57. 準決勝・後
レース後特有の高揚感も下がり切らないうちに、ガレージに運んだカインと向き合う。右手はレース終了後から鈍痛を訴えていたため、頓服として処方されていた鎮痛剤を飲んだ。グローブを外して傷口を確認したが、幸いにも裂傷にはなっていなかった。
岩肌に擦ったのもあって、コックピットの側面がまた大きく損傷していた。それに、なんとなくエンジン部分が焦げ臭いような気もする。やはり焼き付きが拡大しているのだろう。今日のレースも遠慮なく最初からアクセルを踏み抜いた。あれで機体に負荷がかからない方がおかしい。次のエンジンもやはりイヴにしよう。そうでないと重量感が変わって運転しにくくなってしまう。そう思いながら、若干不自由な右手でダブルスチールをなぞる。時間があれば、ここももう少し改造を加えたかったが、2週間では無理だ。
色々と思考を巡らせながら、リエラを待つ。他の整備士に用はない。私たちのカインの整備ができるのは彼女だけだ。今だけはなぜか、それが確信できた。
エンジン本体と、コックピットの側面に次いで損傷が激しそうなダブルスチールの接続部分を確認していると、特徴的な訛りのある声が聞こえた。
「アンタ、その怪我で整備すンの?難儀だねェ」
「…アンナさん。ご無沙汰しております。」
即座に振り返って軽く会釈をすると、彼女も律儀に会釈を返してくれた。
「…スミスさんは、ご一緒ではないのですか?」
「スミスなら、まだ控え室。3位なのがすっげェ悔しかったンだと。まあ、アタシもだけどさ。」
準決勝の順位は、決勝戦の発進場所に反映される。好成績であればあるほど、決勝戦ではより優位なインコースからの発進ができるようになる。1着だった私たちのあとは、2着にリエラとそのバディ、3着にアンナとスミスだった。特に2着と3着は接戦で、ファイナル・ラップの最終盤まで競り合っていたのだ。
アンナの言葉には、何と返すか悩んだ。優勝者で私が何を言っても、嫌味にしか聞こえないだろう。リュカならまだ空気を柔らかくする言葉を発することができたかもしれないが、私にはそんな芸当はできそうになかった。気まずい沈黙が落ちて、やれやれというように首を振ったアンナが口を開く。
「…そンで、アンタはそれで、整備すンの?」
「…いえ、他の整備士に任せます。」
最低限の言葉で答える。何か詮索されるのは嫌だった。アンナもスミスもいい人たちだが、グランプリでは他人なんて何も信用できない。
「ふぅん…」
含みのある返事をしながら、アンナが機体にだけ視線を注ぎながら続ける。
「あの女には、注意した方が、いいと思うよ。アンタは、特に。」
一言一言を区切られているからか、妙にはっきりと、それでいて重たく、その言葉は私の耳に届いた。
「…具体的には、どんなところに?」
私がどれだけアンナを見ても、彼女はこちらに視線を寄越さなかった。ただひたすらに、私たちのカインを凝視している。瞬きすらしていない。それが末恐ろしく見えた。
「…尻軽な、ところとかかなァ」
あのリエラが尻軽だとは。誘惑して近寄って来た男を叩き落として笑っていそうなイメージだった。想像もしたことがなかったので瞬きを繰り返す。それを横目に目聡く読み取ったアンナが矢継ぎ早に言葉を続ける。その一瞬で、彼女に私の驚きを読み取られた気がした。
「ノアに執着するところとか、レーサーなのに女らしさ強調しすぎてるところとか、さァ。いくらでも、思い当たるンじゃないの?アンタなら。」
聞けば聞くほどに、私の脳裏に浮かぶのは、リエラではなくリュカになっていく。彼女は、リュカは、私の主運転手は、信用に値する人間だ。少なくとも、こんな揺さぶりに動じないくらいには、私は彼女を信じていた。
「…ご忠告、感謝します。」
これ以上何かいうのは、私のぼろが出そうで嫌だった。会話を切り上げるつもりで、背を向けて壁面に設置された照明のスイッチを押しに行くと、地の底から這い上がるような声が響いた。
「アンタら、同じ穴の貉だよ」
咄嗟に振り返っても、もうアンナの姿は無かった。




