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エンジンスイッチを上げる。地響きのような音がして、骨の髄まで揺れる様な振動が、二つのコックピットの中央から伝わってきた。
そこで微かに聞き慣れない軋み音が聞こえた気がして、咄嗟にエンジンのある方を見やった。コックピット同士とエンジンを繋ぐ、中央のダブルスチール―二本の金属製シャフトのことだ。それが、見たことのない波状に撓んでいた。なんとなく嫌な予感がした。それでも目の前のレースに集中しなければいけない。油断は命取りだ。
できるだけ会話はしたくなかったが、リュカに渋々話しかける。浮力駆動音とエンジン駆動音の両方でもうほとんど声なんか聞こえやしないのは分かっていた。そのため、事前に連絡してあったハンドサインで話しかけようと試みたが、彼女はこちらを見ていなかった。手元や足元を見ながら口元が忙しなく動いているのは見えたので、何か言ってはいるのだろう。おおかた文句だろうが。声が届かないこの状況では、こちらに注意を引く手段も存在しない。
あらん限りの声を出して話しかけようかと思ったが、止めにした。あんな女、どうせ二度とバディになることはないのだ。機体異常が原因でクラッシュする羽目になっても知らないことだ。私だけ生き残ればいい。
諦めて信号をぼんやりと眺めていると、リュカの声がうっすら聞こえた気がした。何か言っているようだった。仕方なく視線を右側に投げる。すると、明確に彼女は私に向かって話しかけていた。
連絡していたハンドサインで、こちらに意思疎通を取ろうとしている。
『異常』
そのサインを形作った右手と共に、左手がダブルスチールを指す。
そんなことは分かっている。
知っている、という意味のサインは想定していなかったので、おざなりに返事だけしておく。
『続行』
彼女の両目が信じられない、とでも言わんばかりに大きく見開かれた。まだ何か言い募ろうとしているのを、その手の動きから読み取り、もう一度右手でサインを作って右側に見せつける。
『続行』
何年も副運転手を務める彼女は分かっているはずだ。例え何があろうとも、コックピットに乗り込んだその瞬間から、主運転手の決定は例え天地が覆ろうともひっくり返らないことを。
憎々し気に口元を歪めて、彼女は前に向き直った。口元はまだ動き続けていた。そんなに文句があるのだろうか。
溜息をつく。これなら、他に応募してきていたそこそこの成績を上げていた男の副運転手を選ぶべきだったかもしれない。
次の副運転手を誰にするか考えながら、意識を前に集中させる。今回のレースは全機体が横一列に並んでいるため、初速から本気で飛ばしても何ら問題なさそうだった。懸念があるとすれば、リュカがついてこれるかだけだった。副運転手の判断が一瞬でも遅れれば、ダブルスチールが完全に折れてリタイアとなってしまう。下手すればクラッシュで命取りだ。クラッシュだけはどうしても避けたかった。命を落とすことは私の技術をもってすれば避けられるだろうが、怪我をすれば長いこと機体に乗れなくなってしまう。
コースの想定をしながら、どのようにコースを攻略するか思考する。急加速と急停止、急カーブに彼女はついてこれるだろうか。一度試しても良いが、失敗したらリタイアになりかねないことが一番恐ろしかった。
唯一、まともな成績を残すことができた、一番最初の副運転手とバディを組んで運転したコースを思い出す。初心者向けだったのもあったが、緩急が緩やかで運転しやすかったことを覚えている。あのくらい楽だったらいいのに、と現実逃避に耽った。
ブザーが鳴り響く。
信号を見つめる。
信号が3つ、2つ、1つ。
それが消えると同時に旗が振り下ろされる。
レースの、始まりだ。




