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レース開始直後は、主運転手のリュカの言う通り、急加速はしなかった。おかげで完全に出遅れていた。ここからどう立て直すつもりなのだろう。
それにしても、運転の感覚が全く違う。風を感じられないのに、機体だけが進んでいる。それに、アクセルペダルが軽すぎる。メインハンドルも手が滑ってしまいそうなほど滑らかに動く。機体そのものが軽いからだろう。ハンドルから感じる振動の奥で、なんとなく何かが引っかかるような感覚を覚える。主運転手と副運転手の動きが完璧に連動していないときの感覚だ。今まで散々味わってきたが、この機体はこうやって顕れるのか。本格的に速度を出したら、もう少し神経を使っていないと感じ取れないかもしれない。
そこまで考えたところで、ハンドルの操縦が効きにくくなった。主運転手が加速を掛けている。イヤホンからは何の指示もないのに。加速を感じ取った瞬間に躊躇いなくアクセルを踏み込む。ギアチェンジをするほどの加速ではないのは分かった。コックピットがほんの少し並行でなくなるくらいの速度だ。おおよその踏み込みの予測はつく。
「加速して!」
「遅え!!」
噛みつくように叫び返す。指示が遅すぎる。こちらはとうに踏み込んだあとだ。
「うわっなにこれッ!?」
リュカの悲鳴が聞こえる。先ほどよりも、私のコックピットの方が先に出てしまっていた。ハンドルの操縦が先ほどとは異なり、重く鈍くなる。主運転手がブレーキを掛けたのではあるまいか。身体が前のめりになりかけて、こちらもブレーキを掛ける。左手は迷わずにブレーキハンドルを握った。先ほどきちんと場所を把握していてよかった。
彼女の加速より踏み込み過ぎてしまったのだろうか。そのつもりは一切なかった。
「待って待って待って、一旦落として!無理ッ!!」
無理とはどういう意味だろう。それでも指示には従わなくてはいけない。他の機体はとうに見えなくなっていた。これでは最下位確定だろう。ここから巻き返すのは無理だ。ああ、そういう意味か。
「アンタ早すぎ!!指示聞いてから動けって言ったでしょ!?」
やはり加速しすぎてしまっていたらしい。アクセルペダルが軽いのも相まって、恐らく私が想定していた以上に速度が出てしまったのだろう。
「ほんとに話聞いてた!?勝手に動かないで!!」
ハンドルを握り直して。先ほどの感覚を思い出す。そこで突然頭の中が冷静になった。思考がクリアになる。彼女に、端的に問いかける。
「進むんですか、止まるんですか?それともリタイアですか?」
「~~~ッ、リタイアするわけないでしょ!!??アクセル踏んで!!ギア半分まで上げて!!このまま加速!!」
ハンドサインを作りかけて、寸前で思いとどまる。
「了解」
短く答えて、指示に応じていく。アクセルを徐々に踏みつつ、ギアを少しずつ上げていく。急に上げるのは機体に負担が大きい。最新機種同然のこの機体であっても、そういった負担は掛けさせないほうがいい。
景色が飛ぶように流れていく。途中で右側に曲がればタイム短縮の出来そうなところがあったが、何もしないことにした。主運転手の指示を待たなければいけない。
リュカは至極安全なコース取りをした。オフィシャル時代のレギュレーションが身に染み付いているからだろうか。ドルーズドでは当たり前に行われるような急カーブも急降下も、ファースト・ラップはもちろん、セカンド・ラップもファイナル・ラップでも彼女は選択しようとしなかった。大会側が用意したと思われる、平坦で何の面白みもないようなコースを、順当にそこそこの速度で進んでいく。あの加速以来、指示は一切されることなく、安全な速度のまま最下位でゴールした。
誰もいなくなった控え室で、私たちはまた真っ向から衝突することになった。
「指示聞いてから動けって言ったでしょ!!??なんで勝手に動くの!!??」
「感覚で分かりますし、指示があまりにも遅すぎるからですけど」
リュカの目付きが冷たいものになる。
「アンタよりマシな主運転手としての動きしたと思うけど?」
もう、その言葉は私には響かなかった。私はあんなに遅い指示をしない。それに、最大の問題は指示云々ではない。一番言いたかったのはこれだ。
「主運転手なのに判断に迷うってどういうことですか?」
「…………え?」
彼女の表情が、虚を突かれたようなものに変わる。自覚がないのだろうか。
「私が加速した時、躊躇いましたよね。あのままアクセルを踏み続ければ、何事もなく加速できたのに。」
あのときの、彼女の加速。ハンドルの奥で、何かが引っかかるような、それでいて、元の位置に即座に戻ろうとするかのような動き。ブレーキを掛けたときとはまた違う。最初は軽かったのに、その後すぐ重たくなった。
あの動きの原因は、リュカだ。彼女の判断が鈍い。副運転手である私の加速に、主運転手である彼女がついて来れていない。どういうことだろう。それだけは、問いたかった。
「っな………」
絶句した彼女の言葉は、続かなかった。
「副運転手を経験して、分かりました。主運転手の動きに、私はついていくしかない。それなのに、あなたは私の挙動で、自身の決断を迷った。あんなの、下手したらクラッシュです。」
リュカの顔色が青白くなっていく。私からこれ以上言うことはない。
「やはり、私たちは相性が悪いのでしょうね。短い期間でしたがお世話になりました。」
きちんと頭を下げて、彼女に背を向ける。ロッカーにしまっていた自分の荷物を取りに向かう。最低限のものしか持ってきていないので、財布と端末しかないが。
荷物を取った後も、リュカは呆然と立ち尽くしていた。控え室を出ていくには彼女の前を通らなくては行けない。最後の挨拶くらいしておかなければ。最悪の出会いではあったし、最悪の相性ではあったが、最悪の別れはしたくない。
「リュカさんの今後に、幸多からんことを。それでは失礼します。」
そのまま足早に出口へ向かう。扉を閉める直前に振り返った彼女の姿は、いっそ憔悴しきっているようだった。着飾られた服装も、すべて色褪せているように見えた。
そのまま扉を閉める。もう二度と、彼女とバディを組むことはないだろう。そうして、私は彼女と出会う前のような、一介の主運転手に戻ることにした。
しかし、カイン2500を潰してしまった今となっては乗る機体もない。まずはギャンブルで手っ取り早く金を稼ぐのが先決だ。そうして、私はまたドルーズド・レースの賭けに興じることとなった。




