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Drused Race  作者: 鈴生
60/64

60. 夜長

 パッケージを右脇に挟み、ビニールを左手で何とか開けて、煙草を一本取り出す。口に咥えて、ごみも何もかもまとめて左のポケットに突っ込んでから、左手でライターを点けようと試みる。利き手ではないのもあってほとんど上手くいかない。苛立ってフィルターを噛んでしまう。吸わない方がマシだったかもしれない、そう思いながらも苦戦し続けてやっと火が付いた。ライターも同じように左のポケットにしまう。

 少しだけ煙を吸い込むと、喉の奥が噎せ返った。慌てて左手に煙草を持って咳き込む。だから煙草は嫌いだ。涙目になりながらも、左手でじりじりと燃えていく煙草を見ていると、店内から出てきた人物に声を掛けられた。


「下手だな。」

 顔を上げると、そこにはスサミが立っていた。片手には少し値の張るウイスキーの小さなボトルが握られている。

「…スサミ、さん…」

 声がいがらっぽくなっていた。軽く咳払いををする。煙草は半分ほどになっていた。足元には灰が散らばっている。先端についている灰を、灰皿に落とす。その様子を見て、スサミが片眉を上げる。隣にやってきて、上着の胸ポケットを探る。

「今日が煙草デビューか?」

「…まさか。」

 胸ポケットに入れられた彼の右手が止まる。複雑な感情の籠った視線が向けられる。店内の白い照明と、近くの街灯の冷ややかな光の元では、彼の目からは困惑以外読み取れなかった。

 胸ポケットから引き抜かれた右手には、何も無かった。持っていなかったのだろうか。

「よければこれどうぞ。もう吸わないので。」

 そう言って一度煙草を口に咥えて、左手でポケットをまさぐって箱をそのまま差し出す。彼は私の手を見つめながら、躊躇いつつも箱を受け取った。

「いいのか。」

 煙草を左手に移動させて口を開く。

「ええ。吸いたいわけじゃないんです。この臭いを嗅ぎたかっただけなので。」

 そういって随分短くなった煙草を見せる。灰皿の上で、左手の人差し指と中指で挟んだ煙草のフィルターを、親指で軽く上から下に弾いて灰を落とす。この動作だけは妙に上手くなったものだ。煙草なんて人生でも片手で数えるくらいしか、吸ったことはないのに。

「そうか。」

 短く返事をした彼が、持っていたウイスキーのボトルをこちらに突き出す。フィルターぎりぎりになっていた煙草を灰皿に押し付けて、火を消す。ボトルを見つめて、左手でおずおずと受け取る。

「煙草の礼とでも思ってくれ。」

「…ありがとうございます。」

 買ったことのない銘柄だ。今夜飲もうかと思って、病院で散々飲酒を止められていたことを思い出す。仕方ない。飲むのは治ってからだ。肩に掛けているリュックに、道中で割ってしまわないように慎重にしまい込む。

 スサミが明らかに手慣れた仕草で、手元を見ることもなく箱から煙草を一本取り出して、口に咥える。そういえば、ライターを渡し忘れていた。

「ライター、どうぞ。」

 そういって左手で渡す。無言で受け取った彼が、左手で風を遮るように煙草を覆って、右手でライターを操る。カチ、カチ、と音がして、彼の口元から両手が外される。ライターを返そうとされたので、首を振って固辞する。持っていても仕方のないものだ。軽く頷いて、彼は煙草の箱をしまったのと同じ胸ポケットに、ライターを入れた。

 彼の咥える煙草の先が、赤く光る。何度か、じっくりと味わうように息を吸って吐いてから、彼はこちらを向いた。右手に煙草が挟まれている。灰を散らかすことなく綺麗に灰皿に落として、問いかけられる。

「手はどうした。」

「…整備(メンテ)中に、深めに切ってしまいまして。」

 彼の細い目が、更に目が細められる。一度煙草を咥えて、彼は思案に耽ったようだった。横から漂う煙草の煙を、ゆっくりと吸い込む。


 小さい頃、たまに家に帰ってくる父が吸っていた煙草の香りだ。当時は幼過ぎて、煙草の銘柄なんて記憶のかけらにもなかった。しかし、父について調べていた時に偶然教えてもらってからは、たまにこの香りに無性に包まれたくなることがあった。煙が目に染みたのか、少しだけ視界がぼやけたが、瞬きを繰り返せばすぐになくなった。


 しばらく、無言の時間が続いた。不思議なことに、居心地の悪さは一切感じなかった。残り僅かになった煙草を片手に持って、スサミが口を開く。

()()で、グランプリ決勝(ファイナル)に、出るのか。」

「もちろんです。」

 即答してから、気付く。

「…ご存知だったのですね。出場していること。」

「知らないわけがないだろう。これでも王者だぞ。」

 そう言って不器用そうに笑みを見せる。それに釣られて、少しだけ私も笑みが零れた。どこかで、胸のつかえが取れたような気がした。嫌味を言おうという気には、ならなかった。


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