13
リュカに連れられて、控え室へ向かう。レーサー本人がいれば、関係者として中に入ることは可能だ。それに、私も彼女もそこそこ顔が知られている。
今日の彼女の服装は、初めて見るパンツスタイルだった。黒のワイドパンツに、Vネックのリブニット、それにツイードのパーカーを合わせていた。靴も武骨な編み上げブーツで、いつものようなハイヒールではなかった。
レーサーたちが全員帰るのを、隅の椅子に並んで腰かけて待つ。真横になんて座りたくなかった。人一人が入れるかぎりぎりくらいの距離を保って座ることにした。レーサーたちはがやがやと話しているのに、私たちの周りを包む沈黙だけが息をしづらくするほどに重たかった。
最後の一人が出ていくと、リュカはずっと弄っていた端末から視線を上げた。
「アンタ、見てたでしょ。今日のレース、ちゃんと。」
口火を切ったのはリュカだった。
「見てましたよ。こっちだって賭けてるんですから。見ないわけないでしょう。」
私の返事を聞いた彼女の片眉が吊り上がる。
「へえ、ウチのノア600にでも賭けてたの?じゃあ残念だったね、リタイアしちゃってさあ。」
「…どうしてあんな運転したんですか。」
挑発には乗らない。聞きたいことは山ほどあった。機体異常には気付かなかったのか。なぜそれを無視したのか。わざわざ短縮ルートを通った理由はなんだ。私に見せつけるようにリタイアしたのは、何が原因だ。
私を呼び出したのは、何の目的だ。
「勝つためだけど。それ以外なくない?」
彼女の両目を見つめる。その言葉は、嘘か真か。判断はつかなかった。
「勝つためだけに、あんな運転を?機体異常があったにも関わらず?私だってしませんよ、エンジン異常でレース続行なんて。」
彼女の顔色が変わる。先ほどまで冷静な色を浮かべていた瞳に、怒りが宿る。椅子から立ち上がって目の前に立ちはだかった彼女に、見下される。
「それでもウチはちゃんとセカンド・ラップまで運転したんだけど!運転もしてないアンタに何がわかんの!!??」
「それは、クラッシュしそうだと思ったから?それとも、レース開始からクラッシュなんてしないと思っていました?あのままいけば優勝できると?」
あんな機体で、レースを全踏破するなんて土台無理な話だ。彼女にそれは分かっているのだろうか。言葉を紡ごうとしている彼女に畳みかける。
「クラッシュすることは、主運転手の自分だけでなく、副運転手の命も巻き込む大事故です。レース中は主運転手の選択に全てが委ねられますが、容易な選択は…」
そこまで言って、彼女の怒鳴り声に遮られる。
「アンタに言われたくない!!アンタにあの指示ができる!?アンタに今日の運転ができる!?副運転手に指示することもできないアンタに!!ウチに何にも指示しなかったアンタに!!」
ぐっ、と言葉に詰まる。彼女の言う通りだ。私は、あのとき、何も言わなかった。
「アンタよりウチの方が主運転手、向いてるって分かったでしょ!?今日のレース、アンタだったらあんな短縮ルート通れてるわけない!!」
黙っているのはどうしようもなく癪だった。私だって実際に運転していたらあのコース取りをしたはずだ。
「今日のレーサーでもない人間にそれを言ったところで、かと。」
端的な皮肉で返す。怒鳴りたくはなかった。感情の発露は得意ではない。
「仮に今日出場してたとしても、でしょ?」
リュカが吐き捨てるように言葉を返す。こちらが口を挟む前に、彼女の追撃が飛んでくる。
「副運転手について来させる気もないくせに、できるわけないじゃん!!アンタができんのは機体から相手の決定を読み取ることだけ!!アンタに主運転手なんか向いてない!!」
聞き捨てならない台詞だった。私が主運転手を務めたのが一度だけの相手に、もう二度とバディをして組むことなんてない相手に、ここまで言われる筋合いはなかった。
激昂する彼女に、乗せられてはいけない。分かっているのに、言葉は止められない。
「どうせ何回かしか主運転手務めたことないくせに、よくそこまで言えますね。あのとき判断迷った立場で、向き不向きなんて私に説教かますつもりですか?」
言われっぱなしなんて私らしくない。
