1ヶ月後の答え(4)
「アオイはどこまで知ってるの?」
クレアが「特別だ」と言って淹れてくれた紅茶の香りを愉しんでいた葵は、ウィルから唐突に発せられた言葉の意味が分からなくて首を傾げた。
「何の話?」
「キルのことだよ」
「実家がマグマの中にあるとか、末っ子とか、魔力のコントロールがヘタクソとか、そういうこと?」
「く、詳しいな」
「予想外の詳しさだね」
オリヴァーとウィルから同時に驚きの声が上がったので、葵は質問の意図を理解出来ずに答えてしまったことを察した。
(まずいこと言ったかな……)
葵が口にしたキリルの情報は、全てアルヴァから教えてもらったものだ。だがここで、説明のために彼の名前を出すわけにはいかない。突っ込まれるのを覚悟した葵は色々と言い訳を考えていたのだが、ウィルはそのことには触れずに話を続けた。
「そういうことじゃなくて、キルにかけられてた魔法のことだよ」
「ああ……」
そのことかと納得した葵は、キリルの実兄であるハーヴェイ=エクランドの顔を思い浮かべた。キリルがまだ幼い頃、ハーヴェイは実の弟に人体に作用する魔法をかけたのだという。葵が確実な情報として知っているのはそのくらいで、その魔法がどういったものだったのかなど詳しいことは何も分からない。葵のそうした答えを聞いたウィルは結局、一から説明を始めた。
「キルはハーヴェイさんの魔法で人格を修正されていたんだ」
「昔は大人しかったのが急に凶暴になったってやつ?」
「そう。昔のキルってすごく引っ込み思案で、おどおどした子供だったんだ。たぶんハーヴェイさんは、キルに貴族の威厳を与えたかったんじゃないかと思う」
「威厳……って?」
「誰に対しても堂々としてろ、ってことだろ。俺達も昔、よく言われたよな」
「僕はそんなこと言われたことないよ?」
「確かにウィルは、昔から態度でかかったもんな」
オリヴァーが口を挟んできたことで昔話に花が咲いてしまったので、閉口した葵は一人で考えをまとめた。要するにキリルは、偉そうな態度をとれと教え込まれたことが仇となり、今のように凶暴な性格になってしまったということなのだろう。
「オリヴァーが余計なこと言うから話が逸れたじゃないか」
「あ、わりぃ。ごめんな、アオイ」
ウィルとの話を切り上げたオリヴァーが顔の前で手を合わせて見せたので、葵は軽く首を振った。昔話も一段落したらしく、ウィルは葵の理解が追いついていることを確認してから話を続ける。
「今話した性格の修正とは別に、ハーヴェイさんは自分に絶対服従するようにキルを操作してた。だからキルは、どんな無茶を言われてもハーヴェイさんには逆らえなかったってわけ」
ハーヴェイがアステルダム分校にやって来た時、彼はキリルにオリヴァーと友達をやめろと命令していた。本心ではオリヴァーのことを大切な友人だと思っていても、魔法をかけられているキリルはなかなか兄に逆らうことが出来なかったのである。そうした現場を目撃しているだけに、葵はすんなりとウィルの言葉を理解した。しかし話は通じても、自分との関連性はいっこうに見えてこない。
「で、それが何?」
「ここからが、本題」
本題が何なのか分からずに首を傾げていた葵にそう言い置くと、ウィルはクレアの淹れた紅茶を一口含んでから核心を口にした。
「キルの好意は、その大部分がハーヴェイさんに向けられていた。序列として見ればハーヴェイさんが一番だったわけ。だけどその序列を、アオイが壊したんだ」
「……私があいつを殴ったからね?」
「そう。たった一発の張り手で、アオイはキルの中で定義づけられた序列に無理矢理割り込んだんだよ」
