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リュカの加速は、本当に本気だった。ついこの前、ノア600で見せたような加速だった。それを見越して、最初から躊躇うことなく全力でアクセルを踏み込む。カイン1300のコックピット2つは、互いに寸分のずれもなく発進した。
隣に並ぶ機体は、カイン3000だけだ。他の機体は出遅れている。ハンドルの奥が重たくなる。ギアが上がっている。まだ加速するのか。まだ始まったばかりだというのに。
「ギア上げて!一気に全開まで持ってく!」
「…わかった」
端的に言葉を返し、行動で応えてみせる。アクセルは踏み抜いたまま、機体の様子を探りつつギアを上げていく。主運転手と副運転手の加速が合わなければ、機体そのものの加速が鈍くなる。リュカのギアの上げ方は、信じられないほど乱暴だった。本来ならばエンジンに負荷を掛けさせないために少しずつ上げるのが常識だ。散々非常識な運転をしてきた私でも、そのくらいは知っている。それを、彼女は一息で全開にまで引き上げていた。本当に、この前のノア600のようなレースをするつもりなのだろうか。いったい、何のために。
私が主運転手の運転の荒さに驚いている間にも、カイン3000はみるみるうちに加速して、私たちを追い抜いた。その巨大なエンジン部分が、視界を悪くするほどの排気と、イヤホンの音声をも掻き消すような轟音を立てて、目の前に立ちはだかる。平屋の廃屋に囲まれて、ところどころ雑草に覆われたアスファルト舗装がなされた道路を、目にもとまらぬ速さで通過していく。
ファースト・ラップを半分ほど通過したところで、今回のコースは直線と急な坂道とほぼ直角のカーブがほとんどなことに気が付いた。これでは単純に機体の性能で勝負するしかない。レーサーの運転技術も、バディとしての練度ももちろん問われるが、それでも軽業のような技術は通用しない。
リュカもそれには気付いているのだろう。イヤホン越しに大声が聞こえる。そうでもしないと聞き取れないのだ。
「もっと加速できないの!!??」
「これで限界!!!」
こちらも怒鳴り返す。ギアもアクセルも全開だ。それでも、目の前を走るカイン3000にあと一歩どころか、追いつけないまま距離を離されていく。後ろから他の機体が迫っているのが、音で判別できた。軽量級の機体のどれかだ。中重量級のものより若干音が高い。
全力で加速し続けたまま、ファースト・ラップが終わりに近づいていた。短縮ルートは設置されていなかった。ずっと平坦で緩急の穏やかなコースだった。カーブもそれほど苦労して曲がるものではない。後ろの機体がどんどん近づいてくる。リュカの焦る声が聞こえる。
「なんとかできないの!!??」
「なんとかってなに!!」
指示内容が漠然としすぎだ。それで何かできるというのなら、それはもうレーサーではなく観客だ。
ファースト・ラップが終わり、会場を通過するころには、私たちは3台の中重量級の機体に追い抜かされていた。うち1台に至っては会場目前で抜かれたのだ。いよいよ切羽詰まった彼女の声が耳元から響く。
「妨害!!!!なんかないの!!??」
「はあ????」
リュカの口から、他のレーサーの妨害という言葉が出てくるとは思っていなかった。右足は本気でアクセルを踏みつつ、左手でギアレバーを一番上まで押し上げたまま、思案する。妨害できるとしたら、何があるだろうか。一般的には、後ろの機体に追い抜かれないために行うものだが、彼女が求めているのは、自分より前を行く機体の妨害だろう。
一体何ができるか、と考えて、ふとリュカの心情が心配になった。安全策を取り、命を一番に考える彼女が、どういう心変わりをしたらこんなことを言い出すのだろう。しかし、主運転手の考えを憂慮している暇はなかった。
「早く!!!ねえなんか無いの!!??」
