企み(2)
本日の授業を終えた放課後、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の中庭では同校の女子生徒による女の意地とプライドをかけた闘いが繰り広げられていた。この対抗戦では各クラスが代表一名を選出し、代表に選ばれた者達が一対一で鎬を削る。どれだけの対戦組み合わせが用意されているのかは分からないが、中庭ではすでに初戦の火蓋が切って落とされていた。中庭で対峙する白いローブ姿の少女達は魔法書の代わりに杖を持っていて、三日月のような形をしている杖の先端には球状の水晶が浮いている。その水晶を先に壊した方が勝利を手にするため、中庭の少女達はお互いに自身の杖を守りながら相手への攻撃を行っていた。幾度目かの攻防で発生した大量の水が唐突に視界を奪ったため、窓辺に佇んでクラス対抗戦を観戦していた宮島葵はビクリと体を震わせた。
「その程度の魔法じゃ破られないから安心していいよ」
突然の出来事に驚いてしまった葵はまだドキドキしている胸を押さえ、背後から声をかけてきた人物を振り返った。彼女が観戦している場所は校舎一階の北辺にある保健室で、その部屋の主である白衣姿の青年は居並ぶ簡易ベッドの一つに腰を落ち着けて悠然と脚を組んでいる。鮮やかな金髪にブルーの瞳といった容貌をしている彼の名は、アルヴァ=アロースミス。膝の上で分厚い本を広げている彼には顔を上げる気配がなかったため、葵は眉根を寄せながら疑問を口にした。
「見ないの?」
「クレア=ブルームフィールドが出てきたら教えてくれればいい」
それ以外の試合は観戦にも値しないと、言外にそう言ってのけたアルヴァは涼しい表情で本のページをめくる。彼の興味薄な態度は中庭で使われている魔法が大したものではないことを物語っていたが、どんな魔法が凄いのか判断基準を持たない葵はアルヴァから外した視線を再び中庭へと傾けた。
竜巻やら氷柱やらの自然現象を人為的に制御しながらの攻防はしばらく続いたが、やがて地上ではなく空気中から出現したツララが一人の少女が持つ杖の水晶を貫いた。氷柱に貫かれた水晶は真っ二つに割れ、破片が地に落ちると同時に粉々に砕けて霧散する。勝敗が決すると中庭にいた少女達はどこかへ姿を消し、また別の少女達が試合場へと上がってきた。幾度かそうした光景を目にしているうちに見知った姿が中庭に現れたので、葵は窓の外に視線を固定したまま口を開く。
「アル、クレアが出て来たよ」
葵の呼びかけに反応したアルヴァは読んでいた本を閉ざし、簡易ベッドから離れて窓辺へと寄ってきた。隣に並んだアルヴァを一瞥した後、葵は再び中庭へと視線を転じる。窓の外ではワニに似た魔法生物を肩に乗せた少女と、彼女と対戦する少女の二人が向き合って佇んでいた。
試合開始早々に呪文の詠唱を始めた少女に対し、クレアは開始の合図が出ると同時に手にしていた杖を天高く投げ捨てた。予測不能な出来事に直面した対戦者の少女は呪文の詠唱を途切れさせ、クレアが放った杖の行方を目で追っている。少女の視線が自分から外れた瞬間に走り出したクレアは敵との距離を縮めながら魔法生物であるマトを変態させていて、そうして得たリーチの長い得物で対戦者の水晶を一気に貫いた。電光石火の早業に目を剥いたのはクレアの対戦者だけでなく、葵や他の観衆も同じだった。
「……すごいな」
隣にいるアルヴァが独白を零したので、葵はまだ驚きの余韻に浸りながら彼を振り向いた。顎に手を当てているアルヴァの視線は中庭に釘付けになっていて、彼は好奇心を宿した瞳で元の形状に戻ったマトを見つめている。変態自体は目にしたことがあったものの、その性能の凄まじさを改めて見せ付けられた葵はアルヴァの言葉に素直に同意を示した。
「メタモルフォーゼって何にでも姿を変えられるもんなのかな?」
「変態自体はそんなに万能な能力じゃないと思うよ。僕がすごいって言ったのはクレア=ブルームフィールドの方だ」
アルヴァの考えが自分の意見と少しずれていたので、不思議に思った葵は首を傾げた。
「クレア?」
「魔法の助けを借りずにあれだけの動きが出来るのは、彼女の身体能力が秀でているからだ。あのスピードでウロチョロされると、魔法で捉えるのは難しいかもしれないね」
アルヴァの意見から葵が連想したのは、以前に大空の庭で目にしたクレアとキリルの諍いだった。クレアの挑発に乗ってエキサイトしたキリルは彼女に向かって炎を放ったのだが、クレアは見事な反応速度でキリルの攻撃を躱していた。
