59. 焦燥
リエラには端末から連絡を取ることを約束して、挨拶もそこそこに控え室へ足早に向かう。早くリュカに連絡を取らなければ。
部屋に入ろうとしてドアノブを思い切り左手で捻り、重い金属製の扉を強く引くと、そこには中途半端に手を伸ばしかけて立ち竦むスミスの姿があった。まさか目の前にいるとは思わず面食らってしまい、挨拶がぎこちなくなった。
「あ、…っと、お疲れさ、ま、です…」
妙に沈んだ目をしたスミスが、会釈するかのように首だけ軽く動かして、そそくさと出て行った。普段とは違う様子に違和感を抱きつつも、自分の荷物をしまってあるロッカーに向かい、苦労しながら鍵を開ける。
リュックから端末を取り出してアプリを開き、通話ボタンを押す。他のレーサーは運よく控え室にいなかったが、話す内容は聞かれたくなかった。右肩と右耳で端末を挟みつつ、リュカからの応答を待つ。
ロッカーからリュックを引き摺り出し、近くの椅子の上に置く。ポケットからグローブを取り出してリュックに放り込み、水のボトルを取り出す。気温が下がったからなのか、中身はまだ冷たかった。
右耳に無機質な機械音が届いた。
リュカが出ない。
気づいていないだけかもしれないと思い、もう一度掛け直す。ボトルをしまって、リュックを閉めて椅子に腰かける。無意識のうちに左足が規則的なリズムを刻んでいた。
機械音が聞こえる。
もう一度掛け直す。
いささか首が痛くなってきたので左肩と左耳で挟む。空いた左手で、リュックの端の綻んでいた糸を指にかけて引っ張って引きちぎる。
機械音が響く。
「くそがッ…!」
乱暴にポケットに端末をしまって、リュックを左肩に掛ける。急ぎ足で控え室から出て、他の連絡手段を探すことにした。まずはメッセージを送るところからか。家に向かって苛立ちを隠さずに大股で歩いていく。
外は、もうほとんど日が落ちて、街灯の灯りばかりが煌々と光っていた。
帰路の途中で、歩き煙草をしている男とすれ違った。あまり煙草の煙は好きではない。顔を顰めて左手で口元を覆う。歩く速度を一段と早くする。すれ違ったあとも何歩かは息を顰める。あの煙の臭いは案外残るのだ。
3歩ほど進んだところで左手を外す。息を深く吸い込んで、失敗したことに気が付いた。まだ少し臭う。隠しもせずに舌打ちをする。昔よく嗅いでいた、懐かしい臭いだったことも、苛立ちを加速させた。
この臭いだけに、今だけは溺れてもいいかもしれない。そう思った。あの女、リエラの香りも、まだ身体に残っていそうな気がして、このまま自宅に帰りたくはなかった。
その場から一番近いコンビニに行き、入口からレジに向かって真っ直ぐ進む。
「っしゃっせー」
店員は若い男性だった。店内は客もまばらで、暇そうにキャッシュトレーを弄っている。
後ろの壁を睨むように見つめながら、出来るだけ苛立ちを押さえて告げる。この怒りを店員にぶつけるのは違う。これは私が消化すべき感情だ。
「…157番を、1つ。」
「ライターは?」
「…ください」
見覚えのあるパッケージと安っぽいライターがややぞんざいに手渡された。端末から決済を済ませる。
「あざっしたー」
やる気のなさそうな声が聞こえて、店内から出る。温かい店内に比べると、外は肌寒かった。ここまでどれだけ感情に駆られて歩いていたのかと自分に呆れた。




