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いつもと同じ、誰もいない控え室。私とリュカは、同時に戻っていた。期待の新星の初優勝ということで、あれこれインタビューが待ち受けていたのだ。いささかくたびれてしまった。早く帰りたい気持ちでいっぱいだったが、機体を回収しなければいけない。その前に整備だ。うちのカイン1200なら、何の問題もないだろうが、やはり確認はしておきたかった。
疲労でいっぱいの私に対して、リュカはいっそ異様に元気だった。レース前よりも表情が生き生きしている。頬が紅潮したままだ。スキップしそうなほど軽い足取りの彼女を、這う這うの体で追っていく。人前に立つのは嫌いだ。
リュカが扉を開けてくれたので、先に控え室に入る。部屋の中は涼しく適温になっていた。先ほどまで誰かいたのかもしれなかった。ロッカーから水を取り出して一気に煽る。喉をぬるい液体が伝っていくのが分かった。温度なんてこの際気にしていられない。立ったまま、ボトルを一本飲み干した。
口元を乱暴に拭って、リュカの方を振り返る。彼女も同じように水筒を煽っていたが、その動きはどこか品が漂っていた。飲み終わったタイミングを見計らって、声を掛ける。
「あんな運転することにしたんだ」
目をしばたたかせた彼女が、得心がいったように頷く。
「ああ!うん!あれが一番楽しいもん!」
どこまでも何の屈託も無い笑顔だった。しかし、瞳は雄弁だ。煌めく両目だけが、どことなく不安げに見えた。
「…まだ怖いの」
聞いてはいけないことかもしれなかったが、問いたかった。今日のレースは、私にとって最高のレースだったけれど、彼女には違ったのかもしれない。それが、恐ろしかった。
口元に浮かべられていた、完璧な笑みが翳る。視線が俯く。
「……ちょっとだけ」
それが聞けただけで、私は満足だった。
「…そう、そのうち慣れるよ。ほらもう帰んな。私は整備して機体持って帰るから。」
ぶっきらぼうな言い方になってしまったかもしれなかったが、これでも気を使ったつもりだった。きょとん、とした表情を浮かべていたリュカが、少し吹き出す。
「ふは、アンタそんなこと言えるんだ。」
先ほどとは違う、ほんの少し安堵したような笑みが浮かべられた。その方が、彼女の顔立ちにはよく似合っていた。ロッカーから小さなリュックを取り出しながら、彼女が何か鼻歌を歌っているのが聞こえた。気分がいいのだろう。弾むような足取りで、扉に向かっていく彼女を、ツールケースを持って追う。
「じゃあまたね!!セイカ!!!」
「うん、また今度」
そういって、出口とレース場の二股の分岐路で、私たちは分かれた。
翌日に出回ったゴシップ誌の見出しには、私たちのことが載ったらしい。リュカからの連絡で知ったことだ。どうにも、文言がすごい、らしい。そこまでは教えてくれなかった。
後日知り合いのレーサーに冷やかされた。
「よお、スズメバチの女王蜂。下剋上担当も大変だな?」
少し頭に来たので、次のレースで本気で潰しにかかったところ、彼らの乗る機体をクラッシュさせかける羽目となった。そんなに酷いことはしていないはずだ。粉塵爆発なんてしていない。少し水を引っ掛けてやっただけだ。
手段も場所も相手も選ばずに、優勝だけを目指して駆けていく黄色と黒のカイン1200は、あっという間に有名になった。次から次へと機体に機体異常やクラッシュを引き起こすおかげで、他のレーサーたちからは恐れられるようになった。それと同時に、昔からドルーズド・レースを見てきた観客からは、昔のレースに戻ったようだと称賛された。そこそこの成績を上げていたレーサーも機体も全て下し、私たちは出場するレースすべてで優勝を掻っ攫って行った。
塗装のおかげか、成績のせいか、私たちは名実共にスズメバチとなった。




