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Drused Race  作者: 鈴生
8/30

8

 言われた通り大人しくコックピットに乗り込む。リュカはイヤホン搭載だと言っていたが、どれのことだろう。無線だとしたら、どこにしまってあるのかくらい教えて欲しかった。

 私がシートに収まったのを確認すると、左側のコックピットに座る彼女が呼びかけてきた。エンジンをまだ掛けていないので普通の音量だ。耳に痛くなくて済む。

「イヤホン、メインハンドルの奥のボックスにあるから。着けといて。エンジン掛けたらアンタの声聞こえないし」

 軽く頷き、指示された場所を探る。ツメを引っ掛けて開けるタイプのボックスの中に、イヤホンだけが収められていた。試しに右側にだけ付けてみると、違和感が凄まじい。今までイヤホンをあまり好んで着けてこなかったので、なんだか変な感じが否めない。これを両耳にするのか。堪えられそうにない。

 それでも言われたからには両耳に着けておくしかない。オフィシャルのレーサー達はこんなものをレース中に常に着けているのか。平衡感覚がおかしくなりそうだ。

 イヤホンを着けると、防御壁(シールド)が展開された。卵の殻のように、コックピット全体を覆う形だった。なんだか見世物にされているみたいで落ち着かない。風も周囲の音も遮られてしまって、気が狂いそうだ。計器とハンドル周辺を眺めて落ち着くことにした。

 コックピットに乗り込んで一番最初に気が付いたのは、計器周辺の視認性の良さだった。前の機体(マシン)ではごちゃごちゃしていたメーター類が、見やすく並んでいる。中にはデジタル表示のものもあった。これは慣れるのに時間がかかるかもしれない。

 ハンドルの形も異なっていた。以前のものと比べると握りやすい。それに円形ではなくて部分的に操縦桿がある形になっている。左側のレバーは何を操作するものなのだろうか。予測もつかない。

 足元のアクセルペダルの形状は変わらなかった。でも大きさが違う。こちらの方が小さい。

 シートの乗り心地は、確かに前よりもずっと良かった。妙に腰の骨に当たる金属の骨組みなどは一切なく、クッション性も良い。ここだけ切り外して椅子として使ってもいいレベルだ。

 そうしてあれこれ眺めていると、脳に直接殴り込んでくるかのようなリュカの声が聞こえた。

「アンタ何も触ってないよね!?」

 両耳でこれを聞き続ける気にはなれなかった。顔を顰めて思わずイヤホンを外す。

「うっるさ…」

 外したイヤホンから、かすかに音が漏れ聞こえた。

「……んで……んの………ない…」

 そんなに大声で喋らないで欲しい。左側に着けると、なんだかもっと彼女の声が聞こえてしまいそうだったので、右耳にだけイヤホンを近づける。どちらも同じ音量で聞こえるのは分かりきっていたが、そうしないとやりきれない気分だった。それに、右側のみマイク接続がされているので、こちら側でないと会話ができない。

「なんで外してんの!!??イヤホンの意味ないじゃん!!!」

 装着するのは無理かもしれない。音が大きすぎる。

「…もうちょっと静かに話せないんですか?」

 できればもっと言いたいことはあったが、とにかく黙って欲しかったのでそれだけ伝えた。

「なんで右にしか着けないの?両方着けなきゃちゃんと聞こえないじゃん!」

 先ほどよりは音量が抑えられていたので、彼女の声を聞き続けるのは多少苦痛ではなくなった。

「両方着けると平衡感覚が鈍りそうだったので。マイクさえあればいいですよね。」

 文句は受け付けない。有無を言わさぬトーンで話したからか、彼女の追求はそこで止んだ。

「あっそ、じゃエンジン掛けるから。そのあと浮力装置。起動したらまた指示するからアンタは何もしなくていいから!」

 返事をする前に、身体に振動が伝わってきた。かなり抑えられた振動だ。骨の髄まで揺さぶられるような程ではない。静音性も高い。防御壁があるせいかもしれない。まるでレース用の機体ではないみたいだ。

 新たなエンジンに慣れる前に、機体が浮くとき特有の独特の浮遊感を覚えた。浮力装置が起動されたのだ。周りの音や振動が今までと全く違うこと、特に右側の音が完全に遮断されていることで、初めて機体酔いをしそうになった。こんなに赤子のように守られてレースをするなんて、以ての外だ。だんだん降りたくなってきた。

整備(メンテ)はしてもらってあるから。左のレバーはギアチェンジ、その後ろにあるハンドルはブレーキ、間違えないでよ!?アンタはとにかくレース中にウチの言うことだけ聞いて黙ってついて来ること!わかった!?」

 やっぱり脳までキンキンと響くような声だ。聞いていられない。気分が悪くなっていたのも相まって、最低限の返事しかできなかった。

「…わかった……」

「じゃああとは黙ってて。ウチやることあるから!」

 リュカの指示云々の前に、私が機体に慣れるのが先だ。これで実際に走り始めたら本当に限界を迎えかねない。機体異常(マシントラブル)ではなく、人的異常(レーサートラブル)でリタイアなんて最悪の屈辱だ。しかもその原因が機体酔いだなんて。全く笑えない。

 一度深呼吸をして目を瞑り、シートに身体を沈める。エンジン駆動音と浮力駆動音に左耳を澄ませる。シート越しにエンジンから伝わる微細な振動を感じ取る。排気の匂いはほとんどしない。これでは嗅覚を研ぎ澄ませるだけ無駄だ。アクセルペダルに右足を乗せ、感覚を確かめる。小さいので踏み外しかねない。足はこのまま置いておこう。

 目を閉じたまま、両手にグローブを嵌める。何度か握ったり開いたりを繰り返し、自分の手の感覚を馴染ませる。目を開けて、変わった形のメインハンドルを握りしめる。前の機体よりもハンドルから感じ取れる振動が少ない。それでも、身体全体から感じるものよりは多少なりとも情報が多かった。

 メインハンドルを握ったまま、前を見つめる。視界は良好、おかげで観客の様子まで見えた。今回のコースは草原だ。数ある機体の巻き起こす風によって、柔らかな緑が平らに薙ぎ倒されているのが見えた。

 そのままゆっくりと深呼吸を繰り返していると、イヤホンからコンコンと二度ノックされる音がした。レースもまもなく始まるというのに何かあったのだろうか。

「レース開始するよ。準備してる?」

 ああ、遮音性が高すぎて周囲の音が聞こえないことを憂慮して、ノックしたのか。別に言われなくてもわかるのに。

「してます。」

「あっそ、レース中はウチの指示だけ聞いといて。最初はそんなにアクセル踏まないでいいから。初速は絶対出さないで。ギアは一番下のまま。わかった?」

 私の戦略とは正反対のものをリュカは取るのだと、私はここで初めて知った。主運転手(メイナー)である彼女に異論を唱えることは許されなかったが、それでも言いたいことはあった。

「勝つつもりがないのですか?」

「いいから黙って前見て!レーススタートするって言ってんでしょ!」

 舌打ちをして、正面に向き直る。


 信号(シグナル)は残り2つになっていた。


 信号が2つ、1つ。

 それが消えると同時に旗が振り下ろされた。


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