出発(3)
アリーシャが作業のためにどこかへ行ってしまうと、アルヴァは勝手知ったる様子で住居となっている二階へと葵を案内した。そこで勝手に料理など始めてしまったことからも、アルヴァが常習的にこの部屋へ通っていることが見て取れる。アリーシャとの関係を追及するのは野暮だと思った葵は、彼女のことには触れずに洋服の話題を切り出した。
「さっき何か色々言ってたけど、あれって何?」
「ミヤジマが着ていた傷んだ服の修理と、あのデザインと同じものを二着作ってくれるように頼んだだけですよ」
「エアコンとか、プロテクトっていうのは?」
「エアコンディションは体感温度を自動で調節する魔法です。プロテクトというのは魔法による衝撃を和らげるためのものですね」
アルヴァが簡潔に説明を加えてくれたため、何となく先程の会話の要点をつかめた葵は納得して頷いた。調理器具に何かの料理を作らせている間も室内をうろうろしていたアルヴァは、やがてペットボトルサイズの容器を持って葵の元へやって来た。
「肌や髪に使用する水溶液です。乾燥の気になるところに塗ってください」
アルヴァは雑談の一環のように淡々と言ってのけたが、乾燥を気にしていることを直接伝えた覚えのなかった葵は驚いた。葵がポカンと口を開けていると、アルヴァは食卓の準備を整えながらさらなる説明を加える。
「そのボトルはアリーシャのものですが水溶液は僕が調合したものなので遠慮を感じる必要はありません。髪のうねりなど、瞬く間になくなりますよ」
葵が動きを止めていた原因はそこではなかったのだが、アルヴァはおそらく葵の言いたいことなど承知の上で言葉を次いだのだろう。彼の観察眼にまだ若干の驚きを残しつつも、葵はボトルの中身を使用してみることにした。無色透明な液体は少しぬめりけのあるものだったが、肌に触れると水のようにスッと溶けていく。アルヴァの言う通り、うねりまくっていた髪の毛も瞬く間にストレートに戻ったので、葵は別の意味でまた驚愕した。
「すごい! 何これ!」
「欲しければ言って下さい。ミヤジマ用に調合しますから」
「欲しいに決まってんじゃん!」
葵が即答すると、アルヴァは旅行が終わったら水溶液を作ってくれることを約束した。
「では、席に着いて下さい。食事にしましょう」
テーブルクロスが敷かれた食卓ではすでに食事の準備が整っていて、立ち上る香りに食欲をそそられた葵はアルヴァの言う通りにした。葵はただ食べやすいように食物を口に運んでいるだけなのだが、アルヴァが食事をとっている光景は幼い頃から作法を仕込まれた者のように流麗だ。思わず見とれてしまった後で、葵は眉をひそめた。
(なんか……変なの)
違和感の正体を一言で言えば『アルヴァじゃないみたい』ということだ。彼が猫をかぶっている姿は見慣れているはずなのだが、葵は同時に素顔のアルヴァにも接し慣れている。このところ猫をかぶっているアルヴァと一対一で話をする機会がなかったため、改めて違和感を覚えてしまったのかもしれなかった。
「どうしました?」
アルヴァの方から尋ねてきたため、葵は猫をかぶっている彼と接するのがむず痒いという胸中をストレートな言葉で伝えた。これが素の彼と話している時であれば苦笑いを浮かべそうな場面だが、猫をかぶっているアルヴァは素知らぬ顔をしてナプキンで口元を拭う。
「今はこのままで話をさせていただきます。ミヤジマは何か、僕に聞きたいことがあるのではないですか?」
「聞きたいこと?」
アルヴァから問いかけられたことで考えを巡らせた葵は、まったりしてしまったことですっかり失念していた事柄を思い出した。魔法を使えないはずの自分が、何故自然属性の魔法を使うことが出来たのか。その説明を葵はまだ受けていないのである。
「そうだった。何で火が出せたのか説明してよ」
「結果から先に言うと、あれはミヤジマの力ではありません」
「でも、あの時は指輪を外してたよ?」
「原理は指輪と同じことです」
