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次の日は、気持ちいいほどの快晴だった。空には雲一つない。昨日は結局、日付が変わるまで機体の塗装をする羽目になり、朝は起きるのが遅くなってしまった。それでも問題はない。基本的にレースが開始するのは夕方からだ。起きて支度をしてから、倉庫に向かう。日の光が窓から射し込んで、塗られたばかりの機体を照らしていた。
黄色と黒のコントラストも鮮やかに、機体は鎮座していた。リュカの指示通り、コックピットは黒に、エンジン部分は黄色にしたが、詳細は言われていなかったので少しだけ縞模様を混ぜた。より本物のスズメバチらしい色合いにするためだ。丸みを帯びたコックピットが、ほんの少しザラついた黒に輝く。差し色のオレンジがかった黄色が、その存在を主張する。エンジン部分は、明るく艶やかな黄色と、コックピットに使った黒が交互に存在する。エンジン後部が少しだけ尖った形をしているので、よりスズメバチの胴体部分らしくなったのではなかろうか。ダブルスチールとチューブはそれぞれ、コックピットで使った差し色の黄色に塗り上げた。
一歩引いて、機体を眺める。見れば見るほど、スズメバチのように思えてならなかった。昆虫の中の王者。生きとし生けるものに危険をもたらす、災厄の蜂。
ふ、と笑みが浮かぶ。スズメバチの、女王蜂。私たちは、それに、なるのか。
副運転手のコックピットの塗装を撫でる。荒い粒子の感覚が、指先に伝わった。目を閉じる。あの興奮を、思い出す。頭の芯まで焼け切れそうな、暴力的なまでの興奮。手のひらをコックピットに強く押し付ける。
あなたは、ついて来れるの。
手を横に滑らせる。ざらざらした感覚が、痛かった。問いかけるのは、間違いだ。
乗りこなして見せる。
手を滑らせても、手のひらは、もう、痛くなかった。
いつものように、レース開始前に控え室でリュカと落ち合う。彼女の服装は、やはりいつものように、スカート姿だった。カーキのプリーツスカートに、リンガーTシャツ。足元は珍しくハイヒールではなく厚底のサンダルだ。中央の椅子に堂々と腰かけて、端末を楽し気に弄っている。
そこに、わざと足音を立てて近づく。私もいつもの服装だ。最終整備は終わっていたので、レース用の作業用パンツに着替えた。上は半袖の黒のブラウス。もちろん靴はドライビングシューズだ。
目の前に立つと、リュカの視線が端末から上がった。
「…だっさ」
「いつものでしょ」
聞き覚えのある台詞だった。これが、彼女なりの距離の縮め方なのかもしれなかった。
「もうちょっとおしゃれしたら?」
椅子から立ち上がり、近づかれる。びくりとして身体を引くと、彼女も身を引いた。
「また油の匂いするし…」
「さっきまで整備してたんだから当然でしょ」
やれやれと言うように頭を振りながら、彼女が先にレース場に向かっていく。それを追うように足早に向かおうとすると、彼女が少し歩く速度を落とした。
横に並んで歩く。丁寧にメイクをされて、美しく彩られた彼女の横顔が見えた。コンクリートが剥き出しの会場内には不釣り合いなほどに、華やかな顔立ちだった。
「レースなんだから、もうちょい目立った格好すればいいのに」
きちんとこちらを向いて話しかけられる。私は好きでこの恰好をしているのだ。別にこのままでもいいだろう。あと服装に興味はない。
「観客に見られるためにレースしてないし別に…」
心底興味の無い声が出た。白い目で見つめられる。
「だから女っ気ないんじゃないの?」
「…どうでもよ……」
軽口を叩いていれば、レース場はあっという間だった。
スタートラインの一番端に、私たちのカインは鎮座していた。いっそうるさいほどの色合いをした機体を見て、リュカの顔が喜色満面に彩られる。
「やっっっば!アンタ最高!まじでこれ!!このイメージ!!!」
楽し気に機体を見て回っている彼女を放置して、私はコックピットに乗り込むことを提案した。のんびりしている暇はない。これでもかなり控え室を出るのが遅くなってしまったのだ。
「乗らないの?」
「乗る!乗る!!!」
はしゃぎかたがまるで子供だ。主運転手のコックピットに乗り込む彼女を見て、私も副運転手の方へ向かう。
シートに身体を収めてから、イヤホンを右耳に嵌める。
「聞こえる!!??」
「うるさ……」
テンションが上がりすぎだ。イヤホンを咄嗟に耳から外す。鼓膜が痛くなりそうだった。
「ごめんて!!えー1200って結構性能上がってんだ、音綺麗だしシート硬くないし!!」
延々と喋りつづけそうな彼女を止める。レースに集中して欲しかった。
「わかったわかった、もういいから、エンジン掛けて浮力装置起動して」
「わかった!!!!」
先ほどよりも大音量の、威勢のいい返事が聞こえた。もう諫めるのは諦めようか。右耳は犠牲にしよう。
骨の髄まで揺らされるような振動を感じる。独特の浮遊感を覚える。排気の香りが漂う。息を吸い込む。ついこの前もレースに出たはずなのに、なんだか久しぶりの感覚のような気がした。
グローブを両手に嵌めて、何度か握っては開く。そしてメインハンドルを握る。ブレーキハンドルを軽く握り、アクセルペダルを踏んで状態を確認する。状態は完璧だ。
実況解説の高らかな紹介が聞こえる。
「さて最後はこの二人!!!!昨年、あの悪辣な妨害をした!!!最凶のバディ!!!黄色と黒に塗られたカイン1200に乗るのは!!!!元オフィシャルの主運転手、リュカ!!!そして元万年最下位の副運転手、セイカ!!!今日こそは優勝できるか!!!???」
不名誉な紹介をされても、もう気分は悪くならなかった。
コンコン、と二度だけイヤホンを叩かれた音がした。耳元で、リュカの声がする。
「最初っから、加速して。あとは指示するけど、そっちで読んでいいから。」
「はっ、ずいぶん強気だな」
考えていたことが、そのまま口をついて出る。
「絶対、勝つから。」
ああ、そんなの、私だって同じだ。
信号が3つ、2つ、1つ。
それが消えると同時に旗が振り下ろされる。
その瞬間にアクセルを踏み込む。
さあ、レースの始まりだ。