彼女から急かされる。タスクが多すぎて、機体から調子を読み取るのが疎かになってしまっていた。計器を確認すると、メーターが最大まで振り切っていた。いつからだろう。これを続けるとエンジン部分が焼き付いて、最悪の場合は機体異常に繋がりかねない。彼女はそれに気が付いているのだろうか。
「メーター振り切ってんのにまだ加速すんのかよ!!??」
即座に返答があった。
「そんなのどうでもいい!!!ねえ早く!!!」
くそっ、と口汚い独り言が零れる。私はリュカよりも機体そのものが心配だ。妨害する作戦なんて考えられない。このままではエンジン部分からまた発火しかねない。
ふと、それで思い出した。平屋の廃屋の多いコース。ここ数日雨は降っていない。空気は乾燥している。高温の排気が充満するここは、粉塵なのだろうか、視界が悪い。ああ、そうか。
「廃屋に突っ込め!!」
「…何する気!!??」
あれだけ急かしておいてこの態度とは、どういうつもりだ。それでも、手段はこれしかない。レースはあと半分ほどだ。ここで何とかしなければ、順位の挽回はできない。
「行けば分かる!!崩れかけの木製の家探せ!!!」
「じゃああそこの最後のカーブ曲がったすぐ右!!」
コース内の廃屋の特徴などは把握していたらしい。迷うこともなく返事をされた。
右へ折れる直角のカーブが近づいてくる。そのカーブを曲がり切るか否かというくらいの位置に、確かに崩れかかった木製の家が見えた。曲がらずに突っ込んだ方がいい。確か、あのまま突っ切ってしまった方が短縮にはなる。ファースト・ラップでコースくらい把握している。
「曲がるな!!!あのまま突っ込め!!」
「馬鹿じゃないの!!??」
そう言いつつも、主運転手であるにも関わらず、リュカは私の判断を尊重したようだった。直進し続ける機体のハンドルの操作が重たくならない。加速が緩むこともない。彼女もアクセルを踏み抜いている。こんな状況でありながら。
ほんの少しだけ右に軌道を逸らしつつも、私たちは迷いなく廃屋に突っ込んだ。目の前に屋根はトタン、ガラスは汚れて中が見えないほどの、古い家が押し寄せる。家自体が傾いていることに、機体が衝突する寸前に気が付いた。今頃会場では実況解説が興奮した声で何か叫んでいる頃だろう。
前方防御壁があるとは言え、建物に突っ込むのはそれなりに怖い。それを初めて知った。機体が突っ込んだ衝撃で砕け散ったガラスの破片が、顔に飛んできた。右目の下あたりに、ひやりとするような感覚があって、そしてカッと熱くなった。恐らく切れている。それを確認する暇はない。建物が崩れ切る前に、一軒目の家から飛び出す。壊れかけた家の目の前にあったのは、手入れのされていない垣根だった。それもそのままの勢いで突っ切る。その向こうにあるのは、先ほどと似たような木製の家屋だ。それも突き破って、元のコースにまで戻って来た。あまりにも想定外の短縮ルートとなったが、これでいい。あとは目論見通りになってくれるかどうかだけだ。
順位はトップになっていた。あのカイン3000の姿が見当たらない。加速し続けたまま、会場に戻って来た。そのタイミングで、リュカに連絡を取る。右耳に触れようとして、手がぬるついた。血液だろう。あとで拭けばいい。
「怪我は!??」
「平気!!!ガラスで手切っただけ!!!続行して!!!」
人的異常だけは避けられたようだった。セカンド・ラップを終える。残るはファイナル・ラップだ。
平坦な道と、勾配のきつい坂を加速しきったまま登っていると、どこからかぎゃりぎゃりというような、金属のこすれる様な音が聞こえた。どこからか、なんてわかり切っている。エンジン部分だ。加速して負荷を掛け過ぎているのだ。
「リュカ!!!スピード落とすかギア下げるかしろ!!!機体異常だ!!」
彼女からの返事はなかった。
「リュカ!!!!いい加減にしろ!!!!クラッシュしたいのか!!!!!」
