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デザートは甘美な背徳の味 ―1―

 

 愛染の腕の中でお玉が微かに身動きした。その微かな動作で愛染の目が覚めた。身体には余韻で気怠さが残っている。

 腕の中の一糸まとわぬ姿のお玉は、疲れきってぐっすりと眠っている。お玉のミルクのような肌はうっすらと汗をかいていた。夏とはいえ、このままだと風邪を引いてしまう。

 愛染はお玉を起こさないようにシーツを引き寄せた。しっとりと汗をかいたお玉の顔に張り付いた髪の毛を指ですくい、耳にかけてやる。それから髪に口づけを落とすと、お玉は愛染の腕の中に擦り寄ってきた。シーツでお玉を包み、さらにその上からしっかりと抱き寄せた。

 初めて肌を合わせた日から、幾度となく(しとね)を共にした。お玉の雪のように白い肌が赤く染まるさまは愛染の欲情を駆り立てる。肌を重ねれば重ねるほど渇望は激しくなるのが不思議だった。

 もっと、もっと、お玉が欲しい。愛染の飢えは癒えることがない。


「お玉」


 愛染はお玉の頭のてっぺんに唇を押し当てた。


「……んっ、愛染様」


 お玉はうつ伏せになったままくぐもった声を出した。起こしてしまっただろうかと不安に感じたが、お玉は再び深い眠りに落ちる。

 寝言か。愛染は微笑みを漏らすと、お玉を包み込むように抱きしめた。愛染は情事の後は必ずお玉を抱いて寝る。逃げられないようにしっかりと腕の中に閉じ込めて。



 お玉の朝は早い。夜明け前には目が覚める。長年、身体に染みついた癖なのだ。お玉は再び目を瞑り、愛染の鼓動に耳を澄ました。

 目が覚めても、愛染が起きるまで腕の中にいる決まりだった。


 ――あれは、初めて抱かれた翌朝の事だ。


 いつものように夜明け前に目を覚ましたお玉は、下腹部に痛みを感じると同時に、気恥ずかしさを覚え、隣で眠る愛染を起こさないように静かに寝台(ベッド)から降りた。分厚いじゅうたんのおかげで、足音一つしない

 薄暗い部屋の中、手さぐりで床に落ちていた長襦袢(ながじゅばん)を拾って羽織り、浴室へと向かった。軽い行水を済ませ、帯を締めている時だった。

 愛染がお玉を呼ぶ声が聞こえたのだ。

 その切羽詰まった声に、お玉は何かあったのではないかと不安に駆られて、愛染の元に急いだ。


「愛染様、どうかされたのですか!?」


 お玉が部屋に飛び込んだ時、愛染はズボンに足を通した所だった。引き締まった体には緊張が走り、頭に巻かれた包帯が薄暗い部屋に浮かび上がる。

 愛染の顔は青白く苦痛に歪んでおり、頭痛がぶり返したのではないかとお玉は心配した。


「愛染様?」

「どこへ行っていたんだ?」


 愛染はお玉の肩を痛いほど捕まえて訊いた。愛染の身体は微かに震えていた。


「あ、あの、汗を流しに浴室に行っておりました。

 愛染様、どこか痛いのですか? 昨夜はやはりご無理などさせるのではありませんでした。痛み止めのお薬をお飲みになりますか?」


 お玉がそっと愛染の包帯を撫でた。


「いやだ」

「え?」

「薬を飲むと、眠くなる」


 愛染はお玉を掻き抱いた。彼の力は伴力のように強く、お玉の肋骨が悲鳴を上げる。


「消えてしまったかと思った……。眠っているうちにお前が居なくなったてっしまったらどうする。今の私はお前を追いかける事もままならない」


 悲痛な声がお玉の耳朶を打つ。

 愛染は目が覚めた時、そこに居るモノだと露にも疑わなかったお玉が居ない事に気づき、血の気が失せた。お玉が出て行ってしまったのではないか、昨夜の事は夢だったのではないか、不安が交錯する。お玉がいつ愛染の前から居なくなるのではないかと不安でたまらない。愛着を持てば持つほど、そこに抱く不安と絶望は深い。


