表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Drused Race  作者: 鈴生
グランプリⅢ
52/70

52. 掌握

 ようやく救護室から解放されて、私はリュカに肩を借りる形でガレージに向かうことにした。リュカには心底嫌そうな顔をされたが、どうしてもカインが心配でならなかったのでそれを押し切った。最初は自力で歩いて行くつもりだったが、どうにもふらついてしまって真っ直ぐ歩けないので、結局彼女の力を借りることになったのだ。

 ガレージに辿り着いてから、リュカを先に帰すことにした。結局カインを診ることができるのは私だけだ。あの整備士(メカニック)に任せたとしても、私でないと見つけられない異常もあるだろう。それに、目的は他にもあった。それを彼女に悟られたくはなかった。

 リュカは散々ごねたが、一緒にいたとしても何ができるのか、と問うと沈黙した。そこに畳み掛けるように、レース前に見ていた彼女の端末の画面を思い出して茶化す。

「彼氏とのディナー、いいの?」

 半笑いで告げてやった私の言葉を聞いて、彼女の右眉が器用に持ち上がる。口元が不満げに曲げられている。そんな態度を軽く笑い飛ばして、きちんと目を合わせて話しかける。

()()()()()、リュカ。」

 それを聞いて一瞬で真顔になった彼女が、壁に寄り掛かった私に向かって早足に突っかかってくる。女物の香水がほんのりと香った。

 そんな反応をされるとは想定外だったので、顎を仰け反らせる。

「どの口が言ってるわけ?2時間昏睡しといて!?右手は縫合手術しとして!!大丈夫とか!!舐めた口利くのも大概にしてよアンタ!!!!」

 張り手をされなかっただけマシかもしれない。待っていたのはとんでもない詰問だった。それでも、あれ以外に何を言えばいいのだろう。私は無事だった。彼女も無事だった。レースには優勝した。あとは私がカインを診ればいいだけの話だ。

 どうしても、私にはリュカの意図も感情も、読み取ることができなかった。激昂する彼女を目の前にしても、何に対して怒っているのかがわからない。

 なんだか手持ち無沙汰に感じられたので腕を組んだ。片眉を吊り上げる。

「グランプリ優勝するのに必要なこと言ってるだけなんだけど。そこまで言われる筋合いはないんじゃない?」

 浮かんだのは純粋な疑問だった。思いついたままにそれを口に出せば、彼女は眦を吊り上げた。両手が身体の横できつく握りしめられる。唇を嚙んだ彼女からは、怒鳴り声ではなく小さく掠れた声が聞こえた。

「…アンタ、おかしいよ………」

 目を眇めて、彼女の様子を伺う。彼女は何が言いたいのだろう。

「あんな、……あんなに、大怪我して……なのに、レースしか、考えてないって、アンタ、おかしいよ……」

 何か言葉を返すべきかと思ったが、何も思いつかなかった。肌を刺すような沈黙が落ちる。

 もう秋だ。日が落ちれば、それだけ気温も下がる。隣り合うガレージから漏れ聞こえる賑やかな話し声とは裏腹に、私たちの間にはひんやりとした風が吹き抜けていた。肌寒さを感じて、ブラウスの襟部分を左手で握りしめる。上着を取りに行ったほうがいいかもしれない。

 何も言わない私にじれたのか、リュカが口を開く。

「………アンタにとってのレースって、なんなの」

「私の全て」

 返事なんて、考えるまでもなかった。

 冷ややかな視線をこちらに向けながら、呆れ返った口調で彼女が告げる。その目を私は真っすぐ見つめ返した。

「あっそ」

 視線が外れて、カインの方を見やる。それにつられるようにして私も機体に目をやった。エンジンの下に、工具箱が見えた。箱の側面に貼られた薄気味悪いステッカーが、オイルか何かで黒ずんでいる。もちろん、私のものではない。

