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Drused Race  作者: 鈴生
グランプリⅢ
48/67

48. 第3回戦・Ⅲ

 渓谷の幅は少しずつ広くなり、いつの間にか機体(マシン)を地面と水平にできるほどになっていた。眼下に広がるエメラルドグリーンの水面が、夕陽を受けてきらきらと光っている。ごつごつとした巨石はほとんど見えなくなり、水の流れも穏やかになった。カイン1200のエンジン音以外何も聞こえないほど、静謐な空間が広がっていた。

 身体にかかる重力の向きが普段と同じに戻ると、先ほどまでの気が触れたような笑いは収まった。イヤホンをオンにして、リュカとの意思疎通を試みる。大声で笑っていた間に何か言われていたらと思うと、少しだけ気が重かった。

「…リュカ、このあとどうなると思う?」

 返事は無かった。彼女もイヤホンを切っているのかもしれなかった。それにしても、このまま渓谷を下り切ったとして、どうやってレース会場に戻るのかなんて見当もつかなかった。あれだけの高さを落下してきたのだから、まだどこかで同じ高さを上らなければいけないはずだ。

「……リュカ?」

「聞こえてる!さっきからそれずっと考えてんの!!」

 念押しにもう一度彼女に呼びかけると、苛立ちを隠しもしない声が聞こえてきた。私が笑っている間にも、彼女はずっと思案に耽っていたらしい。それを知ってどこか安堵した自分がいた。

「アンタも何か考えてよ!!!このままここ下り続けるわけないでしょ!!??」

「…わかってる」

 彼女の言われずとも、このあとのルートについてはある程度考えをまとめていた。視界を飛ぶように過ぎていく穏やかな川の流れと、見事に紅葉した木々に、水面に作り上げられた錦模様。機体の起こす強風が、色付いた葉と静かな川面を煽っては吹き飛ばして、煌びやかなその錦を見るも無残にかき乱していた。

 機体さえ、このレースさえなければ、息を飲むほどに風流な景色だったろう。ともすれば観光客が山ほど押し寄せるのではないだろうか。

 そこで嫌な考えが脳裏を過った。視線を下の雅な景色から引き剥がして斜め上を見上げる。目的は、下流に潜む人工物だ。それこそ、レースを過熱させるために設置されるような、何かを探しているのだ。

 ずっと先の方に、糸のようなものが横切っているのが見えた。

「ねえあれ何!!??」

 リュカの劈くような声が聞こえた。いっそ悲鳴に近い。それでも彼女は速度を緩めることをしなかった。両手で握るハンドルが、それを明瞭に伝えていた。

 目を細めて、糸のような何かを見つめる。近づけば近づくほど、それははっきりとした形を持って私たちの前に現れた。

「…あれ吊り橋だ!!人乗ってる!!」

「信ッじらんない!!!なにそれ!!??」

 ずっと見えていたそれは、柔らかく撓む吊り橋だった。金属製の頑丈そうなものではない。きっとワイヤーで作られているのだろう。そこに、数えきれないほどの観客がいた。橋が撓んでいるのは、その材料の柔軟性によるものだけではない。人の重さがかかっているのだ。

 慌てて周囲に視線を配る。視界の端、吊り橋の真下辺りに設置された粗雑な看板の矢印が、コースの方向を指し示していた。

 矢印は、真上を向いていた。


「最ッッ悪!!!」

「くそったれが…!」

 言葉は違ったが、彼女と同じタイミングで悪態を吐いた。もちろん運営に対してだ。観客の命をも巻き込むレースなど正気の沙汰ではない。万が一ここで私たちが判断を誤ってしまったらなんて、その先は考えたくもなかった。

 吊り橋はほぼ目の前まで迫っていた。ここから急上昇するのは不可能だ。直角に登ることに、この機体は特に向いていない。それでも、ここで上がらなければコースから外れてどこに進めばいいのか分からなくなってしまう。思考だけが脳を滑る。ハンドルを握りしめる。彼女は、どうするだろう。主運転手(メイナー)の指示を、仰がねば。

「…リュカ!!!」

「…ここ一本見送って!!そのあと上がる!!」

 返事の代わりに、目の前に意識を集中させる。今この一瞬だけは、瞬きですら惜しい。吊り橋が頭上に差し掛かる。機体が持ち上がるのが感じ取れた。右側から指示が聞こえる。

「上げて!!!」

 声を聞くよりも先に、機体の向きは変えていた。力一杯握りしめたハンドルを、上向きに変える。機体が上を向いて持ち上がる。少しずつ背中と頭が強くシートに押し付けられて、内臓を圧迫されるような感覚を味わった。

 そのまま緩い曲線を描いて、私たちは渓谷から抜け出すつもりだった。


 高度を上げた先にあったのは、もう一本の吊り橋だった。先ほどの吊り橋の陰になって、見えていなかったのだ。

 そこにも大勢の人が乗っている。

 もっと、急上昇しなければ。


 そう思ってハンドルを握る右手が、急に滑った。慌てて掴みなおそうとしても、ぬめってうまく掴めない。

 息が、止まる。

 身体のバランスが崩れた。シートに押し付けられた身体が、うまく言うことを聞かない。ハンドルを握る手は、左手だけになっていた。右腕を持ち上げたくても、持ち上げることができない。運転がままならない。もう一本の吊り橋が近づく。観客の顔に浮かんだ驚愕と、恐怖の表情が読み取れるようだった。


 イヤホンに向かってあらん限りの声で叫ぶ。

人的異常(レーサートラブル)!!!!!」

 リュカの返事は、なかった。


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