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Drused Race  作者: 鈴生
準決勝
58/67

58. 拘束

 不自由な右手を抱えつつ、自力で見られる範囲の修復個所を見て頭の中でカレンダーをめくる。何せここから2週間あるのだ。少しゆっくり修復してもらっても問題ないだろう。リエラの時間が空いていれば、の話だが。

 彼女の顔を思い出したところで、レース前のあの取引を思い出す。一気に顔から血の気が引いた。何も考えていない。あのままでは文字通り、あの女にされるがままになってしまう。報酬は、一体何がいいのだろう。相場の価格に多少上乗せするだけでは、決して満足なんてしない。リエラはそういう女だ。エンジン部分に背中をもたれ掛からせて、体重をカインに預ける。内心で冗談半分に、カインに問いかける。

 あなたなら、どうする?

 返事なんてあるわけはない。自分で考えるだけ時間の無駄だ。頭の中の靄を吐き出すように息を吐いて、グローブを外した右手に視線を落とす。縫合の跡が未だに痛々しい。少し握り込もうとすると、鋭い痛みが走った。レース中は興奮と緊張で何も感じなかったのに、レースが終わればこれだ。少なく見積もっても、約4週間はこの状態かと思うと、家に帰るのも気が重くなってきた。帰宅すればどうにもならずに放置された食器類が待っている。掃除もできていない。考えれば考えるほど、何もかも嫌になりそうだった。レースの興奮が切れたらこんなにも無力感に苛まれる羽目になるのか。

 一人で悶々としていると、あの甘い香りが香った。視線を上げると、もう見慣れた服装のリエラが立っていた。

「…お待たせ、いたしました…セイカさま。」

「…いい、あんま待ってないから」

 小首を傾げてこちらをみる彼女の目は、明らかに私の様子を観察していた。注がれる視線が不愉快で、カインから背を離す。

「…2着、おめでとう」

 何から言うべきか分からなかったので、ひとまず社交辞令を述べておく。それでも、少しだけ意地の悪いことも言いたくなった。これまでされた仕打ちの仕返しのつもりだ。

「…私たちには、全然ついて来れなかったみたいだけど」

 目を見開いて、両手を口に当てる彼女の表情は、感極まっているようだった。両目にうっすらと光るものが見えた。また私は、この女を興奮させるような余計なことを言ったのだろうか。

「……っぁ、あぁ、わたくし、わたくし…!」

 それだけ言って、リエラは顔を覆ってしまった。肩が小さく震えている。それを心底悍ましいものを見る様な目で一瞥して、エンジンに向き直る。彼女に用があるのは整備(メンテ)についてだけだ。

 彼女に背を向けると、小さな笑い声が聞こえてきた。強烈な違和感を覚えて、すぐさま振り返る。目の前に、リエラが立っていた。

 その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。さながら、山姥のような、口が裂けんばかりの歪な笑みだ。一気に鳥肌が立って、右足を後ろに一歩引く。左手を胸の前で握る。この女は何が目的だ。

 その口に浮かべられた笑みとは裏腹に、くすくすと柔らかで不釣り合いな笑い声を立てながら、リエラが言葉を紡ぐ。

「…やっと、やっと……!わたくしを、見てくださったのですね……!」

 喘ぐように息をすることしか、私にはできなかった。酸欠なのか、頭痛がするようだった。

「セイカさまと、並びうるだけの、レーサーとして…!わたくしを…!!」

 笑い声が言葉の隙間を埋めるように立てられるのが、これ以上ないほど不気味さを煽った。リエラは、この女は、こいつは、どういう精神状態なのか。

「怯えないでくださいまし、セイカさま…!!」

 にじり寄るように近づいてくるリエラが、かつてないほど恐ろしいものにしか見えなかった。ざり、と私のものではない足音が目の前から聞こえた。彼女の足音を聞いたのは、これが初めてだった。

 口を開くことすらままならない私を置き去りに、リエラは言葉を続ける。その目には、私しか映っていないようで、しかし、私は一切映っていないように見えた。

 一歩分の距離を開けたところで、リエラの侵攻は止まった。笑い声が止み、口調が落ち着く。

「…わたくし、セイカさまの、全てが、欲しいですわ。」

 その要求が、何を指しているのかは明確だった。唾を飲み込む。こくり、と喉が鳴る。息が苦しい。

「…よろしい、ですわよね?」

 距離は離れているのに、視線を固定されているわけでもないのに、両目は彼女から離せなかった。まるで操られるように、頷く。自分の身体が、自分の意志で動かない。

 先ほどとは違う、含みのある笑みを浮かべたリエラが、喜びに満ちた声を上げる。

「…まあ、わたくし、とっても嬉しいですわ!」

 そして、すぐに身を離してエンジン部分に視線を向ける。視線は次いでコックピットの側面に移動する。

 その横顔は、明らかに整備士(メカニック)としての面立ちに変わっていた。


 勝手に上がっていた息を、必死に整える。甘い香水の香りが、鼻につく。左手で口を押えて、目を瞑る。これは、当分夢に出るかもしれない。

「…セイカさま」

 物静かなトーンに変わった、リエラの声が聞こえる。なんとか目を開けてそちらを見ると、損傷したコックピットの側面に手を置いた彼女の姿が見えた。

「…ここの部分の損傷や、接続部の修復は一日もあれば十分ですわ。問題は、エンジンの交換、になりますわ…」

 一瞬だけ流麗な眉を顰めた彼女が、鋭い目付きでエンジンを見る。

「…今は、イヴ950を使っていらっしゃますわね」

「……そうだけど」

 こちらに視線を戻した彼女が、淡々と告げる。

「…手に、入らない可能性を、考えた方がよろしいですわ。」

 顔を顰める。入手できないとはどういうことだろう。イヴ950は大量に生産された機体だ。中古市場にならばいくらでも出回っているだろう。もしかすると、最近調べていなかったが何か流通に問題が生じているのかもしれない。

「…他のイヴシリーズは?」

 ゆるゆると彼女が首を振る。

「…どうなってる、イヴが全滅?」

「………ご存知ないのですか、セイカさま…?」


「…この2週間、グランプリに出場するレーサーは……修理以外の改造を禁じられました。運営からの、直接の通達でしたわ。…内密にやろうとしても、おそらく中古市場に、運営が圧力を掛けているはずですわ。」

 背筋が、汗もかいていないのに凍えるほど冷たくなった。


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