手にしたのは幸せかそれとも
流行りに乗って、悪役令嬢ものを書いてみたけれど、何かが違います。
三十歳の誕生日を迎える前日。仕事帰りに何時ものように、コンビニで夕飯の買い物を済ませて帰る途中だった。明日は少し早めに仕事を終わらせて、お気に入りの洋菓子店で美味しいケーキでも買って帰ろうと思っていた。
しかし、その後の記憶がない。次の私の記憶は、華やかな明るい厳かな雰囲気の神殿の中に居た。美しい花嫁衣裳を身に纏っていたのだ。
戸惑う私の耳に低い穏やかな心地よい声が響く。目前の白い衣装に身を包んだ老齢の男性は教会の神父に見えた。白いチャペルで白い花嫁衣裳を身に纏い結婚式を挙げるのは、幼い頃から憧れた私の思い描く結婚式だ。
だが、今の私には結婚する相手なんていないはずだ。今までずっと、おひとり様でゲームの中の王子様だけが私の恋人だったはず、それなのに。
「カミル・ディア・フォレスト…誓いますか?」
紡がれた言葉の前半はほとんど聞こえていない。神父の最後のその言葉だけで現実に引き戻される。隣りに立つ多分、私の結婚相手の顔は目映い光の加減で見えない。
一体、何があったのか。考えを巡らせるが思い当たらず神父はもう一度、応えを求めるように私へと視線を向ける。何もかもすべての理解が追い付いていなかった。
「…拒否権はありませんよ」
小さい声で告げられた隣りからの声にはっとしてそちらを見上げると、冷たい表情が私を射抜く。明らかに嫌われているような侮辱した視線。意を決したように私には、「誓います」と告げる事しかできなかった。
* * *
結婚式を終えて、披露宴が終わるまで、私と結婚式を挙げた人物とはほとんど、会話を交わしてはいない。隣りに立ってはいるか、その間には大きな隔たりがあるようだ。結婚式から披露宴が終わり、二人の部屋に戻るまでに、私は少しずつこれまでのことを思い出していた。
結婚式の最後の誓いの口づけを受ける時に、思い出したのは自分が乙女ゲームの悪役令嬢になっていたという事実だった。
そこで、叫ばなかった自分を褒めたい。それは、神父が私の名前、悪役令嬢の名前を呼んだからだ。
意識的に流れ込む情報量の多さに戸惑う。どうして、今なのか。もっと早く私と言う存在が悪役令嬢の中に入っていたら、未来はまた変わったかもしれない。しかし、推しの王子様も宮廷魔術師候補の青年も、騎士隊の青年も、好みではあっても、今の私からしたら、年齢的にアウトだろう。もうすぐ、三十歳の三十路女には、十歳も年下の男たちが相手では犯罪だろう。今の自分が十八歳の少女だとしても無理だと思う。
色んな事を思い出していたら随分と、気持ちが落ち着いた。結婚相手の顔を思い浮かべて私は記憶を辿る。はたして、この人はそのゲームの攻略対象の一人だっただろうか?
「随分と余裕があおりですな」
湯あみを済ませて部屋に入った来た人物に視線を送る。綺麗な人だな、と思った。冷たい表情、落ち着き払った態度と、射抜くような視線。
カリスト・ディア・エーディル公爵。
鬼の宰相と言われた人物で、悪役令嬢であるカミル・ディア・フォレストを断罪した人物のはずだ。物語の流れでは、王子ディオン・フィン・デフォルジュに婚約破棄されたカミルは、辺境の年配の伯爵の元に後妻として、嫁がされるはずではなかっただろうか。その、手配すべてを行ったのが宰相本人だと記憶している。しかし、何かが違う。
何故、自分は宰相の妻になっているのか分からない。まだ、公爵令嬢である記憶をすべて思い出しているわけではない。最近、一体、カミルと宰相の間に何があったのだろうか。
「どうしました? 今までの貴女からは想像出来ない程に大人しいのですが」
「宰相閣下」
「まだ、この結婚に納得できないのですか?」
「何故、貴方は私で良いのですか」
「辺境伯の元に嫁がせることも考えましたが、そちらで何か問題が起こっても困ります。貴女は監視を付ける目的で私の元に嫁いで来たのですよ」
「私と結婚しても得することはないでしょう。それなのに」
「益になることですか。貴女と結婚することで、今まで言い寄って来た女性が表向きは居なくなる。貴女はかなりの有名人でしたからな。けん制になることでしょう。貴女にとってはどう思うか分かりませんがね。酷い散財でなければ目を瞑りましょう。ただし、家の者が監視していることを覚えておいて下さい」