「二度と組むつもりのない相手にそういうこと言うなんて、オフィシャルの世界はライバル意識が強いんですね。とっても高尚ですこと。ねえ、天才副運転手さん。元、の間違いかもしれませんけど。」
私の言葉を聞いたリュカが、苦々しげな顔をして、唇を噛んで俯く。
ゴシップ誌ではであれこれ書かれていたが、彼女が天才と謳われていたのは事実だ。副運転手として、主運転手の指示を言われた通り、完璧に、忠実に、正確にこなす。誰よりも、彼女はそれに秀でていた。だから、弱冠15歳にして、ベテランと肩を並べて第一線で活躍できたのだ。
今日のレースを見て、分かってしまった。彼女は、天才だ。私の憧れる、レースで活躍することのできる、天才。その名を、彼女は欲しいままにしていたのに、こんなところでその能力を持て余している。
副運転手としての才だけではない、彼女が持つのはレーサーとしての、最高の資質。主運転手としても、誰と組んでも、成績を残すことができる。私がどれだけ望んでも、どれだけ足掻いても、登ることのできない高所に、彼女は生きている。
リュカからの返事は、暫くなかった。
彼女の噛み締めた唇が、固く握られた両手が、白くなっていくのが分かった。
沈黙が落ちる。一気に言葉を連ねたせいで、上がってしまっていた息が、落ち着いていた。それでも、彼女は口を開かなかった。
何か、言いたいことはあるだろう。何か、言いたいのだろう。それだけは、分かった。
漸く、噛み締められた唇が、ゆるりと動いた。そこから零れた言葉は掠れていた。
「アンタに、言われたく、ない…」
その音が震えていた。理由はわからない。
もう一度、彼女ははっきりと同じ言葉を口にした。
「アンタに、言われたくない!!」
どちらも私の耳には届いていた。分かっている。身分の下の者からの嫌味ほど不快なものはないだろう。
「ここで、ドルーズドで、燻ってるだけの!アンタに!!天才なんて言われたくない!!!」
静かに目を伏せる。今は彼女の番だ。
「ウチだって!!できるようになりたかった!!機体から全部読み取れるようになりたかった!!小っちゃい頃から練習してきたのに!!!!どうして!!」
そこで、言葉が不意に途切れる。
「どうして……」
彼女の肩が震え始めていた。
「なんで、アンタがあの能力を持ってるの…?なんで、ここで主運転手なんかに、執着するの……?」
なんで、なんて愚問でしかない。
「父親に憧れてるから。」
それ以上の答えなんてない。私は、父親の生き方に縛られている。あの、ギャンブル狂いのろくでなしの、天才主運転手としてドルーズドで勝ち続けていた父親に。
リュカの目が跳ね上がるようにこちらを向く。睫毛が涙で濡れて、無機質な蛍光灯の光の下できらきらと反射していた。
「……悪いけど…アンタに、主運転手は……向いてない。」
彼女が言葉を濁そうとするところは、初めて見た。
でも、その、優しさが、今はずっと痛かった。言葉が紡げなくなる。視線が足元に落ちる。分かっている。分かっていたはずだった。
「仮にも、オフィシャルにいたから、分かる。アンタに……セイカに、主運転手は、向いてない。」
視界が滲む。分かっていた。父と同じ立場に立てないことくらい、ずっと昔から。
普段着にしている男物の黒のジーンズに、染みが、1つ、2つと増えていく。それを増やすのを止められない。
「でもね」
リュカの、私よりも少し高い声が聞こえる。
「副運転手としての才能は、ウチよりも、ずっとある」
慰めのつもりだろうか。唾を飲み込んで、短く息を吐き出す。しゃくりあげそうになるのを、何とか堪えた。反論したかったが、言葉にならなかった。
「運転中に、機体から相手のことが読み取れるレーサーは、オフィシャルでも会ったことない。何も言われずとも、主運転手の決定を汲み取るあれは、全ての副運転手が、憧れる天賦の才。」
「セイカには、それがある」
きっぱりと、彼女はそれを言い切った。喘ぐように息をしながら、彼女の目を見上げる。
彼女の目は、もうとっくに乾いていた。
「セイカ、ウチとバディ組もう。」
「アンタは、こんなところで、向いてない主運転手なんかして、燻ってる器じゃない。」
リュカの提案に、私は乗った。