「あ~、確かに」
「彼女はメイドに向いているよ。ユアンが手元に置いておきたがるわけだ」
そのうち本当に資格を取らせる気かもしれないとアルヴァが独白を零したのは、クレアがまだ正式な『メイド』ではないからである。メイドや執事という称号は世界使用人協会が認定した者にしか名乗ることの出来ないものであり、今のクレアはメイドを自称している『私用人』に過ぎないのだ。
「メイドになるのってそんなに難しいの?」
使用人の顔をしている時のクレアは、もう立派にメイドとしての役割を果たしている。一ヶ月ほどメイドとしてのクレアに世話をしてもらった経験のある葵はそう思ったのだが、アルヴァはすぐに首を振って見せた。
「ミヤジマが考えているより遥かに難しいと思うよ。なんなら、採用試験でも受けてみたら?」
「……遠慮しとく」
「それは残念。手に職をつけるには悪くない仕事だと思うけど」
アルヴァが何気なく返してきた言葉に引っかかりを覚えた葵は眉根を寄せて空を仰いだ。しかし長考するでもなく違和感の正体を見出した葵は愕然としながらアルヴァを振り向く。
「もしかしてアル、私にこの世界で働けって言ってる?」
この問いを肯定することは即ち、葵に元いた世界へ帰ることを諦めろと言っているのも同然である。アルヴァはすぐに葵の危惧を察したようだったが、彼はあくまでも淡々と答えを口にした。
「そうしろと、言っているわけではないよ。ミヤジマの場合は働かなくても生きていける道があるからね。ただ、どういう道を選ぶにしろ、何かしら人生の目標を持つことは大事だろう?」
「ちょっと待ってよ。それじゃあ……」
「落ち着きなよ。別に、ミヤジマの望みを否定してるわけじゃない」
帰れないことを前提に進んで行く話に焦った葵が口を挟むと、アルヴァは落ち着き払って葵の考えを否定した。中庭で再び幕を上げた闘いをよそに窓辺を離れたアルヴァは簡易ベッドの一つに腰を落ち着け、脚を組みながら言葉を重ねる。
「ミヤジマのいた世界でも将来を考えることくらいあっただろう? ミヤジマはこの先、どうしたい?」
「どうって……」
高等学校を卒業したら、とりあえず大学へ行く。生まれ育った世界にいた頃は漠然とそんな未来を考えていたが、特に大学へ行ってやりたいことがあるわけではない。ただ何となく、大学を出ておいた方がいいという周囲の意見を聞き入れていただけなのだ。
(そんなに先のこと、まだ考えられないよ)
しかも、そうした本音を明かしてみたところでアルヴァが理解を示してくれるとは思えない。答えに窮した葵は自身に向けられている矛先をずらそうと、アルヴァに質問を投げかけた。
「そういうアルは? 望んだ大人になれたの?」
質問を返されるとは思っていなかったようで、アルヴァは眉をひそめると空を仰いでしまった。しかし沈黙は長くは続かず、やがて葵へと視線を戻したアルヴァは静かに口火を切る。
「この話はやめておこうか」
「うん。私もそれがいいと思う」
お互いに触れられたくない話題であることが判明したため、葵はホッと胸を撫で下ろした。その後、クレアの様子を見に行ってくると告げて保健室を後にした葵は廊下へ出るなりため息をつく。
(将来、かぁ……)
その単語から連想されたのは、中学生の頃には形のしっかりした夢を描いていた友人の弥也だった。子供の頃から格闘技をやっている彼女は将来、何らかの形で格闘技に携わる仕事がしたいとよく漏らしていたものだ。そしてもう一人、葵の頭に浮かんだ人物はこの世界で友達になったステラ=カーティスという名の少女だった。ステラは世界の理を知りたいという夢を抱いていて、その夢を実現させるために王都にあるトリニスタン魔法学園の本校へと行ってしまった。ステラと弥也はタイプこそ違うが、夢に向かってひた走る姿勢には共通するものがある。彼女達はしっかりとした『自分』というものを持っていて、その輝きに惹かれるのは自分がまだぬるま湯から抜け出せないでいるからだ。そのことに気付いてしまった葵は唇を苦笑いの形に歪めた。
生まれ育った世界でもまだ考えられなかったことを、異世界で改めて考え直すことになるとは思ってもみなかった。しかし今のままでは宙ぶらりすぎて、将来を考えるどころではない。元の世界へ帰らなければならない理由がまた一つ増えた葵は改めて、勉強しようと心に誓った。