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Drused Race  作者: 鈴生
準決勝
56/70

56. 準決勝・前

 結局リエラの特定行為への恐怖は杞憂に終わり、私の不自由な3日間はひとまず終わりを告げた。準決勝(セミファイナル)を数時間後に控えたガレージで、私は久々にカイン1200と向き合っていた。

 未だに包帯で巻かれた右手で機体(マシン)に触れたいとは思わなかった。何もない左手を副運転手(ツイン)のコックピットの側面に押し付ける。リエラが行った塗装の修復のおかげもあり、表面には滑らかさとザラつきが隣り合っていた。それに触れて安心する。

 コックピットの中を覗き込み、計器周辺を観察する。一任してしまったのが失敗かと思ったが、あのリエラでも計器まで弄ることはできないだろう。そう考えながらも、どことなく恐る恐る見つめていると、運転中に付けてしまった計器の傷が無くなっているのが見えた。そのうち直そうと思って、いつも後回しにして忘れてしまっていた部分だった。運転中はあまり気にならないが、静止状態だと白く霞んでいるのが少し目立っていたのだ。

「へえ…」

 知らず知らずのうちに声が出ていた。あの女も侮れない。評価を少し上げようかと思ったときに、とんとん、と肩を叩かれる。

「…セイカ、さま。」

 甘ったるい声が聞こえて、思わず目を閉じる。振り向きたくもなかった。後ろを向かずに返事をする。

「…いたのかよ」

「…ええ、わたくし、セイカさまを、お待ちしておりました…」

 顔が引きつる。全く気付かなかった。そういえば、いつものあの頭が痛くなりそうな香水の匂いがしなかった。いつもより息がしやすい。肺いっぱいに息を吸い込み、吐き出してからリエラの方を向く。

「計器、よく見てたな」

 ほんの少し目を細めて、口を尖らせるようにして彼女が言葉を紡ぐ。

「油断は大敵ですのよ、セイカさま…?わたくしだって、レーサーですもの。計器の視認性の重要性は、身に染みてわかっておりますわ…」

 リエラが優秀なレーサーなのは、グランプリ(ここ)でまだ参戦し続けられていることが最大の証明だ。生半可なレーサーはまずグランプリに到達することすらできない。できたとしても、今回のグランプリで起こったような人的異常(レーサートラブル)機体異常(マシントラブル)で振り落とされることもあり得る。そんななかで、彼女は準決勝まで生き残っているのだ。

 彼女に聞こえないように小声で呟く。

「…これで精神まともだったらな…」

「あらあらあら…わたくし、とっても()()()でしてよ…?セイカさま。」

「聞こえてんのかよ…」

 わざとらしく大声で返事をされたので呆れ返る。正気で相手にするだけ時間の無駄だ。整備士(メカニック)として向き合おう。

「他に異常は?」

 つ、と姿勢を正して表情を真面目なものに切り替えたリエラが淡々と答える。

「…申し上げましたように、エンジン部分の焼き付きと、ダブルスチールとコックピット、エンジンとコックピットとの接続部分、それぞれの傷みがございました。全てセイカさまがなさっていた改造の規格に合うように整備(メンテ)しております。」

「そう、ありがとう…報酬の話は誰かから聞いてるか?」

 目を見開いた彼女が、大袈裟に首を振る。

「そんな、報酬だなんて…!わたくし、セイカさまのレースのためでしたら、報酬なんて必要ございません…!」

 断ろうとする彼女を手を振って止めて、きちんと正面から向き直る。ここで流されてはいけない。

「整備士として、私は整備を頼んだ。お前…リエラだから、頼んだ…っていう、だけじゃない。報酬の授受はするべきだろ」

 困惑したような彼女の目を、ひたと見つめる。この前の夜とは立場が逆転したような錯覚をした。瞬きをしたリエラが、様子を伺うように口を開く。

「…では、本当に、よろしいのですね…?報酬を、セイカさまから、いただく、ということで…?」

「それでいい」

 即答したあとに気が付いた。この女、私から貰う、と言わなかったか。

「…法外な値段請求するなよ」

「そんなこと、決して致しませんわ…!わたくし…」

 そこで言葉が切られて、一歩、また一歩と私に近づいてくる。なんとなく不気味さを感じて後退ると、背中がカインのコックピットに当たった。

「…わたくし、セイカさまからいただけるものでしたら…」

 彼女のの両手が伸ばされて、身体を囲い込まれる。背中にはカイン、左右には腕、正面にはリエラ本人で逃げ場がない。

 恍惚とした表情を浮かべた彼女が、その艶やかな唇から言葉を零す。

「…全部、欲しいんですの…」

 突き飛ばそうかとも思ったが、レーサーとしてそれだけはやってはいけないような気がして、一瞬迷ったのが完全に悪手だった。鼻先が触れそうな程の距離まで顔を近づけられる。吐息がかかる。