「……私が寝ている間に居なくなるな。いいな、これは命令だ」




 ――その日から、夜明け前に起きたお玉は、愛染を観察する事が日課になっていた。


 細身だが筋肉質で引き締まった美しい体躯、長い指、整った横顔、黄金色の髪、その生え際にはまだ痛々しい傷跡が残っている。

 包帯は取れたものの、傷跡は一生残りそうだ。

 お玉は愛染の傷に羽のようにふんわりと優しく唇を当てた。早く良くなりますように、と願いを込める。


「誘っているのか」


 不意に擦れた声が聞こえて、お玉はぎょっとした。


「あ、愛染様、起きていらしたのですか!?」


 艶冶に笑う愛染に、お玉の顔がゆでタコのように赤く染まった。


「朝からしても良いのか?」


 愛染は逃げようとするお玉を軽々と捕まえ、自らに引き寄せた。

 逃げることを諦めたお玉は愛染の肩に頬を預け、逞しい腕に身をゆだねた。逃げようとすればするほど、愛染の寝台での営みは激しくなるのを経験から学んでいた。しかし、鳥のさえずりが気になってしょうがない。


「そろそろ、起きなくては……」


 お玉がきまり悪そうに、ごそごそと身体を動かした。お玉にとって朝のひと時は恥ずかしくて堪らない。日が上がりきる前には着物で裸身を隠したいのだ。

 しかし、愛染がそれを許さない。


「誘っているのではないのなら、どんなつもりだったのだ?」


 愛染の寝ぼけた顔には、人をからかう様な微笑みが浮かんでいた。最近の愛染はよく笑う。お玉はそれが無性にうれしかった。


「私が小さい頃、母にしてもらった“おまじない”なんです」

「まじない?」

「早く良くなりますようにって」


 お玉は愛染の傷跡の周りをそっと撫でた。


「……いい母親だな」

「はい」


 母は今頃どうしているだろうか? お玉は売られるようにして女工になった。そのお金が少しでも母の助けになっていればいいのだが。


「愛染様のお母様はどのようなお方ですか?」

「……さあ」


 愛染は天井をぼんやり眺めながら、お玉の黒髪をいじる。こうしていると、ささくれた心が安らいでいく。


「私の両親は私を捨てて、二人で駆け落ちした。母のことなど顔すら覚えていない。今頃、何処の国でどうしているやら。お荷物だった子供を捨てて、どこかで羽を伸ばしているさ」

「愛染様」


 お玉の声に憐憫(れんびん)の情が滲むのを愛染は聞き取った。


「憐れみなどいらない」


 きっぱりとした拒絶だ。


「でも――」


 あのペンダントは何だったのだろう。お玉は開きかけた口を閉じた。

 屋根裏部屋で見つけたロケットペンダントの中には、愛染の両親と思われる男女の写真が入っていた。優しそうな女性だった。ペンダントに刻まれた文字は何と書いてあるのだろう。


(本当に愛染様は捨てられたのかしら? 何か理由があったのではないのかしら)


「お玉、何を考えている」


 愛染の声に角が立つのを感じて、それ以上、両親の話題に踏み込む事をあきらめた。結局、お玉はペンダントの事は口に出せなかった。せめて、刻まれている文字の意味さえわかったら……。


「愛染様、私にできる事があったら何でも言って下さい」

「何でもか?」

「はい!」

「……では遠慮はしない」


 愛染はそう言うと、お玉の上に覆いかぶさった。


「私に必要なのはこれだ」


 愛染の指がお玉の喉元から谷間にそしてお腹にと伝い下りてくる。


「愛染様! 朝ですよ!?」


 お玉は慌てて愛染の手首を掴んだ。しかし、お玉の非力な制止は愛染の前では赤子の手をひねるようなものだ。愛染の手が目的の地に着くと、お玉は鋭く息を飲んだ。


「んっ、愛染、さま……」


 愛染の愛撫にお玉は簡単に翻弄される。


「朝だろうと、なんだろうと関係ない。私に必要なのはコレだけだ。他には何もいらない」


 愛染はお玉の首筋に顔を埋めると、痣になるほど強く噛み、舌が耳朶を(もてあそ)ぶ。


「狂おしいまでに抱きたい。私の事しか考えられなくなるまで、めちゃくちゃにしてやりたい」


 愛染のかすれた声に、お玉の身体が振るえた。熱い涙がにじむ。狂おしいまでの歓びが身体を駆け巡って行った。

 その日、まる一日、お玉は寝台から起き上がれなかった。


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