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スタートと同時にアクセルを踏み込む。瞬きにも満たないほどの寸の間に、副運転手のリュカはその判断を汲んで、きちんとついてきていた。ダブルスチールは無事だ。でもその彼女の判断の遅さが足を引っ張った。他の機体よりも私たちは出遅れていた。加速し続けて、観客の沸き立つ声が遠ざかっていく。いつもより、ハンドルから感じ取れる機体の感覚が軽い。副運転手が私の運転にある程度は遅れずについてきている証拠だ。絶対にこちらに視線を向けている訳はないだろうが、念のためハンドサインを出しておく。
『加速』
視線は前から外さず、右手だけ見えやすいように見せておく。しばらく直線が続きそうだった。意識を一瞬だけ右側に向ける。
リュカの左手が見えた。
『異常』
ハンドサインを形作った直後に、こちらを指さされた。心外だ。
視線を前に戻す。いつも通り初見のコースなので、まだ攻めたコース取りはしないでおく。少し先の方にカーブが見えた。なぜだか既視感のあるコースな気がした。いつのレースと勘違いしているのだろうか。
ここで急カーブを掛けるべきだろう。きっと、彼ならそうするはずだ。インコースを攻めて、他の機体の追従を許さなかった、あのトカラなら。
左手でブレーキを掛け始めながら、右手でサインを作る。
『左』
ハンドルに右手を戻す。いくら慣れていてもハンドル無しで運転するのは恐ろしい。ハンドルが制御しきれないくらいぐっと重たくなる。副運転手が反応しきれていないときの重さだ。
左手をブレーキハンドルに掛けたまま、右手を突き出す。
『左』
視線は前を向いたままだ。機体の感覚だけで副運転手の反応は分かる。ハンドル無しだと精度は少し落ちる気がするが。
身体の軸が右側に傾く感覚があった。確実についてきている。まさかついて来れるとは。クラッシュも覚悟の上だったが、案外何とかなりそうだ。
ハンドル無しで急カーブを曲がり切ったとき、右を見ると、リュカも左手を突き出していた。
『異常』
ハッ、とせせら笑うような声が口から零れ出た。元オフィシャル・レーサー様はご立派な思想をお持ちのようだ。
そのまま最下位でゴールインしたあと、自棄になっていた私はサインなしで急ブレーキを掛けた。耳を劈くような金属音が鳴り響いて、ダブルスチールが見事にへし折れる。
ゴールインした後の機体異常だからリタイアにはならない。別個に分かれてしまったコックピットが、エンジンと繋がる金属パイプから切り離されまいとのたうち回る。前のめりになりながらも、エンジンと切り離されると浮力装置も切れてしまうため、何とかして姿勢を立て直そうとする。
浮力装置が切れたらこの重たい機体と共に地面に衝突してレース中でもないのにクラッシュだ。運転していない今は、このまま地面とクラッシュすれば死は免れない。それだけはどうしても避けたい。
メインハンドルを握りしめて必死に操作する。副運転手のことなど気にする必要は無い。ダブルスチールが折れている今となっては、気にしたところでどうしようもない。辛うじて地面と並行になったタイミングを見計らって、エンジンスイッチを下げた。普段よりも強い衝撃を感じたが、五体満足だ。しかし、機体は寿命を迎えていた。ダブルスチールが完全に破損した機体は、もう修理することは不可能だ。もう廃棄品にするしかない。コックピットから降り、表彰式と沸き立つ観客をよそに、私は動かなくなった機体をずっと撫でていた。