 それを気にする様子もなく、リュカはこちらに向き直った。ため息を深々と1つ吐く。顔を上げた彼女は、女王蜂(クイーン・ビー)に相応しい表情になっていた。不穏な笑みが口元に浮かぶ。

「それなら、副運転手(ツイン)として、主運転手(メイナー)のウチの言う事、聞けるでしょ?アンタ、レースが人生の全てなんでしょ?」

「そうだけど」

 何を言われるのかは見当もつかなかったが、彼女の言うことに異論はない。

「なら、これは、主運転手としての命令」

 彼女の目つきが、人の上に立つ者としての強い意志を湛えたものになる。両足でしっかりと立つ彼女に対して、私は壁に寄りかかって左足にだけ重心を掛けていた。リュカの威圧に少しだけ圧倒されて、こくりと喉が鳴る。

「アンタ、次のレースまで、()()()()整備(メンテ)も禁止。カインに触るのも禁止。」

「…あぁ?」

 反射で出た声に、自分でも驚いた。しかし、それを気に留めるでもなくリュカは笑みを深める。見ていて愉快になるような笑い方ではない。彼女の吊り上がった唇の両端が不規則にひくついていた。

「副運転手なら、主運転手の命令は絶対。アンタが言ったんでしょ?」

 鼻の横に皺が寄るのが分かった。舌打ちが零れる。

「……今はレース中じゃねえだろうが。()()()。」

「レースが全てなら、今だってレース中みたいなもんでしょ?()()()()。」

「…ッ、くそが……」

 身体の芯まで染み付いたレーサーとしての矜持と、どうにも抗いがたい自分の渇望とがせめぎ合う。頭では、リュカ…いや、()()()()の指示が合理的であることは分かりきっていた。もしここで怪我を悪化させたら、次のレースはない。それでも、カインに触れるくらいは許されるはずだ。

 私の長い思案の間も、彼女は口を挟まなかった。

 きつく目を瞑る。体重をかけていた足を組み替える。鎮痛剤がやっと効いてきたのか、右手を動かしても身体が竦むような痛みは走らなかった。ゆっくりと口から息を吐き出す。交渉が必要だ。少しだけ見上げる位置にある主運転手の両目を、下から覗き込むようにして睨みつける。

「命令には明日以降に従う。今日は従わない。レース後一回も自分の目で機体(マシン)の状態見ないのは、副運転手として耐えられない。それでいいか。」

 その選択は、私としての、副運転手としての、最大の妥協案だった。

 それを鼻で嗤って、主運転手は言った。

「自分がやりたいだけのこと、副運転手として主張するとか。どんだけ必死なの?」

 こちらは顎を引いて、相手の出方を見定める。続く言葉によっては、こちらも応戦するつもりだった。

「ふっ、いーよ。そんくらい。今日、どうせ何にもできないでしょ?」

 あっけらかんと告げられた回答に、拍子抜けする。瞬きを何度か繰り返して、問いかける。

「止めねえのかよ」

「言ったじゃん、今日何にもできないでしょ?そんな身体で。」

 あざとく小首を傾げた彼女に、挑発的な口ぶりで返される。壁にもたれかかったまま、自力で立っていることができない私の姿勢を、顎でしゃくられる。

 軽く唇を噛む。彼女の指摘は事実だ。

「じゃあ次のレースで。」

 短く別れの言葉を告げると、彼女は踵を返した。硬いヒールの音がガレージに反響する。それをぼんやりと見送りつつ、このあとどうするか考えていた。カインを診ると言っても、自力ではカバーすら開けられない。整備士に触られたところも確認したいが、どうするべきだろう。

 すると突然、ガレージのシャッターの下り口あたりで靴音が止まった。ガレージの前に設置された人工的な照明を背景に、彼女が半分だけこちらに顔を向ける。陰になって、その表情は一切読み取れなかった。

「ああそうだ、あの女に、よろしく。」

 今度こそ、靴音は遠ざかって行った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