「…報酬は、セイカさまを、一晩お借りすること…それで、よろしいですわね…?」

 有無を言わさぬ圧力がそこにあるのが、どうにも癪だった。なんとかして言い返す。

「…よろしくなんか、ねえよ…!」

 視線を交えたくは無かったが、姿勢の問題もあって彼女の顔以外に見るものが無かった。

「…そう、ですか………」

 そこで突然、彼女の胸ポケットから振動を感じた。

「まあ、なんて時機の悪い……」

 身体が解放される。文句を言いながらも端末を取り出すリエラの顔には、先ほどのような夜を彷彿とさせるような表情は浮かんでいなかった。そこには、レース直前の緊張で張り詰めたような顔があるばかりだった。

 その豹変について行けずに困惑していると、彼女から提案をされる。

「…それ以外の報酬があるのでしたら、わたくし、考えますわ…それでは、レースでお会いしましょうね…?セイカさま。」

 それだけ言って立ち去っていくリエラの後ろ姿を、カインに寄り掛かったまま眺めて、深呼吸をした。

 私もそろそろ控え室(ロッカールーム)へ行こう。エンジン部分の確認は手早く済ませなければ。


 エンジン部分のカバーを開けることは叶わず、外から眺めるだけで終わってしまい、想定より早く控え室に辿り着く。リュカの姿は見えなかった。ロッカーから新しく買ったグローブを引っ張り出し、左手に嵌めてみる。何度か握って開くのを繰り返して、違和感が無いことを確かめる。グローブを嵌めた手でロッカーの鍵などを触っていると、この前のものより少し薄手なように感じた。

 前に愛用していたものは廃番になっていたので、同じ会社のものを買ってみたのだが、もしかしたら規格が変わったのかもしれなかった。厚手になるよりも薄手になってくれた方が好都合だ。ハンドルから読み取れる情報が増える。

 今日のコースはどんなものだろうかと想像していると、喧しい声が聞こえてきた。

「セイカもう来てんの!?早くない?」

 すぐさま振り返って答える。

「この手じゃ整備どころじゃねえんだよ」

 そう言って軽く右手を振る。未だに包帯は取れていない。

「ふうん…」

 興味もなさそうに返事をすると、自分の鞄をロッカーにしまい込んで、またこちらに戻って来た。私のロッカーに一番近い椅子に座って、楽し気に端末を弄る。ロッカーの扉を閉めてその様子を眺めながら、最低限の連絡事項を伝えておく。

「絶対安静って命令は守った。そんで整備も完璧」

 多分、という言葉は飲み込んだ。計器も塗装もあれだけ元通りに直しているリエラなら、恐らく綺麗にカイン全体を修復していることだろう。

 リュカが端末から視線を上げて、挑発的な目でこちらを見つめる。

「従順じゃん、()()()()()。」

「…飼い犬に手噛まれないようにした方がいいぞ」

「はっ、それどっちの台詞?」

 口の端で私の忠告じみた非難を哂って、リュカはまた端末に視線を落とした。何か打ち込んだ後に、思い出したかのようにこちらを向く。

「今日、アンタと一緒に整備行くつもりだから。マジであの女信用できないし」

「珍し…そんなに警戒してんの?」

 手元から目を上げることなく、吐き捨てるように言い返される。

「アンタと違って、あの女に、ウチは敵対視されてんのに?よく言えるねそんなこと」

「悪かったって」

 リエラが私にだけ執着を示しているのは、いくら鈍感な私でも分かった。先ほどの、あれだけのことを言われればいやでも分かるというものだ。

「……今日のレース、無理しないでよね」

 先ほどまでのきつい口調とは打って変わって、物静かなトーンで告げられる。それをいつもの私たちらしい調子で笑い飛ばす。

「スズメバチが、女王蜂(クイーン・ビー)が、怖気づいてんなよ」

 端末を膝の上に伏せた彼女が、口の端をにんまりと吊り上げる。顎を引いて、綺麗なアイメイクを施された両目が、獲物を狙うような獰猛な目つきに変わる。いつもの、主運転手(メイナー)の、彼女らしい、不敵な顔だ。

「どの口が言ってんの?レース中にアンタがアクセル踏み抜けなかったら、後で殴り飛ばすから!」

 右手の人差し指を突きつけながら宣言される。そんなこと、するはずがない。こちらこそ同じ熱量で返すのが私たちの流儀だ。それが、私たちの礼儀だ。

「レース中に指示躊躇ったら、後で蹴り飛ばすからな」

「言っとけ!」

 ぞんざいな、それでいて明るい声で私の言葉をいなして、彼女は端末をジャケットのポケットにしまった。踵を返した彼女の後を追うように、ひらりとスカートが翻る。

「行くよ!」

「分かってる」

 私たちは、共にレース場へ向かった。


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