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etc.ロマンス  作者: sadaka
第三部
162/510

under The moon(4)

 階段を下りるコツコツという音が遠ざかると『時計塔』の内部は再び静寂に包まれた。葵が去った後も未だ壁に背を預けたまま座り込んでいるオリヴァーは、柔らかく頬を過ぎて行った風に唇を笑みの形に歪める。彼が微笑を零した直後、塔の二階部分にぽっかりと空いている穴から侵入してきた人影が、体重を感じさせない様子でゆっくりと地に足を着いた。

「アオイにあんなこと話して、どうするつもり?」

 気安い調子でオリヴァーに声をかけてきたのは、真っ赤な髪色が印象的な細身の少年。彼は名をウィル=ヴィンスといい、マジスターの一員でもある彼とオリヴァーは幼少の頃からの付き合いである。ウィルの方から訪ねてきてくれるのを待っていたオリヴァーは苦い笑みを作って彼を迎えた。

「やっと来たか」

「なにそれ。僕に用があったなら自分から来ればいいじゃない」

「今はそういうわけにもいかないだろ」

 ハーヴェイに絶縁宣言をされた以上、キリルだけでなくウィルとも親しくしている姿を人目に晒さない方がいい。オリヴァーはそう思ったからこそウィルが来てくれるのを待っていたわけなのだが、ウィルはオリヴァーの気遣いを鼻で笑った。

「オリヴァーってホントにお人よしだよね。それにバカだ。いい加減、僕の性格くらい承知してるだろう?」

 ウィルの築く人間関係は基本的に、対個人である。これがオリヴァーと意見が対立したということならばともかく、ハーヴェイとオリヴァーの関係が悪化しようがウィルにはまったく問題にならないのだ。相変わらずのウィルの物言いに、少しおかしさを感じたオリヴァーは笑みを零す。

「まあ、俺のお人好しも性分だしな。ウィルは勝手に庇われてればいいんだよ」

「……ホント、つくづくバカだね」

 呆れ顔で毒を吐きながらも、ウィルはオリヴァーの隣に腰を落ち着ける。付き合いの長い彼らは今さらお互いを飾る必要もなく、そのまま自然と会話を続けた。

「キルはどうしてる?」

「変わらず。それより、これからどうする気なの?」

「どうしようもないよな。俺に出来ることと言えばハーヴェイさんが帰るのを待つくらいか?」

 エクランド家の次期当主であるハーヴェイは多忙な身である。そもそも分校に顔を出すことすら稀有である彼は、そう長居をせずに元の生活へと戻るだろう。ハーヴェイの目がなくなれば、キリルともまた今まで通りの関係に戻れる。オリヴァーがそうした考えを語ると、ウィルはそれをばっさりと切り捨てた。

「それじゃ結局、何も変わらないじゃない」

「……まあ、そうだな」

「中途半端な反抗だね。ハーヴェイさんに意見するんだったら、その魔法は自分が解いてやるくらいの意気込みがないと」

「……ウィル? 何考えてんだ?」

 いつの間にかウィルの表情が策を巡らせる時のものに変わっていたので、驚いたオリヴァーは目を瞠った。ハーヴェイを慕っているウィルに助力を乞うのは無理だとオリヴァーは諦めていたのだが、彼の胸中はそう単純なものではないらしい。オリヴァーが狼狽えるのを楽しそうに眺めていたウィルは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて見せた。

「キル、今下にいるよ」

「は?」

「僕がオリヴァーに会いに行くって言ったら着いて来た。さすがに顔を合わせるわけにはいかないみたいだけどね」

 キリルにとってハーヴェイという兄は絶対の存在である。彼は兄がオリヴァーと友達でいることを認めないと言うのであれば、それに従わなければならない。しかしそれはキリルの本音ではないのだ。付き合いの長いオリヴァーはそのことを理解していたが、キリルが改めて気持ちを行動で示してくれると、それはそれでひどく嬉しいものだった。オリヴァーが破顔すると、ウィルは皮肉っぽい笑みを浮かべて肩を竦めて見せる。

「僕もね、ハーヴェイさんの開発した魔法に興味があるんだ。ツテもあることだし、ちょっと調べてみるよ」

 独白に見せかけてオリヴァーに助力することを申し出たウィルは、言葉を終えると同時に立ち上がった。そのまま空洞に向かって歩いて行った彼は、塔の二階部分から身を投げることで姿を消す。瞬間的に髪を揺らした強い風がおさまった後、肩口にかかった一束を手で払い除けたオリヴァーは人知れず喜びを孕んだ笑みを零したのだった。







 オリヴァーに別れを告げて『時計塔』を出た葵は、塔の一階にある扉を開いた所でギョッとして動きを止めた。その理由は扉の傍に、黒髪に黒い瞳といった容貌をしている少年が佇んでいたからだ。世界でも珍しい容貌をしている彼の名は、キリル=エクランド。キリルは塔から出てきた葵の姿を認めると組んでいた腕を解き、真っ直ぐに歩み寄って来た。

「おい、てめぇ」

 静かに口火を切ったキリルは、言葉を紡ぐと同時に葵の胸倉を掴み上げた。恐怖を感じた葵はとっさに殴られる準備をしてしまい、歯を食いしばって固く目を瞑る。変調をきたしていたキリルの体はどうやら正常に戻っているようだったのだが、彼はそのまま葵を殴るようなことはしなかった。

「オリヴァーと話してたのか?」

 出会って早々に胸倉を掴み上げるという手荒な行為をしておきながら、キリルの口調は意外にも平静なものだった。いつになく静かな調子で話しかけられたことが驚きで、葵はポカンと口を開ける。しかし葵が反応を返せないでいるうちに、キリルは次第に苛立ちを募らせてしまったようだった。

「オリヴァーと話してたのかって訊いてんだよ!」

 キリルがいつもの調子で声を荒らげたため、我に返った葵は慌てて頷いて見せた。問いの答えを得たことで満足したのか、キリルはそこで葵の体を解放する。葵が乱れた胸元を正していると、キリルはさらに問いを重ねてきた。

「どんな話したんだよ」

「……は?」

「オリヴァーと何話してたのか言えって言ってんだよ!」

 キリルの一言に瞠目した葵は、今度は驚きとは別の意味で呆然としてしまった。葵があ然としている間にも、キリルは脅すような調子でオリヴァーと交わした言葉を教えろと迫ってくる。言動の端々からキリルが必死であることは伝わってきたものの、その方向性の違いに葵はだんだん腹が立ってきてしまった。

「そんなの、私じゃなくてオリヴァーに聞けばいいじゃん。今行けばたぶん、まだいるよ」

 体を傾けた葵が塔の二階部分を指差すとキリルは一度、葵が示す方向へと顔を傾けた。しかしすぐ、彼は塔から目を背ける。その後、怒りにも似た感情が宿った漆黒の瞳は再び葵へと向けられた。

「いいから言えよ!」

「何で私に聞くの? 何でオリヴァーに会いに行かないの? お兄さんにそうしろって言われたから?」

「っ、うっせーな!!」

 葵の発言にカッとした様子のキリルは、怒鳴り声を上げると同時に葵の体を突き飛ばした。前方から力を加えられたことにより、葵の体は塔の壁面に衝突する。そのまま肩口を壁に押し付けられたが、葵は恐怖も痛みも感じずに目前にある端整な少年の顔を睨み見た。

「余計なこと言うな。てめぇは訊かれたことだけ答えりゃいいんだよ」

「……オリヴァーと話したいなら会いに行けばいいじゃん。友達が大切なら、言いなりになってないでお兄さんにそう言えばいいでしょ!」

 気がつけば、葵は面と向かってキリルに怒りをぶつけていた。オリヴァーとキリルの間には確かな友情が存在していて、彼らはお互いのことをとても大切に思っている。だが彼らの思い遣り方は対極的だ。自分を犠牲にしてでもハーヴェイに意見したオリヴァーに対し、兄の庇護下にいながらにして密かに友情をも守ろうとしているキリルは腑抜けで腰抜けだ。そこに貴族のしきたりやら魔法やらといった事情が絡んでいるのだとしても、葵にはキリルの卑怯な態度が許せなかったのだ。力任せにキリルを押し退けた葵は、激情に身を委ねたまま言葉を次ぐ。

「オリヴァーがあれだけあんたを思ってるのに、あんたは何なのよ! こそこそしちゃってさ、そんなにお兄さんが怖いわけ!? チキン!!」

「ち、ちき……?」

「意気地なしってことだよ!」

 嫌味のつもりで補足を言い捨てると、葵はもう呆然としているキリルには構わずに歩き出した。背後から呼び止める声も、侮辱されたことに対する憤りの声も聞こえてこないところをみると、キリルはまだあ然としたままでいるらしい。校舎へ向かって歩いていると途中でウィルとも顔を合わせたので、葵はすれ違いざま、彼にも鋭いまなざしを向けたのだった。

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