葵が魔法を使う時は通常、指輪にこめられたアルヴァの魔力を消費することによって魔法が成立する。その魔力をリングではなく、葵の体内に溜めておくことが出来ないかという実験をしていたのだと、アルヴァは淡白な口調でとんでもないことを明かした。
「体内って、まさか……」
アルヴァが指輪に魔力をこめる時の様子を思い返した葵は青褪めながら唇に手を当てた。彼は指輪に嵌めこまれている石にキスをすることにより、自らの魔力をリングへと移動させるのだ。葵の想像は的を射ていたようで、アルヴァはあっさりと頷いてみせる。
「口移しです。一度に大量の魔力を送ってしまうとミヤジマの体がどうなってしまうか分からなかったので小分けにしたのですが、一度解放されると蓄積された魔力を全て使い果たしてしまうようですね」
「小分け!?」
保健室で炎の塊が暴走したことよりも、そっちの発言にショックを受けた葵の顔からは再び血の気が引いていった。小分けにしたということは即ち、知らぬ間に何度もアルヴァとキスをしていたということである。
「い、いつ!? どこで、何回!!」
「それを聞いてどうするのですか?」
「いいから! 答えてよ!」
動揺しきっている葵にわざと聞かせるようなため息を吐いた後、アルヴァは眉一つ動かさずに問いの答えを口にした。
「場所は、主に保健室です。ミヤジマが意識を失っているときに、五・六回」
「ご、五・六回も!?」
「ただの補給作業です。深く考えない方がいいですよ」
「うっさい! アルに言われたくないよ!」
どこまでも他人事のように語るアルヴァを一喝し、葵は頭を抱えた。葵があまりにも長くショックを引きずっていたため、アルヴァは微かに眉根を寄せる。
「それは嫌がっている、と受け取っていいのですよね?」
それまで淡白に喋っていたアルヴァの口調に微妙な変化が表れたため、テーブルに突っ伏していた葵は頭に両手を当てたまま顔を上げた。するとアルヴァは思いのほか真剣な表情をしていて、拒絶しすぎたことで彼を傷つけてしまったかもしれないと察した葵は慌ててフォローに走る。
「あの、イヤってわけじゃ、なくて……」
とにかくショック、だった。でもやはり嫌だと感じている自分もいるようで、葵はフォローとして発した自分の言葉にも違和感を覚えてしまった。しかし葵の複雑な胸中は言葉になっていないため、嫌ではないという発言だけを受け取ったアルヴァはホッとしたように息を吐く。
「嫌ではないのでしたら実験を続けても支障ありませんね」
「いや、それはダメだって!」
「ですが、ミヤジマが魔法道具を使わずに魔法が使えるようになるのは画期的なことですよ? これを機に、新たな道が開けるかもしれません」
「う、うーん……。とにかく、キスはイヤ!」
「……分かりました。何か、別の方法を考えてみましょう」
アルヴァが渋々といった感じに折れたので、葵は密かに胸を撫で下ろした。本音を言えばやはり、アルヴァとキスをするのは嫌だったのだ。それは嫌悪感からくる拒絶ではない。もっと本能的な、自衛による拒絶だ。しかし葵は、自分が抱いているその感情を胸中でもうまく言葉にすることが出来なかった。
(……ま、いっか。アルも別の方法考えるって言ってるし)
そもそも恋人でもない相手と、日常的にキスをしなければならない状況がおかしいのだ。そう結論づけることで話を終わらせた葵は、アルヴァとは別の話もしなければならないことを思い出して口調を改めた。
「アリーシャさんから服が返ってきたら出発?」
「ええ。それほど時間はかからないでしょう。その間に、大体のプランを立てておきましょうか」
葵に食事が済んだかどうかの確認をすると、アルヴァはまずテーブルの上を片付け始めた。葵が生まれ育った世界ならば食器類を流しへ運ぶだけでも一手間だが、この世界での片付けは魔法使いが呪文を一つ唱えるだけで済む。片付けが終わると、アルヴァは茶器に命じて食後の紅茶を淹れさせた。