぼかした答えを意地悪く指摘してくるのは、同じマジスターの仲間であるウィル=ヴィンス。図星だったので、キリルはチッと舌打ちをした。
「お前こそ、何でここにいるんだよ」
「ちょっと気になることがあってね」
奇しくも目的地が同じだったのだと、ウィルは言う。本当に偶然だったのかどうかは定かではないが、キリルはウィルと並んで歩き出した。向かう先は二階の、二年A一組だ。
「ひどい顔だね。昨日、寝られなかったの?」
触れて欲しくないところに触れられたため、キリルはウィルの質問を黙殺することにした。しかし沈黙は肯定と同義だったようで、ウィルは一人で話を進める。
「寝不足の原因って、やっぱり昨日のアレ?」
「アレって何だよ」
「恥ずかしがらずにハグくらいしておけば良かったのに。あの後、王子に甲斐性なし呼ばわりされてたよ」
「……ぶっコロス」
恥ずかしがってなどいないと反発する気持ちよりもジノクへの怒りが先立ち、ウィルとの遭遇で一時落ち着いたキリルの魔力が再びメラメラと燃え出した。キリルから少し離れたウィルはさりげなく風で熱を散らし、言葉を重ねる。
「元より焼きを入れに行くつもりだったんじゃないの?」
「王子だか何だか知らねーが、ナマイキなんだよ」
こうしている間にも、ジノクと葵は教室でイチャイチャしているかもしれない。昨夜から悪夢のように目前で繰り返される光景が再び浮かんできて、寝不足のキリルはさらなる苛立ちを募らせた。キリルの感情に比例して、魔力はどんどん実体化していく。炎と化したキリルの魔力が窓を突き破る頃には群がってきていた女子生徒の姿もなくなっていて、あちこちの教室から防御を築く呪文が聞こえてきた。しかしそんな中にあっても、風で身を護っているウィルは涼しい表情を崩さない。
「キル、ちょっとは魔力を抑えなよ。フロンティエールの王子は魔法なんか使えないんだから、下手に傷つけると外交問題になるよ」
「うるせぇ!! オレの知ったことか!」
「ハーヴェイさんに迷惑がかかることになるけど、いいの?」
ウィルが実兄の名を持ち出してきたことで、キリルは頭に上っていた血が急速に下がっていくのを感じた。炎のように迸っていたキリルの魔力が体に戻って行くのを見て、防御魔法を解いたウィルはふうと息を吐く。
「魔法も暴力も通じない相手だけど、どうするの?」
「……どうすればいい? どうすれば、あいつらがイチャつかねぇ?」
顔を背けたウィルがプッと吹き出したので、キリルはこめかみに青筋を浮かび上がらせた。しかしからかうつもりはないようで、すぐに無表情に戻ったウィルは淡々と言葉を紡ぐ。
「アオイの方にはその気がないみたいだから、王子を制御出来ればキルの思う通りになるんじゃない?」
「だから、それをどうやるんだよ」
「弱味を握る、っていうのが一番手っ取り早いんじゃないかな。とりあえずは話をして、情報を集めないとね」
ちょうど目的地へ辿り着いたので、ウィルは「穏便にね」とキリルに釘を刺してから扉を開けた。扉が開かれた瞬間にキャーという甲高い声が聞こえてきて、キリルはさっそくイライラする。
「うるせぇ!! 黙れ!!」
「ジャマだから、みんな出て行ってくれる?」
声を張り上げることで怒りを表現するキリルとは対照的に、ウィルはあくまで冷静に二年A一組の生徒達を教室から追い出した。老齢の教師までもがマジスターの意に従ったが、教室内には彼らの命令に逆らった者が二人ほど残っている。フロンティエールの王子であるジノクと、その付き人のビノだ。
「やあ、ジノク王子」
ウィルが気軽に声を掛けながらジノク達に近付いて行ったので、キリルも目をつり上げながらその後を追った。
「アオイもクレアもいないんだ?」
「今日はまだ姿を見ておらぬ」
「じゃあ、寂しいでしょ? 特にアオイがいないと」
素直に頷いて見せるジノクに笑いかけながらウィルは空席に腰を落ち着けたが、どうしてもそんな気分になれなかったキリルは立ったままで動きを止めた。キリルの敵意を孕んだ視線がジノクにのみ向けられていたため、何かを危ぶんだらしいビノがジノクとの間に体を割り込ませてくる。それを不快に思ったキリルは怒りのボルテージを上げてしまったのだが、それが暴発する前にウィルとジノクがその場を取り成した。
「キル、獣じゃあるまいし、威嚇するのはやめなよ」
「ビノ、そなたも下がっておれ」
ウィルの制止にはあまり効果がなかったが、ビノは主人の命を受けて後ろに下がった。しかしそれでもキリルの機嫌が治らなかったため、ジノクがビノに教室の外へ出ているよう命を下す。ビノが渋々といった様子で教室から出て行くと、ジノクはキリルに視線を向けてきた。
「そなたとは話がしたいと思っていた」
そう告げると、ジノクはキリルに座るよう促した。長話になると察したのか、ウィルが召喚した茶器に紅茶を淹れさせている。その様子を食い入るように見ていたジノクが魔法のことでウィルと話を弾ませ始めたので、キリルは鋭い視線をウィルに向けた。
「ウィル! てめぇ、こんなのと仲良くなってんじゃねーよ!」
「そういう束縛、僕は嫌いだなぁ。まるで恋人が別の男と親しくしてる場面に出会って嫉妬してる人みたいだよ?」
「なんだと!!」
「まったく、キルってばヤキモチ焼きなんだから。度が過ぎるヤキモチは女の子にも嫌われるよ?」
もはやキリルに言葉はなく、怒りが頂点に達した彼は具現化した炎を体から迸らせた。自分とジノクに危害が及ばないよう魔法で炎を散らせたウィルは、怒り狂っているキリルを見上げてふと口元に手を当てる。
「ごめん、キル。僕が悪かったよ。今日はオリヴァーがいないから、このくらいにしておこう」
壊れた物を復元させるのが面倒だからケンカを終わらせようと、ウィルは非常に一方的なことを平然と言ってのける。挑発するだけしておいて肩透かしを食らわせるのはウィルの常套手段なのだが、自分以上に自己中心的な物言いに呆れてしまったキリルは毒気を抜かれてしまった。
「お前な、オリヴァーは専属執事じゃねーんだぞ?」
「分かってるよ、そのくらい」
「そなた達、妙だな」
すっかり蚊帳の外に置かれていたジノクが口を挟んできたので、ハッとしたキリルは仏頂面を作った。こうなることまでを計算して挑発してきたのか、ウィルはそれまでと変わらずにジノクと話をしている。一度溜めた怒りを放出したこともあり、どうでもよくなってしまったキリルは空席にドカッと腰を落ち着けた。