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他のレーサーが誰もいなくなった控え室に戻ってから、リュカに胸倉を掴まれた。
「何あの急加速に急カーブに急停止!!??信ッじらんない!!殺す気!?二度とアンタとバディなんか組まないから!!」
「機体から兆候が感じ取れないのですか?オフィシャルのレーサーの門戸は案外広いのですね。」
「黙っとけばぬけぬけと…!そんだけ啖呵切っといて今まで何の成績も挙げられなかったくせに!」
そんなのはわかりきっている。それでも私の判断についてこれなかった副運転手が悪い。
「アンタの父親、あの伝説のトカラでしょ?」
ヒュッ、と喉から音がした。どうして知っているのだろう。
一気に血の気が引いた。
トカラは、私の、ろくでなしの父の名前だ。
「かっわいそー、運転の技術は遺伝しなかったんだぁ?」
至極楽しげに笑みを浮かべるリュカの顔を見て、堪忍袋の緒が切れた。
「主運転手についてこれない副運転手の分際で何を宣うかと思えば…」
声が震える。もちろん怒りだ。
「は???アンタの指示が無いからでしょ???」
「指示無くても動けってんだよ!!!分かんだろ!!??」
口の悪さが、とうとう抑えきれなくなった。
平手打ちされたかのような顔をして、リュカの言葉が止まった。
誰もいなくて良かったと心の底から思った。
控え室に痛いほどの沈黙が落ちる。
やってしまった、と思い唇を噛む。人前でこの育ちの悪さを見せるつもりはなかった。特に、上流階級で育ってきたであろうリュカの前で、取り乱したくはなかった。
少し呆けていたような表情をしていたリュカが、再度、先ほどと同じ挑発的な笑みを浮かべた。先ほどよりも、ずっとその笑みには含みがあった。
背筋に冷たいものが伝う。
「へえ、」
それに続く言葉が、容易に想像できた。聞きたくない言葉だ。
「アンタさあ、」
やめろ、言うな。
「トカラと違ってさあ、」
言わないでくれ。
「主運転手の才能、無いんじゃない?」
言葉よりも先に手が出ていた。リュカの右の頬を引っぱたこうとして、易々と受け止められた。
「そうやって、副運転手のせいに、してきたんでしょ?今までも、ずっと。」
右腕を凄まじい力で掴まれたまま、両目を合わせて話しかけられる。
「指示することも放棄して、挙句全部が副運転手の責任てわけ?」
痛いくらいに右腕を掴まれる。骨が軋みそうだ。
「バカじゃないの?」
痛みに歯を食いしばる。何が痛いのかなんて分かりはしなかった。
そこでパッと手を離される。
冷ややかな目付きが、私を見下ろしていた。人の上に立つこと、その責任の重さを知っている人間の目だ。
父親の知り合いだったレーサーの目と、リュカの目がどことなく似ていた。
「一回さあ、経験したらいいんじゃないの?副運転手の責任の重さと、主運転手の指示の大切さ」
「…………は?」
言っている意味が分からなかった。主運転手である私が、副運転手として運転するなんて冗談じゃない。志望もしていない運転なんて、絶対にしたくない。私が副運転手を経験する必要なんて、ない。
「いらねえだろそんなの!」
また胸倉を掴まれそうになったので咄嗟に避ける。無駄に煌びやかに塗られた鋭いネイルの施された手にこれ以上触れられたくはなかった。
「いい加減現実見ろって言ってんの!!分かんないかなあ!!??」
舌打ちがこぼれる。現実なんて嫌というほど見続けてきた。だから名前も何もかも捨てたのに。
私は、父の影を追い続けている。
今日のコースに既視感があったのは、記憶端末で見たことのある、父が昔運転していたコースだったからだ。
急加速も、急カーブも、急停止も、あの記憶端末が擦り切れて見れなくなるまで見返した父が行っていた運転だ。
私には、どうしてそれが出来ないのだろう。
「……てめえに何がわかんだよ…」
本音が口をつく。
「なに?声小っちゃくて聞こえないんだけど?」
リュカが発する、耳にキンキンと響くような声音は、もう聞いていられなかった。
限界だ。
「てめえに何がわかんだよ!!!!オフィシャルのアバズレの寄生虫風情が!!!」
リュカの目が呆然と見開かれる。怒りに強張っていた両腕がだらりと垂れる。
「…なにそれ……」
へたり込むようにしゃがんだ彼女を、今度は私が見下す。
「名家出身の才に溢れた若手女性副運転手、主運転手探して三千枕ってお前のことだろ?知ってんだよこっちだってそんくらい!」
リュカのオフィシャル・レーサー時代からの二つ名は、主運転手探して三千枕だ。男性の主運転手と二度三度レースを経験したら、別の男に移る。新たな主運転手を見つけるときには、夜を何度も共にする。そうしてオフィシャルに在籍する男性主運転手を見境無く食べ尽くして、資格を剥奪された時の彼氏に落ち着いたのだと雑誌で見た。彼女に言わせれば、身体の相性が良ければ良いほど、運転の相性も良いのだそうだ。
彼女の運転スタイルは、主運転手にすべて任せきりなのだとも聞いたことがある。夜と同様に、男に主導権をすべて明け渡し、彼女はただされるがままに運転するだけなのだと。
「副運転手の寄生虫が主運転手の苦労も知らねえくせに、よくも元オフィシャルの盾使って説教出来たもんだな?あ?」
リュカはしゃがみこんで、俯いたままだ。口は真一文字に結ばれている。やりすぎてしまったかもしれない。所詮はゴシップ誌で見ただけの情報だ。彼女がどうやって主運転手を選んでいるかなんて、私が口を挟むべきではなかった。
気まずい沈黙が流れる。
「……なあ、反論は?ねえの?」
こちらもしゃがんで目を合わせる。先ほどまでは彼女の鼻を明かしてやりたい気分でもあったが、今は明らかにこちらが言いすぎてしまったという後悔だけがあった。
「リュカ、反論することねえのかよ?」
彼女の顔がバッと上がる。しゃがんで視線を合わせようとしていた私の顔が目の前にあったことに驚いて、身体が少しのけぞる。
「…うるさい!!!!!」
耳を塞ぎたくなるような音量の声だった。顔を顰める。
立ち上がって荷物を引っ掴んで彼女が立ち上がる。私もそれを見て立ち上がる。
こちらに背を向けたまま、リュカが呟く。
「機体から、読み取れる…」
「…なんのこと?」
独り言のつもりだったのかもしれないが、がらんとした控え室では丸聞こえだった。
般若のように敵対心剝き出しの表情でこちらを振り返った彼女が、こちらに向かって一方的に告げる。
「副運転手でそれ、出来るもんならやってみなよ。どうせ口ばっかりなんだろうけど。」
それだけ言って、彼女は控え室を出ていこうとする。
私は副運転手として運転するつもりはない。
ああ、次の副運転手はやはりあの男にしよう。そう考えていると、予想だにしていなかった言葉が聞こえた。
「次も、ウチ、アンタと組むから。ウチが主運転手で。」
一瞬思考がフリーズする。これがレース中だったら命は無かっただろう。
「今度はウチの機体持ってくるから。じゃあ次回のレース枠取っといて。」
それだけ言うと、彼女はヒールを鳴らして出て行った。
後に残されたのは、呆気にとられる私だけだった。




