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Drused Race  作者: 鈴生
グランプリⅢ
46/70

46. 第3回戦・Ⅰ

 第三回戦の前になって控え室(ロッカールーム)で会ったリュカは、前よりもいくらか憔悴しているように見えた。服装もいつもほどの派手さがない。普段のような生足ではなく黒いタイツに、チェック柄のミニスカートにシンプルなニットが合わせられていた。靴も踵の低いハイカットブーツだ。端末を弄るその表情も、どことなく沈んでいた。

 彼女の前に立ち、視線がこちらに向けられるのを待った。1回、2回、3回、とゆっくりと呼吸をしても、彼女の顔が私の方に上がることはなかった。痺れを切らして、こちらから声を掛ける。

「リュカ」

 名前を読んでも、端末を弄る手は止まらなかった。画面をスワイプしては数秒眺め、またスワイプする。

「…リュカ」

 スワイプする手が止まる。視線は画面に向けられたままだ。

「もう整備(メンテ)、終わってる」

 顔を上げないまま、リュカは口を開いた。立ったままの私から、椅子に腰かけている彼女の端末の画面はよく見えていた。そこには照明を絞ったレストランの風景が写っている。宣伝なのか、画面端に「カップルにおすすめ!」という文字が点滅していた。

「…あっそ」

 私の視線に気付いていたのかいないのか、彼女は端末の画面を暗くしてニットのポケットに乱暴にしまい込んだ。そのまま言葉もなく立ち上がり、控え室を出て行こうとする。ちょうどそのとき髪の長い痩身の女性が入ってきて、下ばかり見ていたリュカとあやうくぶつかりかけた。

 入って来た女を見て、私は息を飲んだ。

「あら…ごめんなさいね、前をよく見ていなくて…お怪我はありませんこと?」

「え、ああ…はい、大丈夫、です…すみません…」

 驚きつつも、リュカは途切れ途切れに返事をしていた。けれど、そんなのは耳に入らなかった。あの女の視線はリュカを見ているようで、その後ろにいる私に注がれている。右手を包むように、隠すように、後ろに回して左手で掴む。治り切っていないあの夜の傷が疼くようだった。

「まあ、それならよかったですわ…!でも、どうか、ご注意くださいね…レース中も、()()()()も…」

 一番最後に付け加えられた言葉は、明らかに私に向けられていた。女の目が、控え室の蛍光灯の光と、射し込む夕陽とで怪しく輝いて見えた。

 雰囲気に飲まれているのか、頷くことしかできないリュカの方を向いて、少し屈みながらも女は口を開いた。リュカと視線を合わせて、さながら呪いの言葉のように、レーサーなら誰でも口にする祝詞を紡ぐ。

「それでは、ご武運を……お互い、全力でぶつかりましょうね…?」

 今すぐリュカの腕を掴んでレース場に向かいたかったが、足が動かなかった。その女の言葉に、雰囲気に、飲まれてはいけない。

「あ、はい…リエラさんも、ご武運を…」

 なんとか絞り出したかのようなリュカの声が、聞こえた。女は、リエラというのか。前のレースで聞いたはずだが、思い出せもしなかった名前だった。リエラは目を細めて、柔らかな笑みを浮かべると姿勢を元に戻して私の方に近づいてきた。

 リュカは私の様子も気に留めず、そのまま部屋を出て行った。扉が硬質な音を立てて閉まる。その後ろ姿を視線で追うことしかできなかった。その視線を遮るように、リエラが私の前にやってくる。

