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オードブルは贖罪のネコちゃん ―4―

 寒さで意識を失ったお玉が、まどろみの中で感じたのは、力強い心音だった。

 暖かくて力強い。なんと心地が良いのだろう。お玉は美しい愛染の腕に抱かれる夢を見ていた。


(なんて、幸福な夢なんだろう)


 お玉は夢心地で愛染の暖かい胸に擦り寄った。その(さま)は子猫が喉を鳴らして母猫に擦り寄るかのようだ。我知らず、頬が緩む。安堵感に胸がいっぱいになり、お玉は幸せそうにため息をついた。目を開けなくていけない、でも開けたくない。もう少し、幸せな夢のなかに浸かっていたい。


「気がついたか?」


 何処からともなく、愛染の声がして、お玉の口に何かが押しあてられた。反射的に飲み込んだソレは、喉を焼くような飲み物だった。


「ゲホッゴホッ! ゴホッ!」


 お玉はむせ返り、お腹に熱い液体が降りて行くのを感じた。


「暖めた葡萄酒だ。もっと飲め、身体が暖まる」


 愛染の低く掠れた声が、くぐもって聞こえた。

 お玉がゆっくりと目を開けると、そこには愛染のビロードのような美しく逞しい胸。更にはお玉も一糸まとわぬ姿。

 二人は裸で毛布に包まり、シーツやクッションを敷き詰めた暖炉の前に座っていた。

 降りしきる春の雪のなか、気を失い青白い顔で倒れといるお玉を見つけた愛染は、至急自宅に連れ戻し暖めてやろうとした。

 しかし、優秀な執事はお玉を捜索に出かけたまま、未だ帰ってこない。広い城内には愛染とお玉の二人きり。

 何時もは冷静沈着な愛染だが、お玉の青ざめ顔を見ると頭が上手く機能しなくなった。このままでは、お玉が死んでしまう。

 愛染は躊躇する事なく、お玉の濡れた浴衣を剥ぎ取り、冷え切った身体を自らの熱い身体で包み込んだのだ。


「――っ!!」


 夢なんかじゃない。お玉は慌てて愛染から離れようとした。しかし、愛染はお玉の腰に腕を回し、痛いほど強く抱きしめた。二人の素肌が密着する。


「は、離して下さい」

「駄目だっ!!」


 二人の荒い息遣いと、暖炉のたき火の燃える音が静かな部屋に異様に大きく響く。体力のないお玉は、あっという間に愛染の腕の中で、ぐったりとしてしまった。


「何故だ、何故、私から逃げ出した?」


 愛染はお玉の首筋に顔を埋め、苦痛の言葉を吐き出した。その血を吐くような苦しみに、お玉は驚いた。


(何故、伯爵様はこんなにお辛そうなのだろう)


 お玉は愛染の苦痛を取り除きたくて、“逃げ出した”という誤解を力いっぱい否定した。


「違います。逃げてなどいません」

「違う?」


 愛染がお玉の首筋から顔を上げ、藍色の瞳でお玉の黒い瞳を覗き込む。


「わ、わたしは伯爵様に、これ以上迷惑をかけたら駄目だと思って」

「……」

「恩返しをしたいのに……わたしのドジで、伯爵様に怪我を負わせてしまった」


 お玉の目から涙がこぼれ落ち、ズビビッと鼻を啜る。


「何とかして、お金を貯めて、少しずつ返して行こうと思ったんです」

「馬鹿者! どうやって金を稼ぐ気だったのだ。身体を売るつもりか!?」


 愛染はお玉の世間知らずに腹が立ち、お玉の手首を痣が出来そうなくらい強く掴んだ。藍色の瞳に暖炉の炎が写り込み、地獄の悪魔のごとき煌めきだ。


「まさかっ! 身体を売るだなんて、考えもつきませんでした」


 お玉はぎょっとして叫んだ。“身体を売る”だなんて、そんな恐ろしい。

 お玉の脳裏に、工場長に襲われそうになった事が鮮明に思い出された。あの時は逃げるのに必死で工場長をハサミで刺してしまった。今更ながら、自分のしでかした罪の深さに震え上がる。

 工場長は無事だろうか?