渾身の大声で怒鳴りつけても、彼女からの音声は途絶えたままだった。機体の異常音は続く。彼女はわかっていて加速している。アクセルもギアも、下げられる様子が感じ取れない。
そちらがその気なら、こっちだってやってやる。どうせ彼女の機体だ。私が壊しても私の懐にダメージは入らない。腹いせに思い切りアクセルを踏みつける。メーターが振り切ったまま、その先に向かって必死に針を動かそうとしていた。
ファイナル・ラップも半ばまでやってくると、やはりカイン3000が追いついてきたようだった。重低音が響き渡る。そこはちょうど、先ほど私たちが廃屋に突っ込んだあのカーブの手前だった。これだけは、彼女に伝えなければ。
「リュカ、合図したら機体イカレるまでアクセル踏みこめ!!!ギアも限界まで上げろ!!!」
狙いは、粉塵爆発だ。どの機体も、エンジン部分が過熱している。特に、私たちの機体は。高負荷がかかり続けたエンジンに、一番の無理をさせる。もしかしたら火花が散るだろう。それが賭けだ。そこに、乾燥した木製の家からの粉塵と、排気からの粉塵を撒いておく。いくら機体が通過するときに強い風を巻き上げるとしても、ここはゴーストタウンだ。廃屋に囲まれた狭い道路で、巻き上げられた粉塵は、逃げ場もなくまた降り積もるしかない。そこを狙うのだ。私たちが巻き込まれないように。
リュカは、最初、私の指示の意味が理解できないようだった。鸚鵡返しをされたので、もう一度指示してやると、すぐにそれを了承した。
真後ろまでカイン3000が迫ってきている音がした。右の直角のカーブを曲がり切った瞬間に、声を張り上げる。
「今!!!!!!」
リュカの手元に視線をやる。運転は目が無くてもなんとかなる。私の目は主運転手なのだから。彼女の目は真っ直ぐに前を向いていた。
全身全霊でアクセルを踏み込み、ギアレバーを腕の感覚がなくなるまで上げる。エンジン部分から嫌な音がする。視線を後ろにやると、視界の端に白い閃光が散ったのが見えた。そのまま飛ぶように景色が流れ、カーブの数軒先にある家のところを通過したその瞬間、爆発音が聞こえた。
成功だ。
リュカの焦った声が聞こえる。
「アンタ何したの!!??」
「粉塵爆発!!!!」
これで順位は挽回できるだろう。カイン3000が追ってきている音はまだ聞こえていなかった。
ハンドルが重くなる。なぜだろう。アクセルが限界まで踏み込まれていない。ここまで来たらあとは加速し続けるだけなのに。どうして、リュカはここで躊躇っているのだろう。
そうこうしているうちに、一番恐れていた事態がやってきた。カイン3000の重低音が聞こえてきたのだ。そんなまさか。爆発に巻き込まれたんじゃなかったのか。
前を見るのもそこそこに、後ろを一瞬振り返る。あの鮮やかで艶やかな塗装が、ところどころ煤けていた。カインの持ち前の耐久力でなんとかなったらしい。憎らしいことだ。
その一方で、リュカはどんどんスピードを落としていた。先ほどまであんなに強気で加速していたのに。ぐずぐずしていては、カイン3000に追い抜かれてしまう。イヤホンから声を掛けようとしたそのタイミングで、最終加速をしたカイン3000が、私たちの機体を追い抜いた。耳鳴りがするような轟音を立てて、会場に吸い込まれるように突き進んでいく。距離が目の前で、どんどん引き離されていく。
「リュカ!!!!」
呼びかけても、返事はなかった。後ろから追ってくる機体は他にはない。
速度を落とし続けたまま、私たちはゴールした。
観客が異様に興奮した声が聞こえる。実況解説の喧しい声も聞こえた。
「ドルーズドらしい悪辣な妨害に非常識なショートカット!!!!それでも生きる伝説には勝てず!!!!カイン1300、2着です!!!!!」
結果は、準優勝だった。グローブを外して右の頬を雑に拭う。パラパラと茶色い汚れが落ちてきた。




