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リュカはもともとプロの、つまりオフィシャル・レースのレーサーだった。生まれつき素養のある副運転手として、専門学校を卒業したらしい。つまり、名家の出身であるということも暗に示していた。事実、私が家を出た頃から、ラジオの放送で若くして副運転手として華々しく活躍する彼女の名前を聞いたことがあった。
そんな彼女が、こんなうらびれたレーサーになってしまったのには、理由がある。ゴシップ誌で読んだから知っている。当時彼女がバディを組んでいた主運転手である今の彼氏が、機体に違法改造を施したのだ。それは複数のレースでは露呈しなかったが、とあるレースで優勝した際についにバレてしまい、オフィシャル・レーサーとしての資格をバディで揃って剥奪されたのだ。それでも、能力を持て余していたリュカはそのままアングラなドルーズド・レースの世界に身を落として、副運転手としてある程度は活躍した。しかし、オフィシャル・レースに出場していた頃の華々しさは、とうになかった。
私が副運転手探しで四苦八苦している頃に、彼女も初めて触れるドルーズド・レースでの副運転手生活に苦労していたらしい。結果が伴っていなかったのが良い証明だ。オフィシャル・レースと違い、ここは勝つための手段を問わないアングラの世界だ。オフィシャルよりも機体はずっと重くなり、それに比例して命はとても軽くなる。レース中の速度は段違いに早く、その結果として記録されるタイムは桁違いに短くなる。コースは決まっていない分、レギュレーションも決まっていない。賭けに興じる観客たちが許せば、それでいいのだ。それまで規則正しく規律を守っていい子に生きてきた彼女には相当堪えたことだろう。そういった話を聞いたことはなかったが、私は勝手にそう推測している。
私たちが出会った理由は、リュカが私の副運転手募集の張り紙に応募してきたからだった。彼女もドルーズド・レースに転落してきてからの短い間に主運転手を転々としていた。どの主運転手たちも、現在の彼氏ほど相性の良いバディにはなれなかったらしい。
今でも、最低最悪の初対面を鮮明に記憶している。忘れようにも忘れられない。
いつものレースと同じ、機能性だけを重視して中古のメンズの作業服の上下で向かった私が見たのは、派手に着飾った彼女の姿だった。茶色のファーコートに、ギンガムチェックのミニスカート、足元はハイカットブーツだ。待ち合わせ場所はレース会場の控え室だったというのに、彼女の服装だけが異様に浮いていた。控室の真ん中に置かれた簡易椅子に堂々と腰かけて、彼女は楽しげに手元の端末を弄っていた。
自分の目を信じたくはなかったが、見かけたことのある顔立ち、他の女性レーサーからの怪訝で醒めた視線、男性レーサーからの媚びて厭らしい態度をいなす彼女が、リュカで間違いはなかった。
深呼吸をして、端末から一切顔を上げる様子の無い彼女の前に立ち、声を掛けた。
「あなたが、リュカさんかしら。」
名前を呼ばれたことで、彼女の視線がこちらに一瞬だけちらりと向けられる。私を一瞥して、退屈そうにまた手元の端末に視線を戻す。
「だっさ。」
服装のことを指しているのだろうか。それとも、自分が応募した主運転手が本当に何の成績もおさめていない無名のレーサーだということを指しているのだろうか。いずれにせよ不躾な言葉であることに違いはない。それでも、最低限の礼儀は尽くさねば。
「ご連絡しておりましたように、私の名前はセイカです。不束ながら、主運転手を務めております。」
私からの丁寧な挨拶を聞いた後も、彼女の態度は変わらなかった。
「どーでもよ、そんなの。いいからさっさと乗っててくんない?アンタ、まじでダサくて見るのもウザいから」
端末から一切視線を上げずにそう宣う彼女の言葉は、温厚な方ではない私にとって、流石にカチンと来た。
「リュカさんは、御着替えをなさらないのですか?そのようなお綺麗な恰好、汚してはならないのではありませんか?」
お嬢様の彼女にはこうした使用人らしい言葉遣いの方がよく効くだろう。そう思ってのことだった。
「へえ、アンタ、喧嘩売る脳みそはあるんだぁ。服も成績もウチよりダッサくて大したことないくせに。」
そう言って椅子から立ち上がると、私を置き去りに彼女はレース場に向かって行った。
「ウチはこの恰好で乗るから。ドルーズド・レーサー風情がうちに説教とかまじキモい」
彼女は売られた喧嘩は買う主義のようだった。苛立たしそうにレース場に向かう彼女を、私は追わなければならなかった。遊んでいる暇はない。選手入場の時間はとうに過ぎている。このまま控室で遊んでいては、不戦敗になってしまう。
本革のドライビングブーツを履いた両足が、ピンヒールでカツカツと音を立てて先を歩く両足を追っていく。
レース場は直前まで降っていた雨でぬかるんでいた。半分ほどの機体が、エンジンを蒸かして調子を確かめているようだった。
品の良いピンヒールが、転ぶことも躓くこともなく、私の機体の副運転手のコックピットへ向かっていく。艶やかなエナメルが、レース場の泥で汚れていく。それを見ながら、私も主運転手のコックピットへ向かおうとすると、彼女の吐き捨てる様な声が聞こえた。
「ほんっと有り得ない!カイン2500とかいつの機体!?こんな廃棄品走るわけないじゃん!」
機体の名前を知ったのは、このときが初めてだった。幾人ものオーナーのもとで改造・改装を繰り返されてきたこの機体は、ほぼオリジナルと言っても差支えない状態だった。
黙ってコックピットへ乗り込んでから、嫌味ったらしく彼女に話しかける。運転直前のドライバー同士での確認はこんな相手でも必要だ。
「走れるからここにあるんじゃありませんか!!!」
エンジンは蒸かしていないが、浮力装置は起動させているので、その騒音が酷い。特にこの機体は古いので他のものよりうるさい。並みの声では掻き消されてしまう。
「は!!??何!!????聞き取れないんだけど!!うっるさ!!何これ!!」
浮力駆動音に慣れた私の耳は、彼女の喚きたてる声が聞き取れたが、慣れていない彼女は何も聞き取れていないようだった。いっそもう少し静かな音量でいてくれたらよかったのに。そうすれば不快な彼女の声を聞き取らずに済んだのに。
「てか椅子固すぎ!!!防御壁は!!??」
防御壁とは何のことだろうか。
ああ、オフィシャルだとレギュレーションで定められている、コックピットを覆うカバーのことか。
そんなもの、あるわけがない。今まで彼女がドルーズドにやってきてから乗ったことのある機体には、すべてあったのかもしれないが、こんなスクラップにあるはずはない。そもそも私が買った時点でそんなもの付いていなかった。
ここはオフィシャルではなく、ドルーズドの世界なのだ。命なんぞ軽くてなんぼの世界だ。彼女は一体何を言っているのだろうか。
いい加減黙って欲しい。気が散って仕方がない。喚き続けるリュカを忘れることにして、私は機体の確認に没頭することにした。彼女とは会話できない。もう二度とバディを組むことはないだろう。
ポケットにしまってあったグローブをきちんと嵌め、ブレーキハンドルを軽く握り、アクセルペダルを踏んで状態を確認する。リュカと会う前に整備はしていたが、問題はなさそうだった。
まもなく、リュカとの初めてのレースが始まろうとしていた。