本当はパーではなくグーで殴ったのだが、そのことは黙っておくことにした。ウィルの言う『無理矢理』という言葉が少し癪に触った葵は不服に口唇を尖らせる。
「別に、割り込みたくてやったわけじゃないし」
「そんなことは分かってるよ。ただ実際に、アオイはキルの内部に深く入り込んだんだ。体が勝手に土下座しちゃってたくらいだから、かなりの好意を抱かれていたと思っていいよ」
葵がとある事情でキリルを殴った後から、彼は葵に手を上げることが出来なくなった。殴りかかってこようとしても、その手が葵に達する前に土下座をしてしまうのだ。あの奇妙な光景はどう見ても好意とは程遠く、ウィルの言っていることにちっとも実感が湧かなかった葵は眉をひそめる。
「あれは好意じゃないでしょ」
「もちろん、普遍的な好意じゃないよ。魔法の論理が歪められて起きた現象だから大いに矛盾を孕んでる。でも、どんな形であれ、キルがアオイを強烈に意識しちゃったことは確かでしょ?」
「……なんか、イヤだなぁ」
思い当たる節は多々あったものの、強烈に意識されたというウィルの言い回しに拒否感を覚えた葵は苦笑いを浮かべた。しかしまだ話は終わらず、なおもウィルは言葉を紡ぐ。
「でもね、ハーヴェイさんがかけた魔法はもう解けてるんだ」
「え? そうなの?」
「そうやったんか」
それまで黙って耳を傾けていたクレアがふと口を開いたので、葵は何となく隣に座っている彼女に視線を移した。しかしクレアはクレアで何事かを考えているらしく、再び閉口した彼女は動きを止めている。目を向けたことに気付いてもらえなかったので、葵は再びウィルを見た。葵の視線が自分に戻って来たことで、ウィルは話を再開させる。
「そこで、実験。魔法による制約がない今、キルはアオイを見るとどんな風になるのか」
それを確かめるために朝から正門で張っていたのだと聞き、葵は呆れてしまった。
「実験実験って、私はモルモットじゃないんだよ?」
実験という名目でウィルに痛い目に遭わされた経験を持つ葵は、はっきりと抗議をしておく必要性を感じて語調を強めた。しかしウィルは葵の非難など歯牙にもかけずに小さく肩を竦めて見せる。
「注目して欲しいのはそこじゃないよ」
「さっきの、キリルの反応やな?」
ウィルの発言に応じたのはクレアで、当事者である葵は彼らが何を言っているのか分からずに首を傾げた。
「さっきの反応って何?」
「うわ、にぶっ」
「お嬢……それはないと思うで?」
ウィルはおろかクレアまでもが呆れ顔になったので、困惑した葵はオリヴァーに助けを求めた。目が合うと、オリヴァーはばつが悪そうな表情になって頬を掻く。
「本当は、終夏の儀式のすぐ後に確かめようとしたんだ。でもその時にはアオイがもういなかったからさ。キルは一ヶ月、待ったんだぜ」
「昨日殴った奴の顔さえ忘れるキルが、一ヶ月も待てるなんて尋常じゃないよ」
オリヴァーとウィルは口々に何かを訴えかけてきているのだが、葵には肝心の『何か』が分からない。核心をぼかして話を進められることに、初めは当惑していた葵も次第に苛立ちを募らせ始めた。
「だから、キリルが何なの? はっきり言ってよ」
「アホかっ!!」
バンとテーブルを叩いて立ち上がったのは、何故かクレアだった。真横で行動を起こされた葵は面食らって、目を瞬かせながらクレアを見上げる。腰に片手を当てた彼女は葵に人差し指を突きつけ、鼻息荒く言葉を次いだ。
「あないに分かりやすい反応されて何で本人だけ分かっとらんのや!」
「だ、だから、何……」
「決まっとるやろ! キリルはお嬢に惚れてしもうたんや!」
オリヴァーとウィルがあえてぼかしていたことをクレアが大々的に宣告すると、葵の目は点になってしまったのだった。