「この前の夜ぶりですわね、セイカさま。お元気でして…?」

 甘い香水の香りがした。背中で掴む左手に知らず知らずのうちに力が籠る。奥歯を噛み締める。どの口が、そんなことをのたまうのか。

「元気なわけねえだろ、リエラ」

「あらあらあら…!お名前、思い出してくださったのですね…!わたくし、天にも登る心地ですわ…!」

「誰が思い出すかよ、さっきリュカが言ってたからだ」

 吐き捨てるように告げる。リュカの名を口にした途端、喜色満面だったリエラの顔色が一瞬にして表情を失った。

「セイカさまは、リュカさんに、囚われておいでなのかしら…でも、わたくしよりも良い成績を残していらっしゃるバディですものね…執着ではないのかしら…」

 ぶつぶつと何かを言っているのが聞こえたが、無視して部屋を出て行こうとすると、背後から言葉を投げかけられる。

「整備は、あまりなさらなくても良いように致しました…ご確認いただけましたこと…?」

 機体(マシン)の整備についての話か。それについてなら、きちんと向き合って話すべきだろうと判断して溜息をつきつつ振り向く。

「見た。よくやってくれたな」

「セイカさまから、そのようなお言葉なんて…!わたくし、お褒めにあずかり光栄ですわ…!」

「褒めてんじゃねえよ、よくあそこまで弄ってくれたなっつってんだよ」

 口元に手を当ててくすくすと含みのある笑い声を上げながら、リエラは屈むことなく私と視線を合わせた。私が見下ろされるような形だ。

「セイカさまのカイン、暴れん坊で大変でしたのよ…?」

 舌打ちを零す。心底癪なことに、リエラの整備は丁寧だった。今朝早くからカインの整備をしたが、損傷はほとんど修復されていた。緩みも傷みも見られない、まるで整備士(メカニック)に任せたときのような状態になっていた。しかも恐ろしいことに、私が弄って魔改造を施してめちゃくちゃにしたエンジン部分周辺ですら、私がやったときのように整備されていた。

「二度とうちのカインに触れんな」

 目を細めて、リエラは軽薄な笑みを浮かべた。

「ふふふ…」

 咄嗟に警戒態勢を取るような笑い声が聞こえた。

「…そう言っていられるのも、今だけでしてよ…?」

「…またなんかしやがったのかよ…!」

 リエラの反応を見ることもなく、控え室を飛び出す。リュカは随分先に行ってしまっていた。レース場の騒音と、眩しいくらいの外からの光が指すレース場に向かって歩みを進める彼女に、必死の思いで追いつく。

「…っは、はあ、リュカ、待って、カインが…」

 わざとらしく溜息をつきながら、足も止めずにリュカが返事をする。

「なに?整備終わったんじゃないの?」

「違う、リエラ、あいつが…!」

「はあ?なんか失敗した言い訳?聞きたくないんだけど」

 私を冷たくあしらって、彼女はどんどん先に進んでいく。レース場の出入り口の一番奥、実況解説の席の真下にカイン1200は停めてあった。つかつかと足早に歩いていくリュカに、息を切らせながらもなんとか追いついて、そのままコックピットに乗ろうとする彼女を引き止める。

「はあ、いいから、ちょっとだけ、確認、させて、」

 彼女の眉間に深い皺が寄せられるのが見えた。明らかに不満げな顔をしながらも、渋々といったように足を止める。

「アンタがそんだけ言うなら、ちょっとだけ」

 返事をする余裕はなかった。エンジンの接続部分とダブルスチールをざっと見て回る。私がカインから目を離したのは、レース場にカインを移動させた後に控え室に行ったときだけだ。その短時間で、このレース場で細工できる部分があるとすれば、外部に晒されているこの周辺だけだと当たりをつけた。異常は見られない。素手のまま接続部分のナットやチューブに触れる。おかしな感覚はない。確認をしている間に、上がっていた息は整っていた。

「ごめん、大丈夫。考えすぎだった」

「…アンタ、リエラさんとなんかあるわけ?」

 私の確認作業を横で見ていたリュカに話しかけられた。視線が交わる。今日の彼女ときちんと会話ができたのは、これが初めてだ

「…リュカと再会する前に、あの女…あの人がメイナーでバディ組んで出場して3位入賞した。レース後に夕飯誘われたから、顔だけは覚えてた」

 私の答えを聞くと、リュカの顔が引き攣った。

「アンタ、もうちょっと周りのこと見た方がいいよマジで…あの人に誘われるとか、アンタに執着してる以外の何者でもないじゃん…」

 考えたくもなかったが、その可能性だけはずっと脳裏に浮かんでいた。自分で否定し続けていたが、とうとうリュカに言われてしまったのでは、現実と向き合うしかない。

「最っ悪……」

 それ以外の言葉は見つからなかった。

「リエラさんに、カイン触られたの?」

 鋭い目付きをしたリュカに訊ねられる。視線を逸らそうとするが、それは叶わなかった。そのまま黙って頷く。項垂れることもできない。

「整備してんの、アンタでしょ?あの人に触られるとか何考えてんの?今日のレース、何も信じられないじゃん!」

 観客の前でも容赦なく詰られる。触られてしまったのは事実なのだから仕方ない。私に事情があったとしても、ここでそれを言うのは本当に言い訳にしかならない。黙ったまま叱責を受ける。

「…ごめん、もうさせないから」

「当たり前でしょ?何言ってんの?もういい、いいから早く乗って!」

 副運転手(ツイン)のコックピットに追い立てられる。コックピットに乗ってしまえばあとはいつものルーティンをこなすだけだ。コース取りも何もかも、リュカに任せればいい。私は彼女の判断を読み取って返すだけだ。

 周辺機器を確認していると、イヤホンを二度叩かれる。言葉はなかった。


 信号(シグナル)が3つ、2つ、1つ。

 それが消えると同時に旗が振り下ろされる。

 レースの、始まりだ。


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