「……私は罪を犯しました」

「罪、一体何のことだ?」


 突然の話の転換に、愛染は戸惑いながらも訊き返した。


「人を刺してしまったのです」


 お玉の贖罪(しょくざい)に愛染は愕然とした。子猫のようなお玉が人を刺すとは、愛染が冗談を言うより想像しがたい。


「何故、人を刺した?」

「工場長に襲われた時に無我夢中で……肩に糸切りバサミを刺してしまったんです」

「肩を……」


 お玉の言葉に愛染は胸の奥でほくそ笑む。子猫でも鋭い爪はあるのだ。

 しかし、いくらお玉が正当防衛であろうと、女工は奴隷同然。工場長に非があろうと、全ての罪は女工であるお玉が被るだろう。理不尽な世の中だ。

 お玉を守らなくてはならない。この城に閉じ込めてでも。


「お玉、お前はどこにもやらない」

「でも――」

「黙れ」


 二人の間に沈黙が落ちる。愛染の腕は未だにお玉の腰に回され、二人の素肌は密着したままだ。

 お玉は消え入りたいほど恥ずかしいのに身体が疼き、心臓が高鳴る。お玉の身体が小刻みに震えはじめた。


「寒いのか?」


 お玉の震えを、寒さで震えていると勘違いした愛染が訊いた。


「……いいえ」

「お玉、お前は痩せ我慢し過ぎだ。これを飲め」


 愛染はお玉の唇にワインカップの縁を押しあて、どろりとした鮮血のような赤黒い葡萄酒を飲ませた。

 お玉は少し咳込んでから、ピンク色の舌で下唇に付いた葡萄酒をぺろっと舐めた。

 その何気ない動作で、愛染のなかに激しい欲望が沸き上がった。

 お玉の肌はミルクのように白く滑らかだ。細い腰に回した手で浮き出た肋骨を撫でる。もっと肥えさせなければいかんな、と頭の片すみで考えながら、愛染は自分の舌でお玉の唇を蝶の羽のように軽くなぞった。


「ひゃっ、くすぐったい!」


 愛染の唇はお玉の首筋まで伝い下りる。


「は、伯爵様」

「愛染だ」


 愛染は吸血鬼のようにお玉の首筋に噛み付き、自分の物だという印を付けた。お玉の体がびくっ、と大きく震える。


「伯爵、様。離して、下さい」


 お玉は愛染の肩に手を置き、必死に身体をひき離そうとしていた。


(私は何をやっているのだ!?)


 愕然とした愛染は催眠術が解けたかのように、唐突にお玉に回していた腕を離すと、腰にシーツを巻いて立ち上がった。暖炉の火が舐めるように、愛染のすらりとした均整の取れた美しい身体を照らし出す。半乾きの猫毛の金髪は軽くカールを描き藍色の瞳にかかりる。広い肩幅に、引き締まった腰。まるで、ギリシャ彫刻のようなだ。

 お玉はその美しさを、上気した顔で見上げた。


(昔、宣教師様に見せて貰った絵本の大天使様みたいだ……)


 胸が痛いほど高鳴る。

 しかし、愛染が足を引きずるように歩きだすと、お玉は冷水をかけられたように一瞬で肝が冷えた。


「伯爵様、足、捻挫が――!」

「愛染だ」

「え?」

「私の名前だ、愛染と呼べ」


 名前を呼ぶように強要するなど、お玉が始めてだ。

 愛染の名前は、軍神であり愛欲を説く“愛染明王”から頂いたもので、祖父と父が合意して名付けたモノだ。あまり好きな名前ではなかったのだが、お玉にはその名で呼んで欲しかった。


「あ、愛染様は座っていて下さい。ご用ならわたしが」

「要らぬ世話だ」

「で、ですが……」

「私は服を持ってくる。お玉」


愛染は近くに置いてあった黒檀の杖を取ると、お玉を振り返った。


「はい」

「逃げるなよ」

「……え?」


 逃げるなとは、どういう事だろう? お玉は意味がわからず小首を傾げた。


「逆らうことは許さぬ。いいな、私から決して逃げるな」

「……は、はい」


 お玉は愛染の覇者のごとく迫力に負けて、大きく頷いたのだった。


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