41. 第2回戦・後
レース会場に飛び込んで、真っ先に目に入ったのは煙だった。
エンジンを蒸かしたときのようなものではない。煙幕に等しいほどに、視界を全て奪う白い煙だ。視界の全てが白で覆われて、方向感覚が狂う。真っ直ぐに走っているはずなのに、今どこに向かって運転しているのかが分からなくなる。メインハンドルを握る手がブレる。その奥で、アクセルが緩められたのを感じ取った。このまま運転し続けるのは危ないと判断しそうなほどに、真っ白な煙幕だった。
勘と勢いだけを頼りに突っ切って、セカンド・ラップに突入する。スクリーンは見ることができなかった。先ほどの坂で追い抜いたはずの、後続のイヴのエンジンの重低音が聞こえてきていた。眉を顰める。どうなっているのだろう。何が起こっているのだろう。
右から激しく咳き込む声が聞こえた。リュカはどうやらあの煙を吸ってしまったらしい。私は知らず知らずのうちに止めていた息を吐き出した。息が苦しい。目に先ほどの煙が染みるのか、瞬きが止まらない。うまく前に焦点を合わせられない。
私が息を整える間にも聞こえ続ける、彼女の止まらない咳の音に少し不安が募る。
「大丈夫?」
速度を少し落としていたのもあって、大声を出す必要は無かった。
「っげほ、へいっ、き、けほ」
一応無事ではあるらしい。どうしても視界が滲むので、強く瞬きをしてそれを追い出す。機体はふらついていた。主運転手も副運転手もこの状態だ。普段であれば人的異常を申告していたかもしれない。
それでも、気を抜くわけにはいかなかった。ずっと後ろから追い立てるかのようにイヴのエンジン音が聞こえ続けていた。そろそろ最初に妨害をしかけたあの砂利道に差し掛かるだろう。瞬きを繰り返しつつも、正面を見据える。少し下って行った先に、コースを指し示すための看板が土砂に埋もれているのが見えた。
「上手くいったな」
「なに?、げほっ」
未だに咳き込む声は続いていたが、会話はできるようになったらしい。先ほどの妨害を仕掛けたことを忘れたのか。
「土砂崩れだよ」
「はあ!!!???けほっ、けふ、」
先ほどまではなだらかに描いていたあの傾斜が、見るも無残に崩れて歪な様相を呈していた。斜面の凹凸に沿って機体の向きを上下させながら、落としていた速度を取り戻していく。リュカの咳き込む声はやっと途絶えていた。
後ろでイヴが高度の乱高下に耐えられずに機体を地面にぶつけるような音がしていた。何度かそれが聞こえたあと、諦めたかのように高度を上げて進むことに決めたらしい。音が止んだ代わりに、高い位置からあの重低音が聞こえていた。
それでも、ここから追い抜くことはできまい。なぜなら、この先にはあのヘアピンカーブが待っている。ここでイヴが私たちを追い抜いたとしても、あのカーブでまた衝突だ。うまくやればクラッシュさせられるかもしれない。それもいい、とどこかで思った。
土砂崩れになっていたあの道なき道を通過して、カーブに入る。ファースト・ラップと同じように遠心力でインコースに回り込む。イヴはついて来れていない。今のうちに距離を稼がなければ。カーブの先には、あの落石の現場が待っている。正直言ってあそこを通りたくはなかったが、他にルートがない。メインハンドルからもその躊躇いが感じ取れた。しかし、それを叱咤するようにアクセルを踏み込む。きっと内心で怯えている彼女に付き合う暇なんてありはしない。
金属ネットが破断したあの場所は、惨憺たるものだった。先ほどの私たちが引き起こした土砂崩れなんて、これに比べたら可愛いものだ。焦げ臭いにおいが鼻について、下の方に視線をやれば、運悪く落石に直撃した機体が崖下で燻っているのが一瞬だけ見えた。レーサーは無事だろうか。考えても仕方のないことだったが、どうしてもそれが脳裏を過る。私たちがああなっていたかもしれないと思うと、余計にそう思ってしまった。リュカからあれは見えないだろう。見えなくて良かったと思った。
後続のイヴもずっとついて来ている。しかし何も躊躇することなく、先ほど通過したあの切通しに向かっていく。先ほどよりも陽が傾いて視野はもっと悪くなっていたが、そんなことでアクセルを緩めるわけにはいかない。私たちには優勝がかかっているのだ。リュカの速度も緩んでいなかった。彼女も同じ思いだろう。
登坂も先ほどの機体の重さを計算したうえで登り切って、セカンド・ラップは終了した。会場でまた同じような白煙に包まれることを危惧していたが、今回はそれは起こらなかった。警戒しただけ無駄だったかもしれない。それでも、空気が少し目に染みた。まだあの煙が残っているのかもしれなかった。
そうして、私たちは第2回戦も優勝した。コックピットから降りると、やはりレース前のような観客の異常が見て取れた。普段なら優勝した機体に対して喝采や歓声や声援が飛んでくるものだが、今回は違った。実況解説の囃し立てる様子も聞こえない。
「なにあれ、カンジ悪…」
リュカが顔を顰めて観客席の方を見ていた。今日に限っては、ブーイングの方が多いくらいだ。どれだけ観客に興味のない私でもそのくらいわかる。
「…ギャンブルに負けたんじゃねえの」
ブーイングの声で、私の声が掻き消されないように彼女の近くに行って話しかける。こちらの会話を聞かれたくはなかった。あの様子だと、無防備な今の私たちに何をしてくるかわかったものではない。
実況解説の席のすぐ隣に、観客が総立ちになってよく目立つ集団が見えた。注視し続けると、何かこちらに投げつけてくるような動きが見えた。目を細めて何をしようとしているのか見ていると、何か球体のようなものがレース場に投げ込まれた。その瞬間に、後ろを追ってきていたイヴがちょうど到着した。
目を見開いたのは一瞬だけだった。息が止まる。何も告げずにリュカの腕を引っ掴み、選手用出入り口に向かって走る。
「急になに!!??」
「いいから走れ!!!!!」
レース中よりも心臓を握りつぶされるような緊張感が襲う。パニックになりそうだった。出入口まで走り込んで、その奥まで彼女を追い立てる。控え室にまで入って扉を閉めてしまえば、一旦の安全は確保されるだろう。
「っ、なんなの!!??」
「あれ、…はぁ、発煙弾かなんか、だと、思う…」
息が上がっている。肩を上下させながらも考える。思い当たるものはそれしかなかった。観客が投げ込んだ球体。視界の一切を奪う白煙。
「しかも、改造してるぞ、たぶん」
ただの発煙弾であれば、煙が出るだけだ。しかし、運転中のリュカが咳き込んだように、私の目が妙にしみて痛かったように、恐らく催涙弾としての側面も掛け合わせているはずだ。何が狙いなのだろうか。
「えなに、じゃあ、ウチら目掛けてあんなもん投げ込まれたの!?そんなの許されるわけないじゃん!!」
許されるか否かなんて、愚問だ。
「……観客がやったんだ、許されるに決まってんだろ」
ここは、ルール無用のドルーズド。
ルールを決めるのは、観客だ。
唇を噛み締める。きつく目を瞑る。目を開けて、上を向いて息をつく。まさか、こんな妨害があるだなんて。あまりにも、卑怯ではないか。実況解説が黙っていたのはそのせいだろう。きっと、観客を焚きつけたのだ。私たちが知らない間に、私たち以外が勝つように仕向けさせたのだ。そして恐らく観客たちが賭けた本命は、あの二着のイヴだ。きっと、とんでもない額が、私たちの与り知らぬところで動いている。それを想像して、背筋が冷えた。
ここは、人間の業を煮詰めた、ドルーズドのグランプリ。それを、甘く見ていた。
リュカも私も、言葉が続かなかった。俯きがちな彼女と、天井を仰ぐ私とでは、視線が噛み合わない。このままでは、次のレースで何か起こってもおかしくない。口を開くのも億劫なくらいだったが、何とかして言葉を紡ぎ出す。
「……整備、来る?」
視線をゆるゆると持ち上げた彼女と、目が合う。その瞳にいつものような覇気はなかった。
「……見るだけ」
軽く何度か頷いて、ロッカーに飲み物を取りに行く。少しだけ冷えた麦茶だ。ぬるいよりはマシかもしれない。椅子に深く座ってすべて飲み干す。やっていられない気分だった。