カミルは安堵していた。カリストにとっても悪い婚姻でなかったようだ。「これから、宜しくお願いします」そう告げるとカリストは驚いた表情で妻になったばかりのカミルを見つめた。結婚式までの一月ほど(本当は数か月から数年の準備期間を置いて結婚式を挙げるものだが、宰相の独断で決められた)暴れたり罵声したりと、令嬢らしくない行動が多々見られた、他にもカリストの聞いた話では、王子の婚約者であり、次期国王妃であった彼女には幾つも悪い噂があったと聞いている。
学園に通っていたが、王子とはあまり、仲が良い関係ではなかったらしい。王子が違う女生徒と恋仲になり、カミルは婚約破棄された。その女生徒に嫌がらせを繰り返し、王子の不興を買ったと聞く。
しかし、目前のカミルは全くの別人に見えた。大人しく大人びていて、猫でもかぶっているのだろうか。これから、暮らしていく上で屋敷で働く者から逐一報告を受ける事になっているので、様子を見て行こうと思った。
「何か望みはありますか」
その言葉にカミルは「明日、誕生日なの。ケーキを作らせて下さい」告げられた望みが余りにも貴族令嬢らしくなくて、本当にこの娘は公爵令嬢だったのかと疑った。
* * *
仕事が忙しく、滅多に屋敷には帰れなかったが、屋敷からの定期報告は毎日、受けていた。しかし、それは、いつも予想外の事でカリストを驚かせた。今日は、庭園の手入れを手伝っていた、図書室で地理や歴史の本を読んでいた、お菓子作りをしていた、などという平和的なものばかりで、屋敷を抜け出して出かけていたり、ドレスを大量に注文していたなどということはない。カリストはカミルという女性が分からなくなっていた。
カリストが偶々、王子と会う機会に恵まれた。王子が申し訳なさそうに「あいつはどうしているか」と聞いてきたことがあった。無理矢理、結婚相手を押し付けたような形になったのが申し訳なかったのだろう。学園に居た頃のカミルを王子は知っているがカリストは知らない。随分と迷惑を掛けられたことは知ってるので、宰相を心配してのことだろう。
「殿下、無礼を承知で申し上げます。妻は屋敷での振る舞いについて、問題があるように見受けられません。行動も何もかもどこにでもいる令嬢なので、学園での行動は本当なのかと驚いております」
「本性を現わしていないだけではないのか」
「ひと月ほど経ちますが、どこも変わった様子はありません」
「ふむ」
「殿下、もし宜しければ私の屋敷にお越しになりませんか。婚約者殿もご一緒で構いません。妻の様子を見てただけませんかな」
「私も気になる。行っても構わないか」
「もちろん、喜んで」
そのことを、カミルに告げると彼女は嬉しそうに「パイの作り置きがあって良かった!」と嬉しそうに返してくれた。王子と婚約者のために自慢の菓子でもてなすことにするようだ。
約束の日に、公爵邸を訪れた、ディオン王子と婚約者候補である、メアリー・フォン・ブロイ男爵令嬢は宰相のもてなしを受けていたが、その場に妻であるカミルの姿はない。
「カリスト、カミルはどうしたのだ? 私に会うのが嫌になったか?」
「いえ、厨房で最後の盛り付けをしているので、ご挨拶出来なくて申し訳ありませんと言付けを託されています」
「厨房?」
「ええ、殿下と令嬢のために妻自ら菓子を作っていたのですが、間に合いそうにないということで、直接庭園に向かうと言っております」
「は? あれが菓子を…?」
想像できなかったようで、二人は顔を見合わせる。学園ではそんな、素振りは一度も見せたことはない。「天気が宜しいので庭園に用意させていただきました」そう言って、宰相は庭園に準備されたテーブルへと二人を案内する。テーブルの上には所狭しとお菓子が並べられていた。
ちょうど、その時、カミルが最後のケーキを手にして庭園に入って来た。慌てて、ケーキをテーブルの上に置いてかけていたエプロンを外す。
「このような恰好で申し訳ありません」
令嬢らしい礼をすると、宰相の隣りに立つ。「ついている」仕上げの時についただろう、鼻の上のクリームを手巾でふき取るとカミルは恥ずかしそうに頬を染めた。その姿さえも見たことがなかったディオンとメアリーは目を白黒させて言葉さえ失った。
どこを見ても仲睦ましい夫婦の姿があった。
「カミル…?」
「王太子殿下、大変失礼を致しました。お菓子とお茶をご用意致しました。お口に合えば宜しいのですが…」
香りの良いお茶もカミルがブレンドしたと聞く。王子の好みを知っていないと淹れられないお茶を前にして、やはり、雰囲気はまるで違ってはいるが、悪役令嬢としてメアリーを苛めていた令嬢と同一人物なのだろう。
席について、お茶と菓子を頂く。昨日から準備をしていたというだけあって、どれも手が込んでいて美味しい。
「二人が来られると知って頑張っていたようです」
にこにこと、笑顔を見せて宰相の隣りに座る姿はとてもお似合いだ。結婚式当日までは、顔を見ることもなかったと聞いているのが不思議だ。お菓子を切り分け、新しいお茶のお代わりを勧める姿を見てもあの時のカミルはいない。
記憶を思い出しながら、初めて出会う王子と男爵令嬢の姿を改めてみる。ゲームの中の二人のままで、王子も男爵令嬢も普通に良い子たちだ。ゲームをしていた頃は、確かに悪役令嬢には腹が立っていた。実際、こうして、接触する機会があると、申し訳ない気持ちになる。悪役令嬢であった記憶は覆すことは出来ない事実なので、これからどうやって償って行けば良いだろう。このお茶会のもてなしも償いの一つだと思っていた。
一つ言えることは、二人のカミルへの評価が少し見直された点だ。物語の二人は心優しく、悪い点は見受けられない。男爵令嬢であるヒロインも心に決めたのが王子のみらしく、他の攻略対象との噂はなかったように思う。
「美味しい…!」
甘い香りのする薔薇のお茶は確か、説明書に主人公が好むお茶だと書かれていたような気がする。攻略相手が王子だったので、もちろん、王子の好みはすべて知っている。ふと、カミルは何かに気付いて目を瞬かせた。
(そうか、これは…私がゲームの中で選んだルートの通りに物語が進んだ結末なんだ)
お気に入りのジンジャーティーにラム酒の効いたチョコレートケーキ、王子は知っているはずだ。公爵令嬢のカミルだったら、口にはしていない。隣りで、隣国産のすっきりとしたお茶を飲んでいた宰相はあまり、甘いものは得意ではないようで、別にカミルが用意したナッツ類を口にしている。
「カミル、心を入れ替えてくれたんだね」
物理的な意味での言葉に置き換わるだろうか。とりあえず、問題なく終われそうで良かったと、淑女らしい笑みを浮かべて「私も楽しかったです」と告げる。王子から学園時代のカミルの人となりを知りたがった宰相だったが、途中からそれがどうでも良くなったようだ。王子と男爵令嬢が楽しそうにカミルとの会話に花を咲かせているからだ。
最後にカミルは庭園で育てた刺抜きされたピンクの薔薇をお土産にと、メアリーに渡していた。どこまでも気が利く所作に「ありがとうございます」と言ってメアリーは花を受け取ってくれた。
王太子を招いたお茶会は何事もなく終わることができた。
王子にも男爵令嬢も心を入れ替えたと、思っているようで、不信がられることはなかった。きっと、夫となった宰相の手腕のお蔭なのだろうと、認識しているようだ。宰相には、公爵令嬢の人となりは周りからもたされたものであり、知っているものは心を入れ替えたのだと思うだろう。
これで、断罪エンドは回避されたはずだ。まだ、油断は出来ないが、悪役令嬢らしい振る舞いではなく、普通の令嬢として振舞っていれば問題ないだろう。
「きちんとおもてなしできたでしょうか」
「ええ、とても素晴らしい出来でした。貴女も楽しそうだった。また、お二人をお呼びしましょう」
見上げると優しい声音で返してくれたカリストの表情はとても穏やかだ。あの時、初めて顔合わせをした結婚式とは違う。氷の宰相と呼ばれている彼はそこにはいない。
「ありがとうございます。カリスト様がいらっしゃったから、こうして勤めを果たせたのだと思います」
ふわりと微笑めば、眩しそうにカミルを見つめて、次の瞬間、彼女は夫の腕に囚われた。驚いたように目を瞬かせると、どこまでも甘い口づけがおりてきた。悪役令嬢でも幸せになれるのね。転生悪役令嬢は本当の幸せを手に入れる事が出来た。
物語はめでたしめでたしで終わる。
ブログから移動したものです。私が書くとどうしても、それじゃ無い感が生まれます。




