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etc.ロマンス  作者: sadaka
第一部
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二月の浮かぶ世界(1)

一部にイジメや暴力的な表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。

 澄み切った夜空に青白い月が浮かんでいる。欠けたところのない丸い月は強烈な存在感でもって夜を支配していた。その月は、日中の青空に見る白い月とも普遍概念的な黄色の月とも色合いが違う。そして地球上で見る月と大きく異なるのは、月に寄り添うように輝く明るい星の存在だった。

 二月の浮かぶ空の下、大地は降り積もった雪に覆われていた。青白い月に照らされた雪原は幻想的な色味を帯びて輝き、虫の声すら聞こえない無音の静謐を保っている。まるで自然が人間の存在を拒んでいるかのように思える静かな夜、足跡もない新雪の雪原に少女が立ち尽くしていた。彼女の出で立ちは長袖のワイシャツにチェックのスカートというものであり、その存在自体が冬の雪原に似つかわしくない。しかしそれでも、少女はその世界に存在していたのである。

 少女の名は、宮島葵。十七歳の高校二年生。ピアスなどのアクセサリーはつけていないが髪は染めていて、ナチュラルなブラウン。彼女が身につけているワイシャツとチェックのスカートは高等学校の制服だった。鞄などは持っておらず、葵は身一つで雪原に佇んでいる。何が起きたのか理解出来ないといった、呆然とした様相で。

 風は吹いていなかったが冬月期の外気は容赦なく体温を奪っていき、少しでも寒さを和らげようと無意識のうちに歩き出した葵は雪の上に倒れこんだ。すぐさま起き上がったものの、葵は雪の冷たさに愕然としている。彼女が驚くのは無理もないことであった。何故ならつい先刻まで彼女がいた世界は、間もなく夏を迎えようとしていた時期だったのだから。

 葵は混乱していたが、彼女の置かれている状況は悠長に考え事をするような時間を与えてはくれなかった。思考よりも先に現実を取り戻した体が寒さに反応を示し、むき出しの膝がガクガクと震え出す。血色の悪い口唇も、歯の根がかみ合わずにガチガチと音を立てた。葵は反射的に腕を抱いたが、そんなことで何とかなる寒さではない。このまま雪原に立ち尽くしていれば間違いなく凍死の末路を辿るだろう。

 生命の危機を察した葵はとにかく移動をしようと考え、周囲を見回した。彼女の左遠方には雪を被った森林と思しきものがあるが、その他の方角には何もない。果ての見えない雪原を進むのは自殺行為だと直感した葵は森の方へ行ってみることにした。だが葵は都会育ちであり、高く積もった雪の上を歩くのは初めてである。思うように前へ進まないことに焦った葵は何度も転び、美しい新雪の風景を乱していった。

「いったぁ~。また失敗しちゃったよ」

 ドサッという何かが落下する音がした後、誰かの声がした。それは背後から聞こえてきたので、葵は慌てて振り返る。葵の傍にはいつの間にか金髪の少年が出現していて、彼は雪の上に尻もちをついていた。

 振り向いた葵と目が合うなり、少年は跳ねるように体を起こした。彼は青い月光に晒されながらも紫色を失わない瞳で、葵をじっと見つめている。少年の目には明らかな好奇が覗いていたが、別のことに気をとられていた葵はそのことに気が付かなかった。

(この子、どこから出てきたの?)

 少年が落下してきた(・・・・・・)ように思った葵は周囲を見回してみた。だが葵達がいる辺りには木も生えておらず、平坦な雪の大地が続いているだけである。少年が雪原を歩いて近付いて来たのなら足跡が残っているはずだが、それも見当たらない。不可解に思った葵は改めて、どこからか出現した少年に視線を移した。しかし問いを口にする前に、今度は別のことに気をとられて息を呑む。明らかに日本人ではない少年の姿は、間近に見れば見るほど現実離れしたものだった。

 さらさらの金髪に紫色の瞳という少年の容貌は、海外旅行もしたことがない葵の目に物珍しく映った。年の頃は十歳くらいだろうか。日本でいえば小学校高学年くらいの少年は人目を引く非常に愛らしい顔立ちをしており、雪原に凛然と佇む姿は幽玄の美すら感じさせる。しかし見惚れていたのも束の間、足下から上ってくる寒さに正気を取り戻した葵は大きく身震いをした。葵が身動ぎしたことを機に、少年が口火を切る。

「ねえ、僕の言葉わかる?」

 少年の言葉は流暢な日本語であり、難なく聞き取った葵は頷いて見せた。すると何故か、少年は喜色を露わにする。だが彼は寒がる葵の様子を見てすぐ真顔に戻った。笑みを消した少年は自身が身につけていた厚手のケープを外し、精一杯の背伸びをして葵の体に巻きつけようとする。寒さに震えていた葵はケープの温もりと、少年の優しさに感激した。

「ありがとう。でも、寒くないの?」

 ケープを脱いだ少年は膝丈までのズボンに開襟のシャツ一枚という、葵と同じくらいな薄着である。しかし平気な様子で、彼は大丈夫なのだと告げた。

「今、火を出すから」

 そう言い置くと、少年は胸の高さに腕を持ち上げて掌を上にした。そのままの体勢で、彼は何事かを呟いている。少年の不審な言動に葵が眉をひそめた刹那、彼の掌の上に炎が出現した。

 今まさに燃え盛っている暖色の炎は、葵の目には何もない所から唐突に出現したように映った。少年が火種を持っていたわけでもなく、その炎は彼が腕を下ろして後も空中で燃え続けている。寒かったので、葵はとりあえず手をかざしてみた。

 呆けながら暖をとっている葵をその場に残し、少年は雪の上を歩き出した。その足取りは何処かへ行くというものではなく何かを探しているといった様子だったので、葵は横目で彼の姿を追う。白い呼気を上空へ上らせながら雪原を右往左往していた少年は、やがて頭を掻きながら独白を零した。

「おかしいなぁ。魔法陣からこんなに離れた場所に出現するなんて……」

 一言呟いたきり動きを止めた少年は足下を見つめながら思案に沈んでいる。不可解な単語を耳にしたような気がした葵は首をひねった。

(マホウジン……魔法陣?)

 葵はその単語が何を意味するのか知っていたが、それは現実世界で一般的に口にされるようなものではない。しかし少年の独白からは日常的な響きが醸し出されており、葵は困惑した。

「あの……」

 とにかく話を聞こうと思った葵は少年の思考を遮るために声を上げた。果たして、少年は我に返った様子で葵を振り返る。しかし振り向いた刹那、少年の表情は凍りついた。彼の視線が自分を通り越しているように感じた葵は背後を振り返って見る。するといつの間にか、葵の背後には第三者の姿が出現していた。

 先程まで葵と少年の姿しかなかったはずの雪原に涼しい顔で佇んでいるのは、艶やかな金髪をアップスタイルにした女だった。まだ若そうだが落ち着いた雰囲気を有しており、縁のないメガネが彼女の端麗な顔立ちを強調させている。見る者に知的な印象を与える女はメガネのブリッジを中指で押し上げ、静かに口火を切った。

「やっと見つけました」

 葵と彼女は初対面なので、その言葉は間違いなく少年に向けられたものだった。少年は女の声に反応してビクッと体を震わせ、葵の背に逃げ込む。葵のスカートを掴んで半分だけ顔を覗かせている少年に呆れたのか、女はため息をついた。

「ユアン様、やってくださいましたね」

「レイ……もしかして怒ってる?」

 ユアンと呼ばれた少年が恐る恐る尋ねると、レイと呼ばれた女は小さく首を振った。

「わたくしは呆れております。ですが、ご両親がこの事をお知りになったとしたら……お叱りは覚悟してくださいまし」

 レイの言葉は、事情を呑み込めていない葵にすら無情に聞こえた。怒られるのが怖いのか、葵のスカートを握っているユアンの手に妙な力がこもる。子供の頃に似たような経験をしているだけに、葵はユアンに同情してしまった。

 ユアンとの話を終えたようで、レイは葵に視線を移した。葵を観察するように眺めているレイの青い瞳も、ユアンと同じく好奇の色に染まっている。その妙な視線を感じ取った葵が微かに眉根を寄せるとレイが口を開いた。

「わたくしの言葉を理解できますか?」

 ついさっきユアンにも同じ質問をされている葵は奇妙に思いながら頷いて見せる。レイは問いの意図を説明するでもなく頷き、それから口調を改めた。

「とにかく、移動しましょう。この寒さでは皆が凍えてしまいます」

 ユアンが出した炎もいつの間にか消えてしまっていたので、葵はすぐに賛成した。葵に異存がないことを見て取ったレイは小脇に抱えていた厚手の本を開く。葵はレイのちぐはぐな言動に困惑したが、レイがすぐに独白を始めたので口を開くことはしなかった。レイの呟きに呼応するかのように、彼女が手にしている本が光を放ち始める。初めは明滅のような頼りない光だったが、それは次第に本だけに留まらなくなっていった。足下からも光が上ってきているような気がした葵は視線を落とし、愕然とする。いつの間にか、葵達の足下には光を放つ円陣が出現していた。

 雪の上で光り輝く文様は文字と図形が組み合わされたものだった。円形の魔法陣はその内にいる者達を光のベールで包みこんでいく。やがて光は地上から空へと立ち上り、その光が治まった頃には雪原から人間の姿だけが消えていたのだった